ページ

2011/11/21

電通のドン、成田豊氏が死去=82歳

成田豊氏死去=元電通社長
 電通の社長、会長を歴任し、株式の東証1部上場を果たした成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日午前0時57分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去した。82歳だった。葬儀は近親者のみで行い、お別れの会を後日開く。喪主は長男哲(あきら)氏。連絡先は電通広報部。

 日本統治下にあった現在の韓国・天安市生まれ。東大法卒。1953年電通入社。地方紙向けの広告を集める地方部に配属され、新聞広告畑を歩んだ。93年社長、2002年に会長就任。04年に最高顧問兼電通グループ会長に就き、10年に名誉相談役に退いた。

 社長時代には、地域子会社設立や海外展開、東証1部への株式上場、新社屋の建設、広告のデジタル化対応などを推進、電通を世界的な広告代理店に押し上げた。 

 81年のローマ法王来日や98年の長野オリンピック開催、02年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓大会の運営にも尽力大学での講座開設などを通じて中国の広告業育成にも貢献した。09年に旭日大綬章を受章した。(2011/11/21-11:17)

http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&rel=j7&k=2011112100050&m=rss




成田豊・元電通社長が死去
2011/11/21 2:16
 電通の元社長で、日本広告業協会会長などを務めた成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日午前0時57分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去した。82歳だった。

 日本統治下にあった現在の韓国・天安市で生まれ、1953年電通入社。新聞担当の営業が長く、新聞やテレビ各社だけでなく、各国の要人・首脳と幅広い人脈を築いた。93年に社長就任、2001年11月に東証1部に株式上場を果たし、仏広告大手との提携を決めた。

 02年の会長就任後は海外事業を主に担当、中国や韓国などとの交流を深めた。04年最高顧問、10年名誉相談役。日本広告業協会の会長なども歴任した。

 08年8月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。





電通元社長、成田豊氏が死去 日韓W杯共催を後押し
2011.11.21 09:43
 広告代理店最大手の電通元社長で、日本広告業協会会長などを務めた成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日、肺炎のため死去したことが21日分かった。82歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男、哲(あきら)氏。

 日本統治下の朝鮮半島で生まれ、昭和28年に電通入社。新聞雑誌局長、営業局長などを経て、平成5年に社長に就任した。13年の東証1部への株式上場や14年の東京・汐留への本社移転などで手腕を発揮したほか、同年の会長就任後も、電通の海外との連携を指揮した。

 16年には、同社最高顧問に就任。17年に社団法人・日本広告業協会の会長も歴任し、名実共に日本広告界のトップとして活躍した。

 韓国で生まれ、日本と韓国の友好にも力を注いだ。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会では、共同開催を後押しした。21年には、韓国政府から修交勲章光化章、日本政府からは旭日大綬章を受章した。