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2011/04/29

県は放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した長崎大学の教授を村に派遣した。しかし、彼は村内の汚染状況にかなり差があることや、そこに住み続けるリスクを明確に示さず、「安全」、「直ちに健康に影響はない」と村民の前で断言して帰った。

ふんばる 3.11大震災/「農」の村を守りたい
◎自立した生活手放さず/農業佐野幸正さん(64)・ハツノさん(62)=福島県飯舘村

 「よかった。飯舘の牛の値はどうなるかと思っていた。ありがたい」
 佐野幸正さん(64)が言った。福島県飯舘村で繁殖牛も手掛ける農家。13日、県畜産市場での競りで、跡継ぎの長男が育てた2頭の子牛に40万円の値が付いたという。

 「うちでは半世紀前から牛を飼ってる。家族だよ」と幸正さん。村の農家は、肉牛の肥育や繁殖、酪農などで、計約3000頭もの牛を飼う。

 阿武隈山地の高原の村は、1980年に作況指数12の大冷害に見舞われた。村と農家は環境と共生できる肉牛の飼育に取り組み、努力は「飯舘牛」のブランドに実った。

 だが、「村の牛はもう値が付かず、競りも最後か」との話が農家にあった。3月11日の震災後、約40キロも山向こうの福島第1原発(同県大熊町、双葉町)で起きた事故のためだ。


 「村の地震被害は小さいが、風の影響で高い放射線が出た。数値は下がったものの、全村民の避難を求められた」。今月11日、国から降ってきた「計画的避難」勧告。役場は騒然とし、菅野典雄村長も苦渋の表情で説明した。

 地元から推され、村議を10年務める幸正さんにも連日、役場の緊急会議に招集が掛かった。

 「村に来た3人の学者が、健康に問題なしと講演したのに」 「農家が土地も牛の命も捨て、なんで避難できる」―。飯樋小であった村の説明会でも住民の憤りを聞いた。

 「村づくりの努力が無になることがやりきれない。国はそれを分からない」と幸正さん。既に子育て世代を中心に、村外に避難した住民も多い。

 「までい・らいふ」。心とゆとりのある自然な暮らし―という飯舘発の手作りの言葉だ。村はバブル時代にゴルフ場の開発話を断り、平成の大合併にも参加せず、「農」で自立する道を選んだ。
 「わが家も『までい・らいふ』を実践してきたんですよ」と、妻ハツノさん(62)が笑った。
 親牛4頭と13ヘクタールの田、85ヘクタールの葉タバコ、2ヘクタールのソバ、畑にはトマト、白菜、レタス、ワサビをはじめ折々の野菜が実る。

 豊かな田園風景がある自宅前に、「どうげ」という石の看板が立つ。ハツノさんが5年前に開いた民宿だ。地元の古名「同慶」と重ね、「手を取り合って暮らすことが誇りの村」の意を込めた。

 農家民宿は夢だった。「農家の嫁は汗だくで働け」といわれたころの89年。村が企画した女性の海外研修「若妻の翼」でドイツの村を訪ね、「飯舘の新鮮な食を生かすもてなしが、私にできる村おこし」と思い立った。

 民宿は今、客が途絶えたまま。原発事故の後、南相馬市の知人ら12人の避難所に提供したが、「飯舘も心配」と去った。

 「計画的避難」がどのような形で進むか、見通しは不透明だ。子育て中の長男一家は先月から福島市に移り、村に通う。

 「村から『農』の種も牛も死に絶えたら、若い人が再び戻って生活を立て直す基盤もなくなる」と佐野さん夫婦。それでは避難の意味もない。

 「私たちは、食べる分だけの野菜をハウスで作り、とどまりたい。村が村のままであるよう」
(寺島英弥)


2011年04月16日土曜日








ダイヤモンド・オンライン【福島県飯舘村・現地レポート】 2011年4月21日
持続可能な村づくりを奪われた村 ――原子力災害の理不尽な実態

 事故直後から、原子力安全・保安院などが伝えていたのは、一時的な被曝量を表す「線量率(時間あたりの値)」だ。これを元に、レントゲン検査1回分程度などと「安心感」をふりまいた。しかし線量率が1マイクロシーベルト/hの土地に1年居続ければ、8760マイクロシーベルト=8.76ミリシーベルトになる。体が受けるダメージは1マイクロシーベルトではなく、8.76ミリシーベルト分だ。

 飯舘村では20日ごろまでに、自主避難を含めて半数程度の村民が村外に避難していたと見られる。しかし、原発の状況が落ち着き始めると、家や家畜が心配だったり、仕事があったりして戻ってくる人が増えた。

 そんな中、県は放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した長崎大学の教授を村に派遣した。しかし、彼は村内の汚染状況にかなり差があることや、そこに住み続けるリスクを明確に示さず、「安全」、「直ちに健康に影響はない」と村民の前で断言して帰った。「子どもが外遊びをしても何も問題はない」とまで言い切ったという。

 放射線は目に見えない。まわりにはいつもの春と替わらぬ景色が広がっている。もとより村にはなんの責任もない。その中で、放射線医療の専門家から安全のお墨付きを与えられ、村民の間には安心感が広がってしまった。





http://www.pref.fukushima.jp/j/kouenkai.pdf

平成23年3月20日
福島県災害対策本部原子力班
福島県放射線健康リスク管理アドバイザーによる講演会の開催について






http://twitter.com/#!/024442/status/53968764173172736






文部科学省 原子力損害賠償紛争審査会委員
山下 俊一氏 長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 研究科長



原子力損害賠償紛争審査会
原発などで事故が起きた場合、文部科学省に設置される。まず、賠償の対象や範囲について、原子力事業者(今回は東京電力)との交渉の基礎となる「判定指針」をつくる。被害者と事業者の交渉が難航した場合には、和解に向けた仲介もする。過去には、1999年に茨城県東海村で起きたジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故の際に設置された。
( 2011-04-23 朝日新聞 朝刊 2総合 )












環境放射能が人体に及ぼす影響等について平成23年3月20日
このQ&Aは、平成23年3月19日付けで福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任された長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科長(医学博士)山下俊一氏の記者会見時における内容をとりまとめたものです。
http://www.pref.fukushima.jp/j/Q&A.pdf