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2011/08/11

福島第1原発4号機は、水素爆発で建屋の屋根が吹き飛んで鉄骨がむき出しになり、もくもくと水蒸気が噴き上がっていた。建造物の巨大さは、新聞やテレビで見るのとは比べものにならないほど圧倒的だった

懸命の放水、恐怖なかった 小松基地隊員、福島原発冷却振り返る
【8月11日03時11分更新】
 東日本大震災から5カ月がたった今も、東京電力福島第1原発事故に伴う住民の避難は続いている。3月20、21日に行われた同原発の冷却作業には、航空自衛隊小松基地の隊員7人が参加した。「恐怖はなかった。子どもたちの未来を守りたかった」。同基地の小隊を指揮した吉良圭介管理小隊長(当時小隊長)(32)と工藤弘曹長(47)が、決死の2日間を振り返った。
 福島第1原発4号機は、水素爆発で建屋の屋根が吹き飛んで鉄骨がむき出しになり、もくもくと水蒸気が噴き上がっていた。建造物の巨大さは、新聞やテレビで見るのとは比べものにならないほど圧倒的だった。「東日本全体がどうなるのか分からない」。吉良小隊長は、ことの重大性をあらためて痛感した。

 放水に当たったのは小松基地の基地業務群施設隊消防小隊員7人。大型破壊機救難消防車に乗り込み、無心で放水した。10トンの水が1分半でなくなった。見た目には、どれほどの効果があるのか分からなかった。

 放射線の吸収を抑えるというヨウ素剤を服用した。防護マスクに防護衣、鉛のベストなど、分厚い装備の総重量は数十キロにも及んだ。できる限りのことはしたが、初めての任務であり、放射能は見えない。

 それでも吉良小隊長、工藤曹長は「恐怖はなかった」と口をそろえる。「20年、30年後も子どもたちが(震災前と)同じ景色を見られるように頑張ってきてと、妻は言ってくれた」と吉良小隊長。日本を守る使命感が、自分たちを支えた。

 「もう一度行けと言われれば行く。できることがあれば何でもする」。4号機の無残な姿。原発に向かう道中で目にしたゴーストタウンのような街。大震災が残した爪痕は、吉良小隊長と工藤曹長の目に今も焼き付いている。