ページ

2013/07/09

東電、吉田元所長が死去 

東電福島第1原発の元所長、吉田氏が死去 58歳 

2013/7/9 17:08 (2013/7/9 19:41更新) 記事保存





 2011年3月の東日本大震災の際、東京電力福島第1原子力発電所の所長として原発事故対応の陣頭指揮を執った吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳だった。告別式の日取りなどは未定。

 10年6月に福島第1原発所長に就任。原発事故の直後、原子炉を冷却する海水の注入中断を東電本店から指示されたが、注水を続けた。

 事故後初めて報道陣の取材に応じた11年11月には、「3月11日から1週間は死ぬだろうと思うことが数度あった。炉心溶融がどんどん進み、コントロール不能になる。終わりかなと思った」と語っていた。

 食道がんと診断され、同月に入院。翌12月に所長を退任した。昨年7月には脳出血を起こし、療養を続けていた。

 東電によると、吉田氏が原発事故後に浴びた放射線量は計約70ミリシーベルト。東電はこれまで「被曝(ひばく)が原因で食道がんを発症するには少なくとも5年はかかるとされており、事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」との認識を示している。






吉田元所長が死去=福島第1原発事故で陣頭指揮

 東京電力福島第1原発の事故発生時の所長で、約8カ月にわたって収束作業の陣頭指揮を執った吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳だった。

 大阪府出身。東京工業大大学院で原子核工学を専攻し、1979年4月、東電に入社した。原子力部門を歩み、福島第1、第2原発に勤務。2010年6月、第1原発所長に就任した。

 11年3月11日の事故発生後は、同原発の免震重要棟で陣頭指揮に当たった。首相官邸の意向を気にした東電幹部から、原子炉冷却のため行っていた海水注入の中止を命じられた際には、独断で続行を指示。行動は一部で高く評価された。

 一方、事故直後の対応では、政府の事故調査・検証委員会などが判断ミスを指摘。原発の津波対策などを担当する原子力設備管理部長時代に、十分な事故防止策を行わなかったことも判明した。(2013/07/09-18:17)

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2013070900691






東電・吉田元所長死去 広瀬社長「社員を代表して心より感謝」

東京電力福島第1原発の事故の際に、ときには政府や本店と対立しながら、現場で陣頭指揮を執った吉田昌郎元所長が、9日午前、食道がんのため、東京都内の病院で亡くなったことがわかった。58歳の早すぎる死に、被災者からも、惜しむ声が上がっている。

東京電力によると、吉田元所長は、東京都内の病院で病気療養中だったが、午前11時32分、食道がんのため、亡くなったという。

仮設住宅の住民は、「一生懸命やっていただいた方ですからね。具合が悪いと、ちょっと聞いていた。残念ですね」、「事故の収束に、いろいろ立ち向かった一番肝心な人が、長く生きて、いろんなことをお話ししてほしかった。ただただ、ご冥福をお祈りしたいというのが、今の心境ですね」と話した。

訃報を受け、東京電力の広瀬直己社長は、「事故時の所長として、所員を束ね、文字通り、決死の覚悟で事故対応にあたっていただきました。社員を代表して、心より感謝いたします」と、コメントを発表している。

(07/09 18:31)









吉田昌郎・元東電原発所長が死去、食道がん-日本を救った音 

 7月10日(ブルームバーグ):東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生時に陣頭指揮を執った吉田昌郎元所長が9日午前、食道がんのため都内の病院で死去したと発表した。58歳だった。

吉田氏は2011年3月11日以降、病気を抱えたままで事故収束に向けて第一線に立ち続けた。休日に帰京する際は通院していたが、同年12月1日付で現場を離れがんの治療に専念していた。東電は吉田氏の病名公表時に、同氏の3月11日以降の被ばく線量が70ミリシーベルトと許容範囲内だったことから、病気は事故とは無関係との判断を示していた。

吉田氏は現場の最高責任者として首相官邸や本社との対立を恐れずに指揮を執り続けた。東電本社が「首相の了解が得られていない」として海水注入の中止を命じたのに対し、吉田氏はこの指示を無視して注水を継続し被害の拡大を防いだ。

昨年7月に約2日間にわたり吉田氏にインタビューをし、事故当時の現場での対応について、ノンフィクション作品「死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五00日」を書いた門田隆将氏は、ブルームバーグの取材に対し「吉田氏は日本を救った男だ」と指摘。「日本を救うという使命を果たした後に余生を楽しむことなく亡くなってしまったことは非常に残念」と語った。「非常に求心力のある男で、当時の部下数人にも話を聞いたが、みんな吉田さんとなら一緒に死んでも良いと当時考えていたほどだ」と振り返った。

人が住めない東京

事故当時原子力安全委員会の委員長だった斑目春樹氏は門田氏に吉田氏が対応していなければ、日本は北海道、人の住めない東北・関東、そして西日本に3分割されるような事態に陥っていたと話したという。命令を無視して注水を続けたりリーダーシップを発揮したりした吉田氏がいなければ、「今、東京は人が住めないような場所になっていた」と門田氏は述べた。

吉田氏は、11年12月の所長退任時に出した文書で「震災以来一緒に仕事をしてきた皆さんとこのような形で別れることは断腸の思いですし、ご迷惑をおかけすることになり心よりおわびいたします」と謝罪。「私も治療に専念し一日も早くまた皆さんと一緒に働けるよう頑張ります」と決意を示していた。 

東電の広瀬直己社長は9日、「吉田元所長のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまに心からお悔やみ申し上げる」とのコメントを発表した。「持ち前の明るい大きな声で陣頭指揮を執る姿に出会えることを心待ちにしていたが、東電の再生に向け共に働くことができず無念でならない」と述べた。


更新日時: 2013/07/10 00:00 JST









「決断力で事故拡大防いだ」=菅元首相

 民主党の菅直人元首相は9日、東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長が死去したことについて、「本当に残念だ。大変なリーダーシップを発揮し、決断力を持って事に当たっていただいた。原発事故が拡大しないで済んだのは、吉田氏によるところが大きかったと思う」とコメントした。東京都立川市で記者団に語った。



〔写真特集〕福島原発~厳しい表情で東電本社を後にする菅氏~


  原発事故発生当時、菅内閣の経済産業相だった同党の海江田万里代表は、党本部で記者団に「吉田氏の頑張りで日本が救われた。東電本社と原発を結んだテレビ会議で吉田氏は、納得できないことにはべらんめえ口調で反論していた。日本の現場力の強さを象徴する人物だった。心からご冥福をお祈りする」と述べた。

 一方、安倍晋三首相はTBSテレビの番組で「(事故当時)大変な努力をされた。ご冥福をお祈りしたい」と語った。(2013/07/09-21:58)

  http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013070900858





2013年7月9日21時42分

「原発のない社会作るのは、意思の問題だ」 菅・元首相


■菅直人元首相


 東京電力福島第一原発の所長だった吉田昌郎さんをはじめとする皆さんの努力があって、そこまでいきませんでしたが、原発事故は一歩間違えば半径250キロ、人口で5千万人が家を離れ、仕事を離れて避難しなければいけなかった。日本の国土の3分の1のところから5千万人の人が逃げる。戦争以外にこれだけの被害をもたらす事故を私は知りません。

 「国家として機能しなくなっても、日本社会は耐えうると思って原発をまた使おうとしているんですか」と安倍晋三首相に聞きたい。安倍さんだけでなく一人一人考えるべきだ。原発のない社会を作ることこそが原発事故をなくす。決して技術的に難しいわけではない。意思の問題だ。(東京都立川市での無所属候補の応援演説で)


http://www.asahi.com/politics/update/0709/TKY201307090323.html