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2011/04/09

相馬野馬追 「一騎となろうとも伝統を守ることが地域復興への貢献」

東日本大震災:相馬野馬追、馬激減で中止か たとえ一騎でも /福島
 東日本大震災の影響で、7月23~25日に予定されていた国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の開催が危ぶまれている。舞台となる相馬地方が被災し、多くの「騎馬武者」が愛馬を喪失。東京電力福島第1原子力発電所の放射性物質漏えい事故で、主要会場が屋内退避区域(原発から半径20~30キロ)となった。1000年の歴史を誇る文化財の最大の危機。武者たちは「一騎となろうとも伝統を守ることが地域復興への貢献」とくつわを並べ、出陣への方策を練っている。【高橋昌紀、中島和哉】


 ◇開催へ全国から支援 「危機の時こそ武士の意地」
 4本の脚に痛々しい傷がある白馬が、寄り添うように頭を近づけてきた。南相馬市原町区の厩舎(きゅうしゃ)。「馬主仲間から預かった大事な『家族』です。野馬追に何とか出場させてやりたい」。乗馬クラブ経営の大滝康正さん(59)が優しいまなざしを注いだ。

 その馬が傷を負ったのは、震災直後の津波に流されたためだ。飼い主の稲田一哉さん(37)が見つけ出した時、海水を飲んで腹が膨れ、脚から流血していた。稲田さんの厩舎も流され、大滝さんが友人の“宝”を介抱することになった。

 大滝さんの厩舎は、屋内退避区域にある。所有する計13頭のうち、7頭を県外避難させており、いつ避難指示が出るかは分からない。大滝さんは「馬と共に相馬の男も女も生きてきた。馬専用の輸送車を準備し、もしもの時に備えています」と話す。

 相馬地方の5地区の武者でつくる「五郷騎馬会」(高田正雄会長)によると、震災前には240頭ほどの馬がいたが、現在は100頭ほどに減っている。地震による直接被害のほか、生き残った馬も飼料不足や厩舎の損壊などが原因で県外に移送されたり、売却されたりした。なかには放れ駒となり、飢餓状態で徘徊(はいかい)中に保護されたケースもあった。

 特に南部の2地区は原発の放射性物質漏れによる避難指示(原発から半径20キロ以内)を受けた。馬を移動させる手段がないため「泣く泣く、厩舎に置き去りにした馬主もいる」(騎馬会)という。馬主自身が家族や家を失うなど、困難な状況にある。

 さらに、甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦などの主要会場となる雲雀ケ原祭場地(南相馬市)が、屋内退避区域に含まれている。原発事故は収束のめどが立っておらず、代替会場の確保も難しいとみられる。

 一方で、外部からの支援の輪は着実に広がっている。全国乗馬倶楽部振興協会(東京)などは飼料を提供し、栃木や群馬など県外の厩舎などが馬の一時避難を引き受けている。騎馬会の高田会長は「危機の時こそ、武士(もののふ)の意地を示し、祭りでお返しをしたい」と話した。

 政府は7日、南相馬市の屋内退避を避難指示に切り替える可能性を示した。しかし、騎馬会では野馬追を開催する方向で、事務局の市などと協議を進める方針だ。同会は馬場が必要な神旗争奪戦などは開催困難だが、騎馬行列などの行事は可能とみている。今月下旬までに幹部役員らを招集し、一定の方向性を決めたいという。

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 ■ことば

 ◇相馬野馬追
 地方豪族・相馬氏の祖とされる平安時代中期の武将、平将門の軍事訓練が起源といわれる祭り。地元3神社の神事としても伝承される。1978年に国の重要無形民俗文化財に指定された。南相馬市を中心に例年、500騎ほどが参加。3日間の日程で、武者行列や神旗を奪い合う「神旗争奪戦」、奉納用の馬を素手で捕らえる「野馬懸(かけ)」などが繰り広げられる。

毎日新聞 2011年4月9日 地方版















「相馬救援隊」立ち上げ 旧藩主子孫の兄弟
 東日本大震災に伴う津波で沿岸部が壊滅的な被害を受けた福島県相馬市で、旧相馬藩主の子孫が地元のためにボランティア団体「相馬救援隊」を立ち上げ、食料や衣類を被災住民に届けている。

 救援隊は、北海道大樹町で牧場を経営する相馬行胤(みちたね)さん(36)と、陽胤(きよたね)さん(35)の兄弟が東京都内の友人らと結成した。インターネットなどで物資の提供や運搬協力を呼び掛け、トラック数台で東京都内の倉庫から相馬市まで運んだ。
 福岡市で会社を経営する陽胤さんは「震災報道を見て居ても立ってもいられず、相馬に戻った。何かできることはないかと救援隊を結成した」と話す。
 兄、行胤さんは34代目に当たる。毎年7月に開かれる国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の総大将を務める家柄で、兄弟ともに地元で「若殿」と呼ばれ、親しまれている。
 北海道と相馬を行き来しながら、これまでに東京から4度、支援物資を集めた。事務所代わりの相馬中村神社に運び込んだ物資は、市内の避難所や隣の新地町や南相馬市にも配られた。
 物資不足はある程度解消されたものの、現在も相馬市内では、約1900人が避難生活を送る。救援隊は今後、沿岸部の復興など長期的な支援を視野に入れる。
 今年は相馬藩の居城、相馬中村城開城から400年。相馬野馬追は週末開催に変更されるなど、転機の年だ。「野馬追は飢饉(ききん)や太平洋戦争の時も中止しなかった。災害になんか負けない」と、陽胤さんは力強く前を見る。(加藤敦)


2011年04月06日水曜日