2011/10/31 15:08 KST
【ソウル聯合ニュース】韓国カトリック教会のソウル大教区が伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根(アン・ジュングン)を聖人の前段階に位置付けられる福者に列するための作業に着手したことが31日、分かった。
ソウル大教区は資料調査や検討作業を経て、安重根を含む551人を福者の対象者に選定し、韓国カトリック主教会にリストを提出した。
安重根は1895年に洗礼を受け、出身地の黄海道(現北朝鮮)で宣教活動を行った熱心なカトリック教徒だった。伊藤博文を暗殺した行為がカトリックが禁じている「殺人行為」に当たるとして、長年にわたりカトリック教徒としてに認められなかったが、1993年に復権を認められた。
故金寿煥(キム・スファン)枢機卿は安重根の復権について、「日本帝国主義の武力侵奪に対抗し、独立戦争を遂行する過程で起こした行為だった。正当防衛であり、義挙とみなすのが妥当」と再評価した。
伊藤博文暗殺の安重根が「準聖人」になるのか 韓国カトリック教会が「福者」に推薦
2011/11/ 5 18:30
初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した民族活動家の安重根(アン・ジュングン)に対して、韓国のカトリック教会が「聖人」に準ずる「福者」に認定しようという動きを始めている。
韓国では「民族の英雄」とされるものの、日本では「テロリスト」と受け止める向きが多く、今後波紋を広げそうだ。
暗殺は「正当防衛であり、義挙」と韓国の枢機卿
安は1879年に現在の北朝鮮・海州(ヘジュ)で生まれ、1909年に中国・ハルビンで伊藤博文を暗殺。その場で逮捕され、翌1910年に処刑された。安は1895年に洗礼を受けてカトリック信者になり、「トマス」という洗礼名も持っていた。ただし、伊藤の暗殺が殺人を禁じたカトリックの教義に反するとして、安は長い間カトリック信者だとは認められてこなかった。だが、1993年になって復権が認められている。聯合ニュースによると、復権当時、韓国人としては初めて枢機卿になった故・金寿煥氏は、安の行動を「正当防衛であり、義挙とみなすのが正当」などと暗殺を正当化したという。
それから20年近くたって、さらにその動きが加速しつつあるようだ。韓国メディアが2011年10月31日の報じたところによると、安を「聖人」に準じる「福者」に推薦しようという動きが進んでいる。なお、カトリック教会が正式に福者として認めることを「列福」という。
現時点では、韓国のカトリック教会のソウル大教区の「列福列聖準備委員会」が安を含む551人を列福推進対象者に選び、その上部組織にあたる韓国カトリック司教協議会の列福列聖司教特別委員会に名簿を提出。その内訳は、近現代の「信仰の証人」24人と、朝鮮王朝統治下の殉教者527人。
これら527人の推薦理由は「殉教者として卓越した信仰の模範を示した」というもので、推薦理由を示すための写真、手紙などの資料や、証言を収集しているという。
手続きは簡単ではない
だが、これまでの列福の経緯を見ると、実際に列福されるまでのハードルは非常に高い。韓国の教会だけで列聖を決めることはできず、バチカンのローマ教皇庁に資料を送った上で、ローマ教皇庁が2度目の審査を行う。また、列福される人は、殉教者以外は最低1つの「奇跡」(超自然現象)を起こしている必要があり、調査には大変な時間がかかるとされる。
最近のケースでは、97年9月に死去したマザー・テレサは03年10月に、05年4月に死去したヨハネ・パウロ2世が11年5月に、それぞれ列福されているが、これは異例中の異例。数百年がかりになることも珍しくない。
例えば、日本人で最も最近に列福されたのは、08年のペトロ岐部ら188人。この188人はいずれも徳川幕府の禁教令による殉教で、1600年代前半のことだった。
記事入力 : 2011/11/05 09:49
故ヨハネ・パウロ2世の毛髪と血液が韓国に
「生前、韓国に格別な愛情」
信徒に遺体の一部を公開
「平和の使徒」こと教皇ヨハネ・パウロ2世(1920‐2005)の毛髪や血液など遺体の一部が、韓国の修道院で信者たちに公開されている。聖人の死を慎み敬うのは、カトリック教会で昔から伝わる慣習だ。
天主教使徒会(パロッティ会)韓国支部の京畿盆唐本院の院長、カメンスキ・ヤレック神父は「今年7月初め、教皇の秘書を務めた枢機卿と教皇庁から教皇の遺体の一部を受け取り韓国に戻った。現在、本院に毛髪、江原道・洪川の『神様の慈悲の避静の家(カトリック信者らが社会から離れて祈りをささげながら過ごす施設)』に血液が安置され、信者たちに公開している」と4日語った。
天主教使徒会は、19世紀のイタリアの聖人ヴィンセント・パロッティの名前を取り「パロッティ会」と呼ばれる。1990年に修道会の会員だったポーランドの神父2人が初めて韓国を訪れ、現在は韓国支部の修道会員8人のうち神父3人と修道士1人がポーランド人だ。ヤレック神父は「教皇の祖国ポーランドの出身者として、生前韓国に格別な愛情を示された教皇の遺体をお連れするため、教皇が福者品(死後聖人になることが公式に認められる前に公式に恭敬できると教会が認めたことを示す地位)に認定される前から、複数のルートを通じて要請した」と話した。ヨハネ・パウロ2世は在任中、84年と89年の2回来韓した。とりわけ、84年には韓国の殉教者103人に対する諡聖式(死後聖人に確定する際に行う儀式)を執り行った。2005年4月に死去したヨハネ・パウロ2世は、今年5月に天主教の歴史上、最も短い期間に聖人の前段階に当たる福者となった。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/05/2011110500443.html
2009年05月19日11時02分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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「死の前に立った」金大中氏救ったローマ法王の手紙を公開
1980年5月18日に全羅南道光州(チョンラナムド・クァンジュ)で起きた民主化運動(以下・5.18光州民主化運動)を背後で操縦した「内乱陰謀」の首謀者とされ、死刑が確定した金大中(キム・デジュン)元大統領の命を救う過程で、当時のローマ法王が寄与したことを推測させる文書が公開された。
19日、光州日報が国家記録院から入手した資料によると、当時のローマ法王だったヨハネ・パウロ2世は、内乱陰謀事件で死刑を言い渡された金元大統領の減刑を要請するメッセージを、80年12月11日、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領宛てに送った。
当時、全大統領は91年1月5日付の「回答書信」で「(金大中氏は)いかなる政治的な理由ではなく、単に違法な方法と暴力で、合法的な政権を転覆しようとした反国家的犯罪によって裁判を受けているのであり、依然最高裁に係留中」とし「(ローマ法王の)訴えが全的に人道レベルの配慮と慈悲によるものだという点に留意する」と答えた。
金元大統領は最高裁で死刑が確定した状況だったが、ローマ法王をはじめとする国際社会の救命運動によって、無期懲役に減刑された。減刑に接したヨハネ・パウロ2世は同年2月14日、全大統領宛てに親書を送り「閣下が速やかに配慮してくれたことに、感謝の言葉を申し上げたい。閣下に最大の敬意を表し、立派な韓国民に神様の加護と恩恵があるよう祈りたい」という立場を伝えた。
金元大統領は懲役20年に減刑された後、82年に刑が執行停止となって米国に亡命しており、87年に赦免、復権された。自身の大統領任期を終えた03年、裁判所に内乱陰謀事件の再審を請求し、翌年無罪判決を言い渡された。
「金大中内乱陰謀事件」は80年に新軍部が「5.18光州民主化運動」を「金大中氏らによる内乱陰謀」に捏造した事件だ。同事件で、金元大統領をはじめ、故・文益煥(ムン・イクファン)牧師と李海チャン(イ・ヘチャン)元国務総理など当時の民主化運動の関連人物ら24人が苦難を経験した。
http://japanese.joins.com/article/440/115440.html?servcode=200§code=200