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2012/04/11

毛沢東主義への回帰と経済・社会における国家の強力な役割を支持する「新左派」と総称される知識人にも人気の高い薄氏をうらやむ向きも多かった


中国政治

「ミニ毛沢東」薄熙来の失脚は必然だった

Bo's Fall Reveals China's Cult of Anti-personality

妻の殺人容疑も加わった疑惑の真偽はどうあれ、出世目前の薄が政界から消されなければならなかった理由

2012年04月11日(水)20時22分
エドワード・ハダス




  永久保存処理を施され、中国・北京中心部の霊廟に安置されている毛沢東の遺体は、今も多くの人々が拝観に訪れる。最高指導者として毛の跡を継いだ鄧小平は、遺灰を海に撒かせた。その後の中国指導者たちはさらに控え目だった。

  だが、毛沢東に対するのと同様の個人崇拝を現代中国に蘇らせることが可能だと考えた政治家がいた。「太子党」(党高級幹部の子息)の一人で重慶市の党委員会書記を務めていた薄熙来(ボー・シーライ)だ。結局、彼の考えは間違いだったようだ。

  薄は数カ月前まで、今秋の党大会で最高指導部・政治局常務委員会に入ると目されていた人物。中国政界の新星だった。彼の攻撃的な政治手法は、重慶市民には人気だった。開発を促進し、貧困層に優しい政策を推進したからだ。同時に、毛沢東を想起させる革命歌や銅像やスローガンを使ったりしていた。

  すると2月に、薄の部下である王立軍(ワン・リーチュン)副市長・前公安局長が米総領事館に駆け込む騒ぎが発生。事件の影響を受け、薄は3月に重慶市トップの共産党委員会書記の職を解かれた。

復帰の可能性も排除できないが

  そして4月10日、薄は党政治局員と中央委員の職務を停止された。一方妻の谷開来(クー・カイライ)は、昨年11月に重慶のホテルで死亡した英国人ビジネスマン、ニール・ヘイウッドの殺害容疑で身柄を拘束された。

  地元警察はヘイウッドの死因を「アルコールの過剰摂取」と断定し、検死もせずに遺体を火葬した。しかしイギリス外務省が中国政府に詳しい調査を要請していた。ヘイウッドは簿の妻子と知り合いで、谷とは仕事上対立していたという話もある。

  数々の疑惑の立証は困難だが、政治的には失脚は当然のなりゆきだろう。薄はあまりにも物議を醸し過ぎた。彼の処分が軽過ぎれば、共産党指導部が一枚岩でないことの証左と映っただろう。党の分裂状態が明らかになって、国民の間に経済的・社会的な不和が広まることを恐れる指導部は、団結を示す必要に迫られていた。

  薄の失脚が最終的に、中国の改革政策にとってどんな意味を持つかはまだわからない。おそらくはっきりと知ることはできないだろう。薄の運命すらどうなるか分からない。彼の政治生命は終わったとの見方が大半だが、復帰の可能性もあるという見方もある。

  どちらにしても、中国の野心的な政治家たちは薄の経験から学ぶだろう。目立つことを避け、家族や仲間の行動にもっと注意を払い、どんな悪事も完璧に隠蔽して否定できるようにしておくべきだ、と。

  共産党が求めているのは、言わば「非個人崇拝」とも言うべきもの。細心の注意で成長の舵を取っていく上で必要なのは、顔のない官僚組織。決して簿のような「ミニ毛沢東」ではない。党幹部やその家族が、権力や人脈を濫用するのはある程度仕方がない。ただし、バレることは許されない。










中国高官の美人妻は殺人犯だった 一大スキャンダル発覚の裏事情

2012/4/11 19:00
   中国・重慶市の共産党委員会書記を解任された薄煕来氏は、さらに党中央政治局員、中央委員の職を解かれる事態に発展した。

   さらに薄氏の妻が、2011年11月に英国人実業家が死亡した一件に関与している疑いがあるとして逮捕された。有力政治家だった薄氏の身内が殺人犯となれば、大変なスキャンダルだ。「美人弁護士」と言われた妻は、どんな人物だったのか。

「中国のジャッキー・ケネディ」も知名度いまひとつ

   薄氏の妻、谷開来氏はもともと弁護士で、中国共産党幹部だった父を持つ。その経歴は、米ウォールストリートジャーナル(WSJ)電子版2012年4月9日付の記事に詳しく書かれている。北京大学で法律と国際政治を学んだ後、1984年に調査のため訪れていた遼寧省大連近郊で薄氏と初めて顔を合わせ、約2年後に結婚した。薄氏も北京大学の卒業生だ。

   WSJや英BBCニュース電子版が描く谷氏の横顔は、エリート街道を歩んできた女性そのものだ。弁護士を志して1995年に事務所を開設、英語を流暢に話し、米国での裁判ではいくつもの中国の顧客企業を勝訴に導いて「中国でも最も成功を収めた法律家のひとり」として名をはせる。今から15年前に米国を訪れた谷氏と会った米国人弁護士は、美人で頭脳明晰なだけでなく快活でチャーミングな一面もある谷氏を、故ジョン・F・ケネディ元大統領夫人になぞらえて「中国のジャッキー・ケネディだ」と称えたという。

   2011年11月に重慶市のホテルで死亡した英国人のニール・ヘイウッド氏と薄・谷夫妻が知り合ったのは1990年代初めだ。以後、中国だけでなく米国や英国でも法律業を営むようになった谷氏は、ヘイウッド氏をビジネス上のアドバイザーとする。しかし、夫が98年の大連市長就任以後、2004年に商務部長、07年に重慶市トップの共産党委員会書記と階段を駆け上がる頃になると、谷氏のキャリアについては聞こえてこなくなる。WSJによると、数年前から精神的に不安定な状態に陥り、病院での治療を望んでいたとの証言も出た。ヘイウッド氏も、谷氏が汚職の疑いで取り調べを受けてからひどく神経質になったと友人にこぼしていたそうだ。

   ただ、谷氏は一般市民に広く知られている存在ではなかったと、中国事情に詳しいノンフィクション作家の安田峰俊氏は話す。数年前からインターネット上で「強い女性」として取り上げられることはあっても、中国の国民的歌手である彭麗媛氏(習近平国家副主席夫人)のように、世間の話題の中心になるような「有名人」とは違っていたようだ。

失脚前提に過去の「悪事」がばらされる

  中国国営の新華社通信は2012年4月10日、谷氏がヘイウッド氏の死に関与した疑いがあるとして身柄を拘束され、司法当局に送られたと伝えた。先のWSJの記事によると、ヘイウッド氏は生前、谷氏が身内に裏切られたと強く思い込んでおり、谷氏と仲たがいした後に「自身に危害が及ぶのではないか」と知人に話していたという。ヘイウッド氏の死因は当初アルコール中毒とされたが不審な点も多く、再捜査の末に谷氏の逮捕となった。

   仲たがいの原因はビジネス上の金銭のもつれとも言われているが、現時点では詳しくは分からない。ただ、薄氏の一連の解任とは関連がありそうだ。安田氏は、「中国では『悪事が明らかになったから失脚する』のではなく、『失脚を前提に、あれこれと悪いことがばらされる』のです」と説明する。中国の政治家は大なり小なり、あまり表ざたにしたくない「傷」を持っているようだが、通常それが暴露されることはない。だが権力闘争で失脚する者に対しての「理由づけ」として、過去の「罪」を表面化させることはあるという。元上海市長で2006年に失脚した陳良宇氏なども、はじめに失脚ありきのシナリオで、「汚職」を暴かれた可能性が高いそうだ。

   仮に妻が殺人犯となれば、薄氏本人が犯罪に手を染めていなくても身内の不祥事として、当然政治の表舞台に立ち続けるわけにはいかなくなる。今後、さらなる追い打ちがかけられるかもしれない。










党中央要職解任の薄熙来氏、エリート人生転落の顛末

2012年 4月 11日  11:50 JST
中国共産党は、重慶市党委員会書記の職を解かれた薄熙来氏が共産党中央の要職も事実上解任され、また同氏の妻、谷開来氏も英国人ビジネスマンのニール・ヘイウッド氏殺害容疑で拘束されたことを明らかにした。国営新華社通信が10日が伝えた。

学生の民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件以来最大の政治危機の発端となった今回のスキャンダルは、新華社通信の報道で驚くべき展開となった。

今回の事件で、今秋に10年に一度の最高指導部の交代が予定されている中国政界に混乱が生じているとともに、共産党支配を支える指導部の結束にダメージが広がっている。

新華社通信によると、薄氏は「重大な規律違反」があったとして政治局員と中央委員の職務を停止された。また、谷氏は現在、ヘイウッド氏の死亡事件に関連し、薄一家の雇用人とともに司法機関に拘束されている。二人は「意図的な殺人」に関与した疑いが「非常に高い」という。

同通信はヘイウッド氏について、谷氏とその息子と良好な関係を保っていたが、経済的な利害の対立が生じたという。ヘイウッド氏は薄夫妻の息子、薄瓜瓜氏と親しい間柄で知られていた。

新華社通信によると、中国の警察はヘイウッド氏死亡の捜査を再開するために捜査チームを立ち上げたという。

英国のヘイグ外相は10日、ヘイウッド氏死亡の調査再開を歓迎するコメントを発表した。

事の発端は、薄氏の元側近の王立軍・前重慶市公安局長が2月初め、中国・成都の米総領事館に亡命を求めたことにある。

王氏の薄氏に対する申し立ての1つが、昨年重慶市で死亡したヘイウッド氏が、薄氏の妻の谷氏ともめたことがきっかけで毒殺されたというもの。王氏は、薄氏との関係が破綻したのはこの情報を薄氏に伝えたあとだと主張している。

薄氏一家に近い筋によると、ヘイウッド氏は薄家が信頼する数少ないアドバイザーの1人だった。だが、ヘイウッド氏は死の数日前、身の危険を感じると友人らに打ち明けていた。ヘイウッド氏によると、谷氏は薄家の「取り巻き」のうちの誰かが薄家を裏切っていると強く思い込むようになっていた。

間違いなく中国で最もカリスマ性のある政治家だった薄氏は、中国革命の指導者として名高い薄一波氏を父に持ち、政治的台頭著しい党老幹部の子弟ら「太子党」の主力の1人だった。

だが、お膝元の重慶市で積極的な自己宣伝活動や毛沢東主義の復活に象徴されるポピュリスト(大衆迎合的)スタイルを推進し、中国共産党中央指導部に対して挑発的な態度を示していた。アナリストらによると、党老幹部は薄氏が党の集団指導体制になじまない可能性を危惧していた。

ウォール・ストリート・ジャーナルの調査によると、薄氏の妻の谷氏は過去20年にわたって中国や米国、英国でさまざまなビジネス活動に関わっていた。谷氏は自身が設立した会社を経営していた。社名は中国語でKailai、英語ではホーラス・L.・カイ法律事務所(Law Office of Horus L. Kai)。ホルス(ホーラスはHorusの英語式の読み方)は空、戦争、狩りをつかさどる古代エジプトの神の名前だ。

薄氏が重慶市で名を上げたのは、大々的な暴力団一掃運動を打ち出したことがきっかけ。ただし、リベラル派の弁護士らは、拷問の行使など薄氏が法律上の手続きを軽視しているとして非難していた。

今回の一件に関する報道は、政治的陰謀のとりことなった中国国民に熱心に読まれている。特に、中国で高い人気を誇るソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)サイトでは広い注目を集めており、中国の政治エリートの私生活や共産党最高指導部の政局を支配する政治的駆け引きに関心が高まっていることを示している。

中国版ツイッター「新浪微博」では、数名のユーザーが、薄氏の処分に関する決定を伝えるため10日夜に緊急開催された党会議に招集されたと報告している。党が決定事項の通達のために、これほど迅速かつ広範に動員を行ったことは、かつてないのではないかとの書き込みも一部みられた。

次期最高指導者に内定している習近平氏は、この件に関して直接言及していない。だが、薄氏が重慶市党委員会書記を解任されたあとに公表した論文で、仲間の指導者に対して、「大衆迎合」や「名声と富の追求」に走ることのないよう諭すとともに、1976年の毛沢東氏の死去以来進化を続けてきた、合意に基づく意思決定制度を順守するよう促した。

薄氏の同僚の多くは、2010年後半に重慶市を訪れた習氏を含め、薄氏が同市で展開していた政策を称賛していた。アナリストらによると、薄氏の政治モデルは当初は多くの政治指導者の心をつかみ、重慶市民のみならず、毛沢東主義への回帰と経済・社会における国家の強力な役割を支持する「新左派」と総称される知識人にも人気の高い薄氏をうらやむ向きも多かった。

薄氏が重慶市党委員会書記を解任されたあと、後任には張徳江副首相が就任している。

記者: Jeremy Page, Brian Spegele and Andrew Browne











※週刊ポスト2012年4月20日号

中国次期トップ習近平氏 反日カード切る可能性指摘の声

2012.04.10 16:00
今年、中国の次期最高指導者になることが確実視されている習近平氏だが、重慶市トップの薄熙来・党委書記が3月15日に突如解任されるなど、水面下では激しい権力闘争が繰り広げられている。こうした難局を習氏はどう乗り切ろうとしているのか、中国問題に詳しいジャーナリストの相馬勝氏が解説する。

* * *

あまり知られていないが、習氏は2年前、次期最高指導者としての地位が危うくなり、うまく切り抜けた前例がある。 
2010年秋の党中央委員会総会の開催中に、内陸部の四川省を中心に、学生らが暴徒化し激しい反日デモが起きた。その裏で糸を引いていたのが習氏だという情報がある。 
当時の党中央委総会では開催前、習氏の党中央軍事委員会副主席就任という重要人事が協議、採択されるという情報が飛び交っていた。この役職は次期最高指導者に内定したことを示す最重要ポストである。 
しかし、党中央委総会が同年10月14日に開幕したあと、北京では「習氏の軍事委副主席人事は先送り」との情報がしきりに流れた。これと符合するように、10月16日から四川省成都市などを中心に学生らによる暴動に近い反日デモが繰り広げられたのだ。そして、党中央委総会最終日の18日、新華社通信が至急電で「習近平国家副主席が党中央軍事委副主席に選出された」と伝えた。 
この報道を待っていたかのように、激しい反日デモはぴたりと止んでしまったのである。これは江沢民・前国家主席らの上海閥や軍部、さらに習氏も属する太子党(幹部子弟グループ)が危機感を募らせ、一致団結して、胡錦濤主席ら中国共産主義青年団(共青団)閥への反撃に出た結果とみることができる。 
今回も、追いつめられた習氏が「反日カード」を使う可能性は十分にある。新華社電は3月31日、中国の国家図書館と上海交通大学が同日、東京裁判の判決内容などを総合的に研究する「東京裁判研究センター」設置に向けた合意書に調印したと伝えたのだ。 
中国における反日的な愛国主義運動が江氏の国家主席時代に始まったことは周知の事実であり、江氏自身は筋金入りの反日派と知られる。上海交通大学は江氏の母校であり、そこに東京裁判研究センターが設置された裏には、江氏の影が見え隠れしている。習氏と江氏は同じ上海閥として太いパイプを持っている。同センターの設置には、習氏の意向も働いていることはまず間違いない。 
在京の外交筋が明らかにしたところでは、これを裏付けるように、4月に来日する予定だった李克強、王岐山の両副首相の計画がキャンセルになった。この相次ぐ訪日中止は胡主席が直接指示しており、「対日関係は秋の党大会に向けて、権力闘争の火種になる」との判断によるものだという。 
胡主席自身も今年2月、日中友好7団体との会見を突然中止している。表向きは沖縄県・尖閣諸島周辺を含む無人島への命名に対する不快感表明だが、「実際は、この時期に日本と親密な関係を示せば、反日の急先鋒である江氏に批判される可能性があるからだ」(同筋)との胡主席の読みがあるという。