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2011/11/22

教団は、自分の手で製造した70トンものサリンを霞が関や皇居に空中散布して大量殺人を実行し、混乱に乗じて自動小銃を持った信者が首都を制圧するという国家転覆計画を企てていた

オウム裁判:岡崎死刑囚から「司法取引」持ちかけられた
 95年の地下鉄サリン事件発生時、東京地検次席検事として捜査を指揮した甲斐中辰夫弁護士(元最高裁判事)は、オウム公判終結について「真相解明と適正な刑罰を科す目的を達成でき、ほっとしているが、時間がかかりすぎた」と述べた。

 「今、取り調べのやり方が議論になっているが、この事件はまさに取り調べで解明した事件。物証がほとんどないですから」と振り返る。その一方、「もっと早く何とかならなかったのか」との思いが残るという。

 「一つ言えるのは坂本(堤弁護士一家殺害)事件。岡崎(一明死刑囚)が神奈川県警に早い段階でしゃべりかけた。坂本さんがいなくなってしばらくしてから。ただ、条件は『自分の刑を軽くしてほしい』と。でも(現行法制下では司法取引を)やっちゃいけないので応じなかった。その結果、岡崎はしゃべらなくなり、地下鉄サリンも起きた。僕らは後で知ったことですけど」

 当時のことを明かした上で、こう述べた。「取り調べの可視化(録音・録画)をするなら司法取引、刑事免責は絶対必要だと思う。あの時に司法取引ができたら……」

毎日新聞 2011年11月22日 2時30分





国家転覆ありえた…サリン70t、自動小銃千丁
 オウム真理教の被告189人のうち、最後に残った元幹部・遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁が21日、死刑判決を言い渡し、一連の事件の裁判が終わった。

 これを受け、東京地検次席検事として捜査を指揮した甲斐中辰夫・元最高裁判事(71)がインタビューに応じ、早期摘発の機会を生かせなかった教訓や、教団が企てた、70トンものサリンや1000丁の自動小銃を使用する「首都制圧計画」が食い止められた経緯を、次のように語った。

 読売新聞は1995年1月1日の朝刊1面で、「山梨県上九一色村(当時)でサリン残留物を検出」というスクープ記事を掲載した。記事で前年に起きた松本サリン事件とオウム真理教との関連が初めて示唆され、教団は慌てふためいた。サリン製造プラントだった教団の施設「第7サティアン」が宗教施設であるように装うため、その一部を自らの手で取り壊し、サリンの製造は中止された。

 教団は、自分の手で製造した70トンものサリンを霞が関や皇居に空中散布して大量殺人を実行し、混乱に乗じて自動小銃を持った信者が首都を制圧するという国家転覆計画を企てていた。

 記事が出たのは、教団がまさにサリンの量産に乗り出す直前のタイミングだった。この報道によって、教団のサリン量産と国家転覆計画は頓挫したと言ってよい。読売新聞は報道の報復として、自分たちの会社にサリンをまかれる可能性もあったわけで、勇気が必要だったと思う。おかげで多くの人々の命が救われた。

 今、そんな計画を聞いても荒唐無稽な印象を受けるかもしれないが、教団は実際、サリン散布のためにヘリコプターを購入していたし、自動小銃の試作品もでき、信者らの訓練もしていた。計画が実行されていれば、三日天下くらいは取られていたかもしれない。

(2011年11月22日10時44分 読売新聞)






最高裁判事に甲斐中辰夫氏 東京高検検事長
 10月6日で定年退官する井嶋一友最高裁判事の後任に、東京高検検事長の甲斐中辰夫氏(62)が20日、内定した。小泉首相が同日午前、首相官邸で山口繁最高裁長官に会って決めた。  政府や最高裁は井嶋氏が検察官出身のため、後任者についても検察官の中から人選を進めていた。  甲斐中氏は東京地検次席検事在任中、オウム真理教事件や薬害エイズ事件の捜査を担当。東京地検検事正当時は中尾栄一元建設相の受託収賄事件などを指揮した。  【最高裁判事】  甲斐中 辰夫氏(かいなか・たつお)中大卒。66年検事に任官。東京地検検事正、最高検次長検事を経て02年1月から東京高検検事長。62歳。兵庫県出身。
2002/09/20 03:22 【共同通信】