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2012/01/04

新宿青酸ガス事件に関与した元信者の男は、96年11月に埼玉県警に出頭した際、平田容疑者について「死んでいる」と話していた。

(上)全国転々…死亡説も 遺族「すべて話して」
2012.1.3 10:32 (2/3ページ)





 16年10カ月も逃亡を続けた平田はどんな人物なのか。

 昭和55年、札幌市の中学から私立高校に入学。「目立たないコツコツ型」(同級生)で、教室の片隅で読書にふける物静かな少年だった。生活態度も良く、3年間で欠席は1日だけ。

 射撃部(エアライフル)に所属し、3年の時にはインターハイに出場し、団体戦11位(28チーム中)、個人戦45位(90人中)。札幌商科大(現札幌学院大)に進学。都内の衣料品メーカーに就職したが、1年もたたずに辞め、63年8月に教団に入会した。後に「ポーシャ」というホーリーネームを名乗った。

 空手やボクシングが得意だったことから、元教祖で死刑囚の麻原彰晃(56)=本名・松本智津夫=の警護を担当。役職は「車両省」次官。「尊師を守るのに必要」と教団幹部に短銃の入手を依頼したこともあったとされる。射撃歴などから、国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件への関与も取り沙汰された。

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 「母さん、おれは関係ない」。平田は2回、北海道の実家に電話し、身の潔白を訴えた。地下鉄サリン事件の2日後で警視庁が山梨県上九一色村(当時)の教団施設を家宅捜索した平成7年3月22日と、長官銃撃事件後の同4月14日。

 仮谷が拉致された1週間後の同3月7日には、同村の教団施設で逃走資金1千万円を受け取っていたことがその後の捜査で判明する。母親に電話したときにはすでに逃亡生活に入っていたのだ。埼玉、三重、徳島、福島、宮城、愛知…。その足取り=表=をたどると、転々と居場所を変えていたことが分かる。

 麻原が逮捕された翌日の同5月17日にも実家に「元気でやっている」と電話。だが、6月下旬になると、自首を勧める友人に電話で「警察が怖い。いま出頭したら、長官銃撃事件の犯人にされる」と話していた。

 このころから、教団の女性信者(49)=犯人隠避容疑で指名手配、時効成立=と一緒にいたとされる。女性信者は7年12月から8年2月まで、仙台市内の飲食店で働いており、平田は店の従業員寮に潜伏していた形跡もある。

 その後、足取りは途絶えたが、新宿青酸ガス事件に関与した元信者の男=殺人未遂幇助(ほうじょ)罪で実刑=が8年11月に埼玉県警に出頭した際、平田について「死んでいる」と供述したことから「死亡説」も流れた





96年2月以降、足取り途絶える=一時死亡説も、逮捕の平田容疑者
 16年以上にわたる逃亡の末、警視庁丸の内署に出頭して逮捕されたオウム真理教元幹部平田信容疑者(46)。逃亡中の足取りはほとんど分かっておらず、警視庁は潜伏先や逃走資金の入手方法について本格解明を進める。

 捜査関係者などによると、平田容疑者は教団幹部から逃走資金として1000万円を受領。教団の女性信者=犯人隠避容疑で指名手配、時効成立=と行動を共にしていたとみられる。女性信者は1995年12月~96年2月の約3カ月間、仙台市宮城野区の飲食店で働いており、同容疑者は店の従業員寮に潜伏していた可能性があるという。

 その後の足取りは途絶え、新宿青酸ガス事件に関与した元信者の男=殺人未遂ほう助罪で実刑=は、96年11月に埼玉県警に出頭した際、平田容疑者について「死んでいる」と話していた。

 警視庁は教団施設周辺での張り込みや、人混みで顔などの特徴から容疑者を捜す「見当たり捜査」などを継続。昨年、北海道に住む平田容疑者の母親が亡くなった際にも入院先や葬儀に捜査員を派遣するなどして行方を追っていた。(2012/01/01-09:17)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201201/2012010100044










新宿駅青酸ガス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新宿駅青酸ガス事件(しんじゅくえきせいさんガスじけん)は1995年4月30日、5月3日、5月5日の三回、カルト新興宗教のオウム真理教が東京都の新宿駅地下トイレに毒ガスである青酸ガスの発生装置を仕掛けたテロ未遂事件、特に5月5日の事件をいう。別名として新宿駅地下トイレ青酸ガス事件、新宿青酸ナトリウム装置事件などとも呼ばれる。

結末 [編集]前二回は発生装置の故障によってガスが発生せず、また三回目となる5月5日の事件でも装置は作動したものの清掃作業員によって装置が発見・移動されたことから、ガスが発生する前に駅員によって処理され、大事には至らなかった。事件後実行犯として特定された信者の八木沢善次(戦前の同名の著述家とは別人である)、松下悟史は同年11月9日付けで殺人未遂容疑で全国に指名手配され、両名の似顔絵と写真が掲載されたポスターが各地の地下鉄駅などに張り出された。八木沢は翌1996年11月14日所沢で出頭して逮捕され、松下も同月の24日逮捕された。 八木沢の出頭時の様子はワイドショーでも報道され、大声で名乗りながら出頭してきたなどと状況が詳しく語られた。