【パリ=三井美奈】北朝鮮の金正日総書記が2008年夏に脳卒中で倒れた際、平壌で治療に当たったフランス人医師フランソワグザビエ・ルー氏がAP通信と会見し、「私が到着した時、彼は意識がなく、非常に悪い容体だった」と述べた。同通信が20日、報じた。
ルー氏はパリの病院の神経外科医。北朝鮮当局との接触は1993年、金総書記が「乗馬中の事故で頭部に軽いけがをした」際に電話を受けたのがきっかけだったという。08年夏、患者を知らされないまま平壌入りし、平壌の赤十字病院で数人分のカルテを渡され、診断と治療の助言を求められた。
その中の1人は深刻な状態と分かったため、直接診療を要求したところ、数時間後に対面したのが金総書記だった。「生命にかかわる状態」だったが、ルー氏が約10日後に仏に帰国する際には意識を回復し、話せるようになっていた。
(2011年12月20日19時53分 読売新聞)
2011/12/21
フランス人医師、François-Xavier Rouxが平壌に到着したとき、金総書記はすでにこん睡状態に陥り危険な状況だった。
金総書記、08年深刻な状態だった…仏人医師
中国は金総書記死亡当日に状況を把握
<金総書記死去>中国は死去当日に知っていた
2011年12月21日09時11分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
2011年12月21日09時11分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
中国指導部が北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去当日の17日に劉洪才駐北朝鮮中国大使の報告を通じ金総書記の状況を把握していたと北京の消息筋が20日に明らかにした。北朝鮮は19日正午に金総書記の死去を公式発表した。
金総書記の健康が悪化した2008年夏以降、米国の主導で、日米韓の防衛協力も本格化
<金総書記死去>韓米、北朝鮮急変に対応した図上訓練を実施
2011年12月21日10時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
2011年12月21日10時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
北朝鮮で金正日(キム・ジョンイル)死去のような急変事態が起きた場合に備えて、韓米軍当局はすでに具体的な対応策を明示している。「作戦計画(OPLAN5029)」がそれだ。
1990年代半ばに北朝鮮崩壊の可能性が提起されながら韓米両国が共同で策定した「概念計画(CONPLAN 5029)」を、実質的な作戦計画に発展させたものだ。
2011/12/20
金総書記、平壌に停車中の特別列車内で死去した可能性
【金正日総書記死去】平壌で死去か 韓国情報機関が国会報告 北発表に疑問
2011.12.20 22:50
2011.12.20 22:50
【ソウル=加藤達也】韓国の情報機関、国家情報院の元世勲院長は20日、非公開の国会情報委員会で、北朝鮮の金正日総書記の特別列車が17日、平壌市内の竜城駅に止まっていたことが確認されたことを明らかにした。聯合ニュースが伝えた。
北朝鮮当局が指摘するように金総書記が列車内で死去したとすれば、平壌に停車中の同列車内で死去した可能性がある。北朝鮮の19日の発表では現地指導に向けて走る列車内で17日死去したことになっている。
しかし衛星写真などから分析した結果、特別列車は15日から動いていなかったといい、北朝鮮の発表に疑問が生じている。
2011/12/19
金正日総書記の軌跡と語録
≪死去した金正日総書記の足跡≫
2011/12/19 13:58 KST
17日に死去した北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の主な足跡は以下の通り。
▼1941年2月:白頭山密営で誕生。父は故金日成(キム・イルソン)主席、母は金正淑(キム・ジョンスク)氏(ロシア・沿海州で出生したという説もある)
▼1945年:ソ連から帰国
▼1950~52年:中国・吉林市内の学校に留学
▼1961年7月:朝鮮労働党に入党
▼1964年6月:党組織指導部指導員
▼1966年:党組織指導部責任指導員
▼1967年5月:党宣伝扇動部文化芸術指導課課長
▼1970年:党宣伝扇動部副部長
▼1973年6月:党宣伝扇動部部長
▼1973年9月:党秘書局組織・宣伝担当秘書
▼1974年2月:党政治委員会委員に選出され、後継者に決定
2011/12/19 13:58 KST
17日に死去した北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の主な足跡は以下の通り。
▼1941年2月:白頭山密営で誕生。父は故金日成(キム・イルソン)主席、母は金正淑(キム・ジョンスク)氏(ロシア・沿海州で出生したという説もある)
▼1945年:ソ連から帰国
▼1950~52年:中国・吉林市内の学校に留学
▼1961年7月:朝鮮労働党に入党
▼1964年6月:党組織指導部指導員
▼1966年:党組織指導部責任指導員
▼1967年5月:党宣伝扇動部文化芸術指導課課長
▼1970年:党宣伝扇動部副部長
▼1973年6月:党宣伝扇動部部長
▼1973年9月:党秘書局組織・宣伝担当秘書
▼1974年2月:党政治委員会委員に選出され、後継者に決定
金正日総書記、17日に死去=朝鮮中央テレビ
キム・ジョンイル総書記死去
北朝鮮の朝鮮中央テレビは、19日正午から、最高指導者のキム・ジョンイル総書記が、今月17日、現地視察に向かう列車の中で急死したことを伝えました。69歳でした。
北朝鮮の朝鮮中央テレビは、19日正午から、最高指導者のキム・ジョンイル総書記が、今月17日、現地視察に向かう列車の中で急死したことを伝えました。69歳でした。
全体の党員の皆さんと、人民のしょうへいと人民にこくする、われわれの全体の党員と、人民軍、しょうへい、人民の皆さん、朝鮮労働党中央委員会と朝鮮労働党中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会と、最高人民会議常任委員会内閣は、朝鮮労働党総秘書であられ、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長であり、朝鮮人民軍最高司令官である、偉大なる領導者、キム・ジョンイル同志が、2011年12月17日、8時30分に、現地指導の途中、急病により、逝去されたということを、悲痛な心痛で、お知らせいたします。
※原文のまま
(同時通訳 李 映子)
(12月19日 13:30更新)
2011/08/22
金総書記、訪露 正恩氏は同行せず
金総書記、ロシア到着=9年ぶり首脳会談へ
【ウラジオストク、ソウル時事】ロシア沿海地方の当局者によると、北朝鮮の金正日総書記を乗せたとみられる特別列車がロシア極東時間20日正午(日本時間同日午前10時)ごろ、北朝鮮から国境を越えロシアのハサンに到着した。金総書記のロシア訪問は2002年8月以来9年ぶり。
韓国政府当局者も、特別列車がハサンに到着したと述べた。
ハサン駅では、極東連邦管区のイシャエフ大統領全権代表や沿海地方のダリキン知事が車内に入り、金総書記を歓迎した。列車は現地時間午後1時半(同午前11時半)ごろ同駅を出発し、北上。東シベリアのウランウデを訪問する可能性が有力視されている。
ロシア紙イズベスチヤはウランウデでメドベージェフ大統領と金総書記が会談するとの見通しを伝えているほか、韓国の聯合ニュースは金総書記がウスリースクのダムを視察すると報じている。同ニュースによれば、訪ロ期間が1週間程度になりそうだ。
金総書記の主な目的は経済支援獲得とみられ、首脳会談では、天然ガスパイプライン建設や鉄道敷設など、経済協力のプロジェクトを中心に議論が行われるとみられる。また、6カ国協議再開に向け、核問題も話し合われる見通しだ。(2011/08/20-13:25)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201108/2011082000126
2009/06/02
2009/02/13
北朝鮮情勢: 金正日総書記は重要な決定を下せるほどに回復 核拡散活動への懸念は残る=米国家情報長官
米国:「経済危機、安保に影響」 国家情報長官、「脅威評価」を提出
【ワシントン草野和彦】ブレア米国家情報長官は12日、年次報告「脅威評価」を上院情報特別委員会に提出、米国の安全保障上の差し迫った懸念として「国際的な経済危機」を挙げた。財政難に陥った国が不安定化する可能性があるためで、経済危機による「負の波及効果」の大きさを浮き彫りにした。
報告は、世界の約4分の1の国々で政権交代などの動きが表面化したと指摘。ラテンアメリカや旧ソ連、アフリカで現金準備不足に直面している国が多く、経済危機が長期化すれば「米国の戦略上の権益に深刻な影響を与える」と分析した。
北朝鮮情勢では、金正日(キムジョンイル)総書記が昨年8月に脳卒中で倒れ、数週間にわたって執務能力を失ったが、現在は重要な決定を下せるほどに回復していると分析した。北朝鮮の核兵器に関しては、抑止力や威圧的な外交の道具としての意味合いが強く、軍事的敗北の危機や政権混乱などのケース以外で使用される可能性は低いとみている。一方で、イランを含む中東諸国への弾道ミサイル・関連物資の売却や、シリアの原子炉建設を支援してきたことから、核拡散活動への懸念は残るとしている。
毎日新聞 2009年2月13日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/world/news/20090213dde007030015000c.html
2008/12/14
仏の神経外科医フランソワグザビエル・ルー氏、一転して金総書記の治療を否定
仏医師、金総書記治療を否定 訪朝したが「会っていない」
【パリ13日AP=共同】フランス紙フィガロが北朝鮮の金正日総書記を治療したと認めたと報じたパリのサンタンヌ病院の神経外科医、フランソワグザビエ・ルー氏は13日、AP通信の電話取材に対し、金総書記への治療を否定、フィガロはルー氏の発言を誤って報道したと指摘した。
ルー医師は、脊髄の最新の手術法を教えるなどの目的で4月と10月に訪朝したことを認めたが、「(金総書記と)会わなかったし、彼についての情報は持っていない」と述べた。
2008/12/14 01:43 【共同通信】
2008/10/18
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