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2011/12/21

鳩山邦夫氏、自民党本部に復党願を提出

鳩山邦氏が自民復党願
 鳩山邦夫元総務相は21日、秘書を通じ、自民党への復党願を同党本部に提出した。同党は年明けに党紀委員会を開いて対応を決める見通しだが、これまで離党と復党を繰り返してきた鳩山氏に対しては党内に反発が強く、受理は難しいとの見方も出ている。
 
 鳩山氏は1993年に自民党を離党。旧新進党、民主党などを経て、2000年に自民党に復党した。しかし、政権交代後の10年に「自民党では限界がある」として再び党を離れ、無所属で活動していた。復党願提出の理由について鳩山氏の事務所は「地元経済界から強く要望されたため」としている。(2011/12/21-19:13)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011122100956



フランス人医師、François-Xavier Rouxが平壌に到着したとき、金総書記はすでにこん睡状態に陥り危険な状況だった。

金総書記、08年深刻な状態だった…仏人医師
【パリ=三井美奈】北朝鮮の金正日総書記が2008年夏に脳卒中で倒れた際、平壌で治療に当たったフランス人医師フランソワグザビエ・ルー氏がAP通信と会見し、「私が到着した時、彼は意識がなく、非常に悪い容体だった」と述べた。同通信が20日、報じた。

 ルー氏はパリの病院の神経外科医。北朝鮮当局との接触は1993年、金総書記が「乗馬中の事故で頭部に軽いけがをした」際に電話を受けたのがきっかけだったという。08年夏、患者を知らされないまま平壌入りし、平壌の赤十字病院で数人分のカルテを渡され、診断と治療の助言を求められた。

 その中の1人は深刻な状態と分かったため、直接診療を要求したところ、数時間後に対面したのが金総書記だった。「生命にかかわる状態」だったが、ルー氏が約10日後に仏に帰国する際には意識を回復し、話せるようになっていた。

(2011年12月20日19時53分 読売新聞)



中国は金総書記死亡当日に状況を把握

<金総書記死去>中国は死去当日に知っていた
2011年12月21日09時11分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
中国指導部が北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去当日の17日に劉洪才駐北朝鮮中国大使の報告を通じ金総書記の状況を把握していたと北京の消息筋が20日に明らかにした。北朝鮮は19日正午に金総書記の死去を公式発表した。

金総書記の健康が悪化した2008年夏以降、米国の主導で、日米韓の防衛協力も本格化 

<金総書記死去>韓米、北朝鮮急変に対応した図上訓練を実施
2011年12月21日10時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
北朝鮮で金正日(キム・ジョンイル)死去のような急変事態が起きた場合に備えて、韓米軍当局はすでに具体的な対応策を明示している。「作戦計画(OPLAN5029)」がそれだ。

1990年代半ばに北朝鮮崩壊の可能性が提起されながら韓米両国が共同で策定した「概念計画(CONPLAN 5029)」を、実質的な作戦計画に発展させたものだ。