浜田幸一元衆院議員、死去
自民党・元衆院議員の浜田幸一氏(83)自宅で死去(08/05 11:50)
「ハマコー」の愛称で親しまれた自民党の浜田幸一元衆議院議員が5日午前、千葉県富津市の自宅で亡くなっているのが見つかりました。83歳でした。詳しい死因などは分かっていません。関係者によりますと、4日までは元気だったということです。
元衆院議員「ハマコー」浜田幸一氏が死去
「ハマコー」の愛称で知られ、政界引退後はテレビ出演などをしていた元衆院議員の浜田幸一氏が5日朝、心不全のため千葉県富津市の自宅で死去した。83歳。千葉県出身。葬儀・告別式は未定。
千葉県議を経て、1969年に衆院議員に初当選。ラスベガスでバカラ賭博をし大敗していたことが80年に発覚し議員辞職、83年に返り咲いた。
87年には衆院予算委員長に就任したが、88年2月、委員会で当時の宮本顕治共産党議長を「殺人者だ」と発言。引責辞任するなど、たびたび物議を醸し“政界の暴れん坊”の異名を取った。
93年の引退後、出版した「日本をダメにした九人の政治家」はベストセラーになった。テレビドラマやバラエティ番組にも出演した。
2010年8月、担保株を売却して融資元に2億円の損害を与えたとして背任罪で起訴されたが、公判では無罪を主張。認知症が進み訴訟能力に疑問があるとして、千葉地裁が訴訟継続の可否を検討していた。(共同)
[2012年8月5日12時46分]
浜田幸一元衆議院議員 死去
8月5日 12時50分
「ハマコー」の愛称で知られた、元衆議院議員の浜田幸一氏が千葉県内の自宅で亡くなりました。
83歳でした。
浜田氏は、昭和3年に現在の千葉県富津市で生まれ、地元での青年団活動や千葉県議会議員を経て、昭和44年の衆議院選挙に自民党公認で旧千葉3区から立候補し初当選しました。
その後、昭和48年に、中川一郎氏や渡辺美智雄氏、石原慎太郎氏らと共に、派閥横断の政策集団「青嵐会」を結成し、アメリカを始めとする自由主義諸国との連携の堅持や、自主憲法の制定を訴えました。
浜田氏は、「ハマコー」の愛称で知られたほか、昭和54年の「四十日抗争」と呼ばれた自民党の党内抗争では、反主流派が築いたバリケードを強行突破する姿が、テレビで繰り返し流され、武闘派と呼ばれました。
また、昭和55年にはラスベガスのカジノでの賭博行為が発覚し、議員辞職に追い込まれるなど、発言や行動が物議を醸すことが多く、合わせて7回、当選しましたが、閣僚を経験することなく、平成5年に政界を引退しました。
政界引退後も、テレビ番組に出演したり、ツイッターで積極的に発言したりする一方、知り合いの会社から借金をした際に担保にした株券を無断で売却したとして、おととし8月に背任の罪で起訴されていました。
浜田幸一氏死去、83歳 政界の暴れん坊・ハマコー節
「政界の暴れん坊」の異名をとった元衆院議員の浜田幸一(はまだ・こういち)さんが死去したことが5日、分かった。83歳だった。
26歳で千葉県富津町(現富津市)議に初当選。県議を経て、41歳の時、旧千葉3区から衆院議員に。自民党副幹事長や衆院予算委員長を歴任、当選は7回を数えたが、「ハマコー節」といわれる歯に衣着せぬ物言いで、たびたび物議をかもした。1980年には、ロッキード事件がらみの裁判で検察が、米ラスベガスでのとばくで150万ドル(当時のレートで4億6千万円)を負け、返済の一部にロッキード社からの資金が使われたと指摘、議員辞職に追い込まれた。83年に返り咲いた後も、予算委員長の立場で、共産党の宮本顕治議長(当時)を「殺人者」と呼び国会が混乱、委員長を辞任した。
その後、テレビのバラエティー番組などに出演していたが、2010年8月、借金の担保として差し出した有価証券を無断で売却したなどとして、背任容疑で逮捕、起訴されたが、病気治療のため、千葉地裁での公判は停止となっていた。