2011年 12月 19日 13:07 JST
[ソウル 19日 ロイター] 北朝鮮の国営テレビは19日、最高指導者の金正日総書記が17日に列車で現地視察に向かう際に死去したと報じた。69才だった。
金総書記は2008年に脳卒中に見舞われ、その後北朝鮮では息子の金正恩氏を後継者として権力移譲が進められていた。
金正日氏は1942年2月16日に、韓国との国境近い白頭山の秘密キャンプで生まれたとされている。ただ、アナリストは、父親である金日成主席が軍事訓練を受けていた旧ソ連で生まれたとみている。
大学卒業後の1964年に朝鮮労働党に入党。すぐに階級を上げ、1973年までに組織・宣伝担当の書記に就任し、翌74年には金日成主席から後継者に指名された。
17人の韓国政府高官を殺害したミャンマーでの爆破事件や、115人の死者を出した1987年の大韓航空機爆破事件は、金正日氏の命令によるものとみられている。日本人の拉致事件についても、計画した疑いを持たれている。
1994年には金日成主席の死去に伴い、北朝鮮の最高指導者に就任。
2002年には、北朝鮮が核兵器開発プログラムを認めたことを受け、国際社会との緊張関係が一段と高まった。
金正日総書記の健康状態は今年になって回復したとみられており、体重も増えた様子がうかがえた。今年は中国を2度訪問したほか、ほぼ10年ぶりにロシアを訪問するなど、活発に活動していた。
朝鮮中央通信(KCNA)は、金正日総書記が死亡した経緯について、17日に列車内で心臓発作を起こしたと伝えた。18日に検視が行われ、死亡原因が確認されたという。
臆測呼ぶ金総書記の急死=北メディア「疾病」を強調
【ソウル時事】17日に死去した北朝鮮の金正日労働党総書記は2008年に脳疾患で倒れたものの、最近2年間は国内視察や中国などへの外遊を積極的に行うなど健康の回復ぶりが目立っていた。突然の死去はさまざまな臆測を呼びそうだ。
金総書記の最新の動静が公式メディアで伝えられたのは15日で、平壌市内の音楽情報センターとスーパーマーケットを視察した。視察日時は不明だが、写真に写った金総書記は顔色がよく、元気そうに見える。ただ金総書記は防寒コートと帽子を着用。冬の平壌は気温が零下10度以下の日もあり、69歳の体には厳しい寒さかもしれない。
朝鮮中央通信は19日の死去の発表に当たり、死因に関する「医学的結論書」を伝えた。金総書記が心臓や脳血管の疾病で長期間治療を受けていた事実を初めて公式に認めた上で、17日に現地指導に向かう列車内で重症の急性心筋梗塞に見舞われ、心原性ショックを併発したとしている。
「すべての救急治療対策」が施されたものの、同日午前8時半に死去。1994年7月の金日成主席の死去は翌日に発表されたが、金総書記の場合は翌々日で、「空白の2日間」に疑問が残る。
18日には遺体の解剖が行われており、結論書は「疾病の診断が完全に確定された」と指摘。病死であることをことさら強調したのは、暗殺など権力闘争による死である可能性を否定し、人心の動揺を抑える狙いもありそうだ。
また15、16日には米国のキング北朝鮮人権担当特使と北朝鮮の李根外務省米州局長が会談しており、北朝鮮がウラン濃縮活動を停止する見返りに、米側が幼児用ビスケットなどを提供することで暫定合意したとの報道もある。事実なら北朝鮮にとって大きな政策変更であり、総書記死去との時期的な一致で関心を招く可能性がある。(2011/12/19-19:38)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011121900828
<金総書記死去>韓国情報網に「穴」 死去兆候を感知できず
2011/12/19 18:21 KST
【ソウル聯合ニュース】韓国政府は北朝鮮メディアの発表まで金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去に関する兆候をまったく感知できず、対北朝鮮情報収集と判断能力に大きな問題があることを露呈した。
金総書記が死去した17日から2日間、関連当局はどこも兆候を把握できず、北朝鮮側が19日午前10時に「正午に特別放送を行う」と発表してから状況把握に乗り出したという。特別放送に対しても6カ国協議に関する発表ではないかとの観測の方が有力だった。
政府とは別に北朝鮮情報を収集するチャンネルを保有している軍当局もこれらの兆候をまったく感知できず、通常任務を行っていた。
国防部の金寛鎮(キム・グァンジン)長官は与野党の院内代表と面談していたほか、鄭承兆(チョン・スンジョ)合同参謀本部議長は前線部隊で現地視察を行っていた。軍情報機関は毎日午前、李明博(イ・ミョンバク)大統領に金総書記の動向を把握して報告してきたが、2日間も「空白状態」にあったことになる。
李大統領も安保ラインの問題で北朝鮮側の発表直前に報告を受けたという。これら情報機関には北朝鮮の情報収集のため大規模な予算が支援されており、情報収集能力と危機管理態勢が問題視されるのは確実だ。
csi@yna.co.kr
日本も…
一川防衛相「特段変わった情報を得ていない」
2011.12.19 13:04
一川保夫防衛相は19日昼、北朝鮮の金正日総書記が死亡したとの発表を受け、朝鮮人民軍の動向について「特段変わったことは情報を得ていない」と述べた。金総書記死去による東アジアの安全保障環境に与える影響については「これからのことは予測することは難しい段階だ。各国のいろんな情報を含めて間違いない対応をしなくてはならない」と語った。防衛省で記者団の質問に答えた。
これに先立ち、一川氏は防衛省内で緊急に幹部会議を招集し、情報収集と警戒監視体制をしっかり万全を期すよう指示した。防衛省は警戒レベルは通常のまま情報収集に当たっている。
演説に出発の首相、総書記死去の報でとんぼ返り
2011/12/19 19:24 (2011/12/19 23:25更新)
野田佳彦首相が「金正日総書記死去」の一報を秘書官から受けたのは19日12時3分。街頭演説のため11時59分に首相官邸の執務室を出て、演説場所のJR新橋駅前に向かっていたが演説を取りやめ、官邸に引き返した。
首相は北朝鮮の特別放送が正午からあることは承知しており、官邸を出る際に「内容によってはすぐに連絡を」と言い残していたというが、野党内には危機管理上の問題を指摘する向きもある。
12時10分すぎには関係閣僚に13時の安全保障会議招集を連絡した。山岡賢次国家公安委員長は開始には間に合わず、藤村長官は「(山岡氏は)遅れて終わりのところで入ってきた」と説明した。自民党の大島理森副総裁は記者団に首相の初動を批判。「首相は国民の信頼を得られる内閣で危機管理に対応すべきだ」とも述べ、先の臨時国会で問責決議を受けた山岡氏と一川保夫防衛相の早期更迭を改めて求めた。
午後に予定していた月例経済報告に関する関係閣僚会議、藤村長官への民主党群馬県連の要請は相次いで中止された。
危機管理の甘さ露呈 首相、「予告」後に官邸離れる
2011年12月20日 00:18
北朝鮮の金正日総書記死去を受け、野田佳彦首相は19日、断続的に関係会合を開き、危機管理面での迅速対応をアピールした。だが北朝鮮メディアが午前10時の段階で正午から「特別放送」を予告していたにもかかわらず、首相が初の街頭演説のため放送直前に官邸を離れ、死去報道を受けて慌てて戻るなど、情報収集・分析能力の限界を露呈。今後、不測の事態に即応できるのか、官邸内には焦りものぞく。
首相の街頭演説は、特別放送とほぼ同じ午後0時15分を予定。発信不足との批判回避を狙った民主党側の発案だった。
だが特別放送の予告は1994年7月、金日成主席の死去時以来。重大発表は明らかだった。「官邸内では総書記の死亡も想定したが、何かあったと勘繰られるから日程を変えなかった」と首相側近。いずれにせよ、首相が危機管理より政務を優先させた格好だ。
藤村修官房長官は会見で、「(放送内容の把握に)遺漏がないよう、首相は秘書官に指示して出発しており、問題はなかった」と釈明。米韓両国とも事前に察知できていなかった点を強調し、火消しに躍起だ。しかし、官邸関係者は「北朝鮮の国情を正確に分かる政府関係者が一人もいない。国際社会の中で均衡を保ってきた北朝鮮がどう動くか正直、分からない」と、官邸自体の危機管理能力に不安を隠さない。
官邸側は同日、各府省や党側との会合を相次いで開催。だが山岡賢次国家公安委員長兼拉致問題担当相が午後1時に招集された安全保障会議を欠席した。議員活動のため東京を離れており、間に合わなかったという。
同日夜、街頭演説に向かった判断の是非を記者団にただされ、首相は無言を通した。
=2011/12/20付 西日本新聞朝刊=
李大統領は17日(土)18日(日)に野田総理と首脳会談
李大統領が日本到着 野田首相と会談へ
2011/12/17 15:33 KST
【京都聯合ニュース】李明博(イ・ミョンバク)大統領は17日、韓日首脳会談のため専用機で日本の大阪(伊丹)空港に到着した。同日中に京都に移動し、野田佳彦首相主催の晩餐(ばんさん)会に出席する。
18日に野田首相との韓日首脳会談に臨む。韓日関係、北朝鮮問題、地域や国際舞台での協力など、相互の関心事項について意見交換を行う予定だ。
hjc@yna.co.kr
李大統領 首脳会談終え帰国=慰安婦協議は平行線
2011/12/18 15:48 KST
【ソウル聯合ニュース】李明博(イ・ミョンバク)大統領は18日午後、野田佳彦首相と韓日首脳会談を終え、専用機で帰国した。
首脳会談では従軍慰安婦問題の優先的解決を促し、野田首相の前向きな努力を求めた。これに対し、野田首相は「決着済み」という従来の姿勢を崩さず、協議は平行線のまま終了した。
今回の会談は「シャトル外交」の一環。大統領の訪日は国際会議などを除くと2009年6月以来となった。
csi@yna.co.kr
首脳会談でも慰安婦問題 韓日の関係冷却は必至
2011/12/19 09:57 KST
【京都、ソウル聯合ニュース】18日に日本の京都迎賓館で行われた韓日首脳会談では、李明博(イ・ミョンバク)大統領と野田佳彦首相が旧日本軍の従軍慰安婦問題など敏感な問題をめぐり真っ向から対立した。当面は両国関係の冷え込みが避けられない見通しだ。
李大統領は野田首相と約1時間にわたり会談。慰安婦問題解決に向けた日本の政治的決断を強く求めたが、野田首相は「決着済み」との立場を繰り返すだけだった。
過去の韓日首脳会談では、韓国側が慰安婦問題を含めた過去の歴史問題に対する全般的な解決を求めたことはあったが、慰安婦問題に焦点を絞り、公式に問題解決を促したのは初めてのことだ。
一方、野田首相は、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に設置した慰安婦を象徴する少女の像の撤去を求めた。これに対し李大統領は「日本政府が少しでも関心を示していれば起きなかったことだ。(日本の)誠意ある措置がなければ、被害女性が亡くなるたびに第2、第3の像が建てられるだろう」と述べた上で、慰安婦問題を優先的に解決することを重ねて要求した。
日本のメディアは、野田首相が首脳会談終了後の記者会見で、玄葉外相が韓国国会議員の独島訪問などについて抗議したと述べたと伝えた。これについて青瓦台(大統領府)高官は「17日の韓日首脳の晩餐(ばんさん)会が始まる前に随行員の待機場所で玄葉外相が非公式に独島の構造物設置や国会議員の訪問などについて問題を提起した」と明らかにした。
首脳会談は、李大統領が慰安婦問題に対する日本政府の公式的な解決を促し、野田首相は像の撤去と独島問題に言及するという緊張した雰囲気の中で進められた。
李大統領は会談の冒頭で「韓日両国は共同繁栄と域内の平和・安保のために真のパートナーとなるべきで、その障害となっている従軍慰安婦問題の優先的な解決に向け勇気を持つべきだ」との考えを示した。生存中の被害女性らは80歳以上の高齢で、数年以内に亡くなる可能性もあるとした上で、亡くなる前に問題を解決しなければらないと力説した。
また、慰安婦問題を「実務的に解決しようとしてはならない。国連を含む世界のすべての国が日本を人権・人道主義的観点でみている」と述べ、野田首相による直接解決をあらためて促した。
これに対し、野田首相は、慰安婦問題は決着済みとの日本政府の立場を示した上で、「これからも人道的見地から知恵を絞っていく」と述べた。
両首脳間の張り詰めた雰囲気は、会談終了後に訪れた京都の代表的な名所の竜安寺でも漂った。
青瓦台高官は「李大統領は野田首相に、今後も両国関係のために努力してほしいと重ねて要請した。大統領は野田首相との竜安寺観賞を早々と切り上げ、帰国の途に就いた」と話している。
hjc@yna.co.kr