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2012/01/14

平田容疑者と斎藤容疑者は東大阪市内の狭い地域で長期間にわたり潜伏していたことになる

オウム事件:150メートル先でも生活、狭い地域に潜伏--斎藤容疑者
 元オウム真理教幹部の平田信(まこと)容疑者(46)と、同容疑者をかくまったとして逮捕された斎藤明美容疑者(49)が、約14年前から東大阪市の自宅マンションに入居するまで、すぐ近くの別のマンションに住んでいたとみられることが、捜査関係者への取材で分かった。

 2人は17年近い逃亡生活のうち、同市内の狭い地域で長期間にわたり潜伏していたことになる。

 捜査関係者によると、このマンションは逮捕直前まで生活していたマンションの南約150メートル。斎藤容疑者の勤務先の整骨院が従業員寮として借りたもので、住民の話ではワンルームタイプが多く、家賃は5万円前後という。

 一方、平田容疑者はオウムに入信直後の88年ごろ、大阪市淀川区内のマンションに出入りしていたことも判明。住民の女性は「当時部屋に大勢の信者が出入りし、幹部も見たことがある」と話す。

 警察当局は、ある程度土地勘がある平田容疑者が潜伏先として大阪を選んだ可能性があるとみている。

毎日新聞 2012年1月14日 東京朝刊




最終更新 1月11日 0時53分
オウム事件:出頭の元信者の女逮捕「16年8カ月一緒」

目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件などで特別手配されていた元オウム真理教幹部、平田信(まこと)容疑者(46)=逮捕監禁致死容疑で逮捕=をかくまって逃走を助けたとして、警視庁捜査1課は10日、出頭してきた元信者の斎藤明美容疑者(49)を犯人蔵匿容疑で逮捕した。斎藤容疑者は「ずっと一緒にいた」と容疑を認めているという。警視庁は、東大阪市の自宅マンションや勤務先の整骨院を家宅捜索し、17年近くに及ぶ逃亡生活の解明に乗り出した。

 逮捕容疑は、平田容疑者が仮谷さん事件などの容疑者と知りながら、04年6月ごろから11年12月31日にかけて、自宅マンションでかくまったとしている。警視庁は、裏付けが取れた期間だけを逮捕容疑としたが、95年ごろから一緒に逃走していたとみており、他に支援者がいないか慎重に調べる。

 斎藤容疑者は10日未明、平田容疑者との接見を続けている滝本太郎弁護士に付き添われて、仮谷さん事件の捜査本部がある大崎署(東京都品川区)に出頭した。警視庁は、容疑が発覚する前に名乗り出たとして、自首として取り扱う。

 警視庁によると、斎藤容疑者は「吉川祥子(よしかわ・しょうこ)」という偽名を使い、東大阪市内の整骨院で受付などをしており、「10年ぐらい前から働いていた」と話している。自首した理由は「自分のしたことにけじめをつけたかった」と説明しているという。

 斎藤容疑者の出頭に付き添った滝本弁護士によると、斎藤容疑者は「16年8カ月、一緒にいた」と話しているという。「福島、宮城、青森県の後、仙台市から大阪に行った」と説明。当初の2年近くは福島、宮城、青森の3県に潜伏し、その後は大阪府に移ったと説明している。大阪では「警察や周囲の人に気付かれそうになると移動した」といい、3カ所を転々とし、最後の7年間は東大阪市のマンションで暮らしていた。この間、平田容疑者は転居の際以外は外出しなかったという。

 捜査関係者によると、斎藤容疑者は95年5月、看護師をしていた東京都内の教団付属医院から逃走。福島県の実家などを転々とし、7月ごろに8日間、同県猪苗代町のコテージに平田容疑者とみられる男と宿泊した。11月ごろには、仙台市内の日本料理店に「山口今日子」の偽名で就職し、従業員用アパートで平田容疑者と同居していたとみられている。

 警視庁は当時、平田容疑者の逃走支援者として斎藤容疑者をマーク。96年2月15日には、上京した斎藤容疑者を都営地下鉄三田線白山駅から追跡したが、JR新宿駅周辺で見失った。同日、東京駅の東北新幹線ホームの防犯カメラに姿が映っていたが、その後の足取りは途絶えていた。【内橋寿明、村上尊一】



◇福島→宮城→青森→大阪…逃亡ルート 偽名で職転々


 特別手配されていた元オウム真理教幹部、平田信(まこと)容疑者(46)の逃走を助けたとして10日、犯人蔵匿容疑で逮捕された元信者、斎藤明美容疑者(49)。出頭に付き添った滝本太郎弁護士が読み上げた斎藤容疑者のメッセージには「ずっとずっと偽名で生活し、仕事をしてきました。偽りの人生は終わりにします」と心境が記されていた。

 斎藤容疑者はオウム真理教との関係について「最初に(平田容疑者が逃走資金の)お金を受け取った後は、教団や元信者から何の援助も受けておらず、連絡も取り合っていない」と話しているという。

 斎藤、平田両容疑者は内縁関係にあり、子供はいないという。斎藤容疑者は転居のたび偽名を変え、仲居や喫茶店員、事務員として働き、生計を支えた

 斎藤容疑者は事件から16年が過ぎたため、「もう罪にならない」と思っており、平田容疑者の出頭後に弁護士に相談するつもりだったという。また、教祖だった松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)については、「絶対者で、異常な世界だった。2人とも麻原の法廷での態度にすっかり幻滅した」と話したという。

 滝本弁護士は、「オウム事件の被害者の方々には長く逃げて本当に申し訳ありませんでした。私は17年ぶりに本名を名乗りました」などとする斎藤容疑者のメッセージも読み上げた。斎藤容疑者の出頭を聞いた平田容疑者はほっとした様子だったという。【松本惇、喜浦遊】

毎日新聞 2012年1月11日 0時42分(最終更新 1月11日 0時53分)






オウム事件:斎藤容疑者「都会に紛れ潜伏」仙台から大阪へ
 元オウム真理教幹部、平田信(まこと)容疑者(46)をかくまっていたとして逮捕された元信者の斎藤明美容疑者(49)が「都会に紛れて潜伏しようと考えた」と供述していることが捜査関係者への取材で分かった。両容疑者は身辺に捜査が迫った96年2月、仙台市から姿を消しており、警視庁は、より人混みに紛れやすい大阪に逃れたとみている。

 捜査関係者によると、斎藤容疑者は95年11月~96年2月、仙台市内の日本料理店に偽名で勤務し、従業員寮のアパートに平田容疑者と住んでいたとみられる。この間の96年2月15日、警視庁の捜査員が上京していた斎藤容疑者を東京都内で発見し、尾行したが、JR新宿駅付近で見失った。斎藤容疑者は翌日、料理店に電話で退職を伝え、部屋に2組の布団などを残したまま行方をくらました。警視庁は、尾行を察知した可能性があるとみている。

 その後の約15年間、大阪府内に潜伏していたことについて、斎藤容疑者は逮捕後の調べに「都会には人が多いので、気づかれにくいと思った」という趣旨の供述をしているという。出頭に付き添った滝本太郎弁護士にも「警察や周囲に気づかれそうになると転居し、そのたびに偽名を変えた」と説明しており、最近まで住んでいた東大阪市のマンションは、偽名で勤務していた整骨院が借り上げた部屋だった。【内橋寿明、小泉大士、喜浦遊】


◇平田容疑者の服、出頭時任意提出
 斎藤明美容疑者の弁護人の滝本太郎弁護士は11日、斎藤容疑者が出頭時に自分の携帯電話のほか、平田信容疑者の衣類や失効した運転免許証を任意提出したと明らかにした。平田容疑者の衣類などは警視庁の家宅捜索では見つからなかった

 また、滝本弁護士によると、斎藤容疑者は出頭前の4日、勤務先の東大阪市内の整骨院に「親元に帰らないといけないので、今月中にやめます」と伝えていた。出頭後に迷惑が掛かることを考慮したという。

 滝本弁護士は11日付で平田容疑者の弁護人を辞任したことも明らかにした。斎藤容疑者の弁護をすることから、「利害対立の危険性がある」と説明している。

毎日新聞 2012年1月12日 2時36分(最終更新 1月12日 3時33分)







平田容疑者と“愛の逃避行”?元女性信者の評判
2012.01.10
 オウム真理教による公証役場事務長の逮捕監禁致死事件で、逮捕された元幹部の平田信容疑者(46)と一時共に逃亡していたとされる元教団看護師、斎藤明美容疑者(49)=犯人隠避容疑などで指名手配、公訴時効成立=が10日未明、弁護士に付き添われて警視庁大崎署に出頭。警視庁は平田容疑者の逃走を手助けした犯人隠避の疑いで、同日逮捕した。

 捜査関係者によると、斎藤容疑者は、逮捕後の平田容疑者と面会を続けている滝本太郎弁護士と共に10日午前3時すぎに大崎署に現れ、「(平田容疑者を)かくまっていた」と話している。

 滝本弁護士によると、斎藤容疑者は「平田容疑者と14年以上、大阪府内に潜伏していた」と語っているという。平田容疑者から斎藤容疑者が東大阪市にいることを聞いた滝本弁護士が、同市まで迎えに行った。

 捜査関係者によると、平田容疑者も東大阪市にいたなどと話しているといい、警視庁では同市周辺に潜伏先があったとみて割り出しを急いでいる。

 斎藤容疑者は福島県出身。1980年代に看護師となり、病院などに勤務後、93年春に退職してオウム真理教に入信した。教団の「治療省」に所属し、東京都内にあった教団付属医院で修行していたが、95年3月の地下鉄サリン事件直後の教団への一斉捜索以降、行方が分からなくなった。

 95年12月ごろから約3カ月間、仙台市宮城野区の飲食店に「山口今日子」という偽名で勤務。従業員用アパートには平田容疑者も潜伏していたとみられる形跡があった。

 当時の斎藤容疑者を知る関係者は「勤務態度は非常にまじめだった」と振り返る。「一身上の都合」を理由に突然、店を辞める際、10万円ほどの給料を東京都新宿区の福祉施設に振り込むよう言い残したという。それ以降、斎藤容疑者の足取りはぷっつりと途絶えた。

 ■犯人隠避罪 罰金以上の刑に当たる罪を犯した者をかくまうなど、捜査機関による犯人の特定や逮捕を妨げた場合に適用される。かばおうとした人物が犯人との認識が必要となる。いわゆる「身代わり出頭」も該当する。違反した場合は2年以下の懲役または20万円以下の罰金が科せられる。








元オウム真理教平田信と斎藤明美容疑者 仙台生活の実態
2012.01.13 16:00


元オウム真理教の幹部で、約16年間逃亡していた平田信容疑者(46)が12月31日、警察に出頭し、翌日監禁致死の容疑で逮捕された。また、平田をかくまった元信者の斎藤明美容疑者(49)も犯人秘匿容疑で逮捕された。

二人は1995年11月からは仙台で過ごした。斎藤が仙台市内の割烹店で働き、店が借り上げているアパートで暮らした。

1996年2月、捜査員はようやくこのアパートの存在を突き止めたが、部屋に踏み込んだ時、斎藤の姿も平田の姿もそこにはなかった。ドアの上の磨りガラスには白い紙が貼られ、部屋のカーテンはすべて閉められていた。浴室の窓にも目貼りが施されるなど、外の世界との関係を完全に遮断した部屋には、2組の蒲団が残されていたほか、使用済みコンドームが見つかったという話もある。

斎藤は捜査員が訪れる数日前にアパートを引き払い、3か月勤めた割烹店に「一身上の理由で」とだけ電話で告げて辞めていた。わずかな差で取り逃がした捜査員たちは、2人の生活実態の解明が今後の捜査に不可欠として、周囲に徹底的な聞き込みをする。

近隣住民から得られた証言の中には、女性の一人暮らしだと思っていたその部屋から時折、男女の営みの声が聞こえた―というものまであった。周囲に気付かれまいと声を押し殺し、それでもなお漏れる2人の声を捜査員は“聴き”、姿なき平田を“見た”のである。

当時取材に当たっていたジャーナリストの吾妻博勝氏がいう。

「信者らの話を聞くと、斎藤は教育係として熱心に指導してくれた平田を好きだったようです。それでも当初、平田から『逃亡支援をしてくれないか』と頼まれた時は、一度は断わった。平田は当時、長官襲撃事件の犯人といわれていたし、とばっちりを受けたくなかったのでしょう。

その後、どういう心変わりがあったのかは分かりませんが、斎藤は平田と行動をともにするようになった。平田は彼女の好意をうまく利用して、逃亡生活に協力させたのでしょうが、すぐに男女の関係になった」

そして斎藤は、平田を捜す唯一の手がかりとして、警察にマークされ続けた。

「斎藤が実家に戻ったのは1995年10月29日が最後。出頭前日に実家に電話をして『私を見ていて』などと留守電にふきこむまでの間、斎藤から実家に連絡があった形跡はない」(捜査関係者)

家族との関係も完全に断ち切り、女は思いを寄せる特別手配の男との逃亡生活に身を投じていたのである。

※週刊ポスト2012年1月27日号