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2011/04/29

仙台市若林区の七郷中で「震度7」を観測していた=東日本大震災

仙台市で「震度7」記録していた…専門家分析
 東日本大震災によって仙台市で「震度7」を記録していたことが、神山真・元東北工業大教授(地震工学)の分析で分かった。
 気象庁は仙台市の震度を「6強」と発表していたが、栗原市に並ぶ最大震度の揺れに見舞われた地域もあった。

 同大は独自に、仙台、多賀城、名取の3市の学校に地震計20台を設置している。大震災の3月11日、このうち17台で揺れの観測に成功。神山元教授が観測値を基に震度を計算したところ、仙台市若林区の七郷中で「震度7」、太白区の東長町小、宮城野区の岩切中、泉区の七北田中で「震度6強」となった。

 揺れの強さを表す指標である「加速度」も、七北田中で1853ガルを観測、阪神大震災での最大値818ガルの2倍以上となった。神山元教授は「地震計を多く設置すれば地域ごとの揺れが詳しく分かり、適切な初動対応につながる」と話している。

(2011年4月29日22時02分 読売新聞)



内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明

小佐古参与が涙の辞意表明 政府の原発対応批判












小佐古敏荘内閣官房参与辞任・記者会見資料

NHK「かぶん」ブログ
2011年04月29日 (金)
官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します




文部科学省が表土を削らなくても利用時間を限れば安全とするなかで市が独自に取り組んだことに、ある女性は「市の勇み足だ。国がノーと言っているのに、なぜ、市だけが急ぐのか」と詰め寄った。

除去した表土を校庭に一時保管 郡山・処理場周辺
 福島第1原発事故で、高い放射線量が測定された小中学校などの校庭の表土除去を始めた郡山市は28日、除去した土をそれぞれの校庭で一時保管することを決めた。埋設する予定だった埋立処分場の周辺住民が反発したためで、理解が得られるまで搬送しない。除去作業は今後も予定通り行い、来月8日に終える。
 埋設処理を予定した市郊外の河内埋立処分場は、民家から約2キロ離れているが、27日夜に周辺住民を対象に行った説明会で「放射能の高い土を持ち込まないでほしい」「国の処分指針が決まってないのに率先してやるべきでない」などと反対意見が相次いだ。
 市によると、28日に国から校庭などで一時保管するよう指示があったという。市は、放射性物質が飛散しないように、のり面などを固める凝固剤を吹き付け、ブルーシートや土のうで覆って保管する。理解が得られれば処分場に搬送するが、国の処分指針が示されれば、その方針に従って処理する。


2011年04月29日金曜日




県は放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した長崎大学の教授を村に派遣した。しかし、彼は村内の汚染状況にかなり差があることや、そこに住み続けるリスクを明確に示さず、「安全」、「直ちに健康に影響はない」と村民の前で断言して帰った。

ふんばる 3.11大震災/「農」の村を守りたい
◎自立した生活手放さず/農業佐野幸正さん(64)・ハツノさん(62)=福島県飯舘村

 「よかった。飯舘の牛の値はどうなるかと思っていた。ありがたい」
 佐野幸正さん(64)が言った。福島県飯舘村で繁殖牛も手掛ける農家。13日、県畜産市場での競りで、跡継ぎの長男が育てた2頭の子牛に40万円の値が付いたという。

 「うちでは半世紀前から牛を飼ってる。家族だよ」と幸正さん。村の農家は、肉牛の肥育や繁殖、酪農などで、計約3000頭もの牛を飼う。

 阿武隈山地の高原の村は、1980年に作況指数12の大冷害に見舞われた。村と農家は環境と共生できる肉牛の飼育に取り組み、努力は「飯舘牛」のブランドに実った。

 だが、「村の牛はもう値が付かず、競りも最後か」との話が農家にあった。3月11日の震災後、約40キロも山向こうの福島第1原発(同県大熊町、双葉町)で起きた事故のためだ。