勤務実直12年、最後は無言のまま 一色保安官
2010年12月23日4時2分
自分が衝突映像を流出させた――。そう上司に名乗り出てから43日目、神戸海上保安部の一色正春・海上保安官(43)が22日、守秘義務違反容疑で書類送検され、辞職した。船乗りを夢見続け、海保で12年余り、実直に働き続けた保安官を流出に駆り立てたものは何だったのか。
「私から話せることはありません」
書類送検後、海保から1年の停職処分を受け辞職した一色保安官は22日夕、神戸市中央区の第5管区海上保安本部が入る庁舎を出る際、報道陣にそう言い残して去った。
事件後、健康上の理由で、乗務していた巡視艇「うらなみ」を離れた。事情聴取を受ける日々。年次有給休暇を消化する形で、5管には数えるほどしか出勤しなかった。
「こんな大胆なことをするとは」「びっくりした。そういうことをする印象はない」
一色保安官が衝突映像を流出させたと聞いた多くの知人らは、衝撃を受けた。
一色保安官は京都市出身。地元の中学卒業後、富山県の商船高等専門学校に入った。体格が良く空手も習っていた。同級生らによると、一見、近寄りがたいが、性格は気さくで友達も多かった。学校の実習船に食料品などを積み込む際、体の小さな同級生に「俺に貸してみろ」と言って代わりに荷物を運んだ。ふざけて雪の中に飛び込み、骨折するなど、お調子者の一面もあった。
当時は就職が厳しく卒業しても乗る船が見つからない時代。一色保安官と同級生らは「給料が安くても、船に乗る仕事がしたいな」と語り合っていたという。
ほかの職業を経て、98年に海上保安官に採用された。神戸に拠点を置く5管で勤務し、1年間韓国語を学んだ後、徳島や姫路を経て今年から巡視艇「うらなみ」の主任航海士を務めていた。
そんな一色保安官が、海保の端末機から尖閣諸島沖での衝突映像を持ち出したのは10月31日。事件の約2カ月後だった。持ち出した4日後には映像をインターネット上に流出させていた。
「政治的主張や私利私欲に基づくものではありません。ただ広く一人でも多くの人に見てもらい、一人ひとりが考え判断し、そして行動して欲しかっただけです」
動画投稿を上司に告白した後、5管庁舎を6日ぶりに出ていく際、公表したコメントには「確信」のようなものが垣間見えた。商船高専の同級生の間では支援の動きが広がり、弁護士費用をカンパした。
一方で、同僚らには「ご迷惑をおかけします」と謝って回り、「海保を辞めたい」と弱気なそぶりを見せていた。考え抜いた末、12月17日に5管の人事課長に辞職届を手渡した。受理されたのは、警視庁が書類送検し、海保が懲戒処分を発表した22日だった。
海保を去るこの日、5管本部長室で処分内容を申し渡す書類を受け取った一色保安官は、無言のままうつむいていたという。あのコメントだけがすべてなのか。一色保安官はいまだ語ろうとはしない。
一色保安官を知る20代の5管職員は「彼が願った通り、あの映像は多くの人の目に触れた。でも、本人が送検、処分、辞職となったばかりか、他の職員も処分された。今彼がどう思っているのか知りたい」。