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2011/12/27

福島第一原発事故 政府事故調査・検証委員会 中間報告要旨=2

東日本大震災:福島第1原発事故 政府事故調中間報告 要旨(その2)



5・原発外での事故対応
 環境放射線モニタリング

 地震と津波で、福島県が設置した24台のモニタリングポストのうち、23台が使用できなくなった。モニタリングカーでの計測は、12日早朝から開始。13日以降、県と文部科学省の職員がモニタリングカーを用いて空間線量率の測定、大気浮遊塵(じん)や土壌の採取を行った。しかし、地震で道路状況が悪化、初期活動は思うように進まなかった。


2 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)情報の活用と公表

 政府の原災マニュアルでは、実用炉の事故の場合、保安院は緊急時対策支援システム(ERSS)を起動して放出源情報を把握し、文科省などに連絡することとしている。今回は、地震による外部電源喪失により、ERSSへのデータ送付ができなくなったため、放出源情報を基にしたSPEEDIによる放射性物質の拡散予測はできず、避難区域設定に活用することもできなかった。

 3月11日午後4時49分、文科省の指示で原子力安全技術センターは原発から毎時1ベクレルの放出(単位量放出)があったと仮定し、気象データなどを用いて1時間ごとの放射性物質の拡散予測計算(定時計算)を開始した。

 同センターは定時計算の結果を文科省、ERC、安全委員会、オフサイトセンター、福島県庁などに送付した。これらの組織は、実際の放射線量を示すものではないなどの理由から、具体的な措置の検討には活用せず、またそれを公表する発想もなかった。


3 住民の避難

 福島県災対本部は原子力緊急事態宣言を受け、原発から半径2キロ圏内に避難指示を出すことを検討。佐藤雄平知事は11日午後8時50分、大熊、双葉両町に対し、指示を出した。

 一方、班目委員長、平岡保安院次長、東電幹部が官邸5階に集められた。炉心損傷を避けるにはベントを行う必要があること、ベントを実施しても3キロを避難範囲とすれば十分であるなどの意見を踏まえ、3キロ範囲の避難、3~10キロの屋内退避の指示が決定された。

 1号機の原子炉格納容器圧力が異常上昇し、12日未明、避難範囲の再検討が行われ、避難範囲を10キロに拡大することが決められた。

 12日午後3時36分、1号機原子炉建屋で爆発が発生し、官邸5階で20キロの範囲で避難指示を出すことが決められた。同日午後8時32分、菅首相は国民へのメッセージを発表。枝野幸男官房長官は格納容器の爆発ではなく、放射性物質が大量に漏れ出すものではない旨説明した。

 14日の3号機の爆発、15日の4号機原子炉建屋3階での火災などの後、原災本部は15日午前11時、県知事と関係自治体に20~30キロ圏内の居住者に屋内退避を指示した。


4 被ばくへの対応

 東電幹部は、法令の定める線量限度を順守していては事故収束作業が難しくなると判断し、安全委員会や保安院に相談。3月14日午後、官邸で緊急作業時の線量限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げることが決められた。文科省の放射線審議会は同日深夜から翌日未明にかけメールで審議し、妥当と答申した。11月1日、限度を100ミリシーベルトに戻した。

 従業員の被ばくを契機に、東電は5月2日、敷地全域を管理区域と同等の区域と定め、警報付きポケット線量計の携行などを義務づけた。

 延べ人数で福島県人口の1割を超える20万人以上がスクリーニングを受け、102人が全身除染の対象になった。

 安全委員会は、スクリーニングで一定レベルを超えた者に安定ヨウ素剤の服用を指示すべきだとするコメントをERCに送付した。しかし、現地対策本部には伝わらなかった。安全委員会は3月15日、避難範囲内の入院患者が避難する際に安定ヨウ素剤を投与すべきだとの助言を出し、ERCはこれを現地対策本部にファクスした。しかし、現地対策本部は福島県庁への移転作業中で、ファクスに気づいたのは同日夕方だった。


5 農畜水産物や空気・土壌・水の汚染

 厚生労働省の担当者は食品対策の必要性を認識したが、原災法で一貫して行うのが適切と考え、同省所管の食品衛生法に基づく対応は考えていなかった。農水省は農産物の風評被害を防ぐためには被災地以外も含めて一般的な基準が必要と考え、3月16日に厚労省に、放射性物質に関する食品衛生法上の基準を設定するよう要望した。厚労省は、安全委員会が国内の原子力事故を想定して設定した飲食物摂取制限の指標をそのまま規制値として採用した。

 19、20日に福島県の原乳、茨城県などのホウレンソウ、群馬県のかき菜から暫定規制値を超える放射性物質が検出されたことを受け、原災本部長はこれらの出荷制限を指示した。その後も出荷制限は続いた。

 福島県は30日、現地対策本部に学校などの再開の基準を示してほしいと要望し、文科省は事故収束後の状況について国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準が年間1~20ミリシーベルトだったことから、その上限を基準とした。児童生徒が屋外にいる時間を1日8時間と仮定し、毎時3・8マイクロシーベルトを一つの目安とした。5月12日以降、毎時3・8マイクロシーベルト以上が測定された学校はない。


6 汚染水の発生・処理

 4月2日午前10時ごろ、2号機取水口付近の電源ケーブルを収めるピット内に表面線量が毎時1000ミリシーベルトを超える高濃度汚染水が滞留し、ピット脇のコンクリートの亀裂から海洋に汚染水が流出しているのを作業員が発見した。

 東電は汚染水の貯蔵スペース確保のため、4月2日から集中廃棄物処理施設の水を4号機タービン建屋に移送していたが、4日朝に隣接する3号機タービン建屋立て坑内の汚染水水位が急上昇したため中止。これとは別に5、6号機の建屋内に地下水が浸水し、重要な電気機器が健全性を失う恐れがあった。東電本店で保安院、安全委員会、東電の職員は集中廃棄物処理施設の水などを海洋に放出するための事務手続きを開始。同日午後3時までに菅首相、枝野官房長官、海江田経産相の了解を得た。

 その後、東電と現地対策本部は関係する自治体、漁業協同組合連合会等に海洋放出について連絡した。事務作業開始から菅首相の了解を得るまでの間、外務省や農水省などの国内関係機関、国際原子力機関(IAEA)、各国に海洋放出予定を伝えていなかった。


7 放射性物質の総放出量の推定と国際原子力事象評価尺度(INES)

 保安院は原子炉の状態を解析するプログラムを用い、1~3号機から大気中に放出された放射性物質の総量をヨウ素換算値で77万テラベクレルと推計、6月6日に公表した。安全委員会はモニタリング結果等を用いて総量を推計し、ヨウ素換算値で57万テラベクレルとなった。

 保安院原子力防災課原子力事故故障対策・防災広報室長は3月11日、IAEAに「レベル3」と評価した旨報告した。翌12日、IAEAに「レベル4」と報告。12日の1号機爆発に加え、14日の3号機建屋の水素爆発、15日の敷地内の放射線量の急上昇などを総合し、18日に「レベル5」と判断した。

 4月12日、深野弘行・保安院原子力災害特別対策監と広瀬研吉・内閣府参与は菅首相に、暫定INES評価が「レベル7」になる旨説明した。


8 国民への情報提供の問題

 保安院の中村幸一郎審議官は12日午後2時の記者会見前、寺坂保安院長に敷地内の放射線量が高くなっていることなどから、炉心溶融の可能性が高い旨報告した。寺坂保安院長は「事実がそうなら、そのように言うしかない」と告げた。中村審議官は記者会見で「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうか」と説明した。

 この後、寺坂保安院長は官邸で発表に対する懸念の声があったとの情報を受け、発表前に官邸の了解を得るよう広報担当者に指示。他の審議官を介して中村審議官に、発言に注意するよう指示した。

 中村審議官は同日午後5時50分の記者会見まで担当したが、その後、院長に交代を申し出て、野口哲男首席統括安全審査官に交代。野口審査官は午後9時半の記者会見で「炉心が破損している可能性はかなり高いが、正確には分からない」と説明し、炉心溶融という表現を使わなかった。

 政府は事故後、放射線の人体への影響に関し、たびたび「直ちに影響を及ぼすものではない」と説明した。この表現については、「人体への影響を心配する必要はない」と理解する者と、「直ちに影響はないが、長期的には影響がある」と理解する者があり得る。いずれの意味で用いているのかが必ずしも明らかでなく、踏み込んだ説明もなかった。


9 国外への情報提供の問題

 東電は4月4日、比較的汚染度の低い滞留水を海洋に放出することとしたが、事務作業に関与した保安院職員の中で諸外国への通報の必要性を認識、指摘した者はなく、決定後の記者会見を見ていた職員がIAEAに電子メールで連絡した。外務省が全外交団に電子メールやファクスで伝えたのは、放出開始後だった。


10 諸外国、IAEAとの連携(略)

6・事故予防と拡大防止
1 原子力施設に対する安全規制(略)

2 地震対策

 東電は06年9月の耐震設計審査指針改定後、基準地震動を算出し、原子炉建屋や安全上重要な機器・配管系について、耐震安全性が確保されていると判断した。保安院、安全委も妥当と判断した。


3 津波対策

 土木学会が02年に「原発の津波評価技術」を公表。過去の津波の痕跡などから津波を起こす地震のモデルを想定し、想定津波を選ぶ設計津波水位の評価方法が示された。評価技術に基づき、東電は福島第1の6号機の非常用ディーゼル発電機、海水ポンプの電動機のかさ上げなどを実施、保安院に報告したが、特段の指導はなかった。

 その後、安全委員会が耐震指針検討分科会を設置したが、津波や海岸工学の専門家は含まれなかった。保安院は指針改定を受け、新耐震指針に照らした評価手法(バックチェックルール)を策定、各電力会社に実施を求めた。その津波の評価手法は、土木学会の津波評価技術と酷似したもので、津波評価技術が公表された02年以降に明らかになった新知見について、保安院は体系的な調査、検証作業をしなかった。

 東電は、バックチェック指示を受け、福島第1、第2原発の作業を進めたが、国の地震調査研究推進本部(推本)が02年に示した「1896年の明治三陸地震と同様の地震は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性がある」という知見の取り扱いが問題となった。08年2月ごろ有識者の意見を求め、遅くとも同年5月下旬から6月上旬までに、最大で福島第1敷地南部で15・7メートルという想定波高の数値を得た。この波高を知った吉田昌郎原子力設備管理部長の指示で、武藤栄原子力・立地副本部長らへの説明と社内検討が始まった。同年7月31日、武藤副本部長、吉田部長に、防潮堤の設置で津波の遡上水位を1~2メートル程度低減できるが、数百億円規模の費用と約4年が必要と説明があった。

 武藤副本部長と吉田部長は「示されているような津波は実際は来ない」と考えていた。推本の長期評価の取り扱いは評価方法が確定しておらず、ただちに設計に反映させるレベルのものではないことなどを東電の方針として決定した。東電は同年10月ごろ、有識者らを訪ね、社内検討結果の理解を求めたところ、特段否定的な意見は聞かれなかった。その一人の佐竹健治・東京大地震研究所教授は、869年の貞観地震のシミュレーションの論文を渡し、それに基づいて東電が波高を試算したところ、福島第1で最大9・2メートル、第2で同8メートルという結果を得た。

 吉田部長は、佐竹論文に基づき試算された波高の津波も実際は来ないと考えていたものの、土木学会に検討を依頼することにした。また福島県沿岸での津波堆積(たいせき)物調査も決めた。09年12月~10年3月、福島県沿岸で津波堆積物調査をした結果、貞観地震津波の堆積物が福島第1より10キロ北の南相馬市などで発見された。

 東電はその後、必要となるかもしれない津波対策の内容を、いわば頭の体操的に検討した。しかし、当時の小森明生原子力・立地副本部長には報告されていなかった。

 東電が提出した福島第1の5号機、第2の4号機の耐震安全性評価の中間報告書に対する評価について、09年6月、7月に経済産業省総合資源エネルギー調査会のワーキンググループで、委員から貞観地震津波を考慮すべきだとの意見が出された。この指摘を受け、保安院の審査官が同年8月上旬ごろ、東電に説明を要請した。東電の担当者は吉田部長に相談し、従来の東電の方針と佐竹論文に基づく試算の波高を説明する意向を述べたところ、吉田部長は波高は説明不要と指示した。

 保安院の審査官は波高が8メートル台ならば、ポンプの電動機が水没して原子炉の冷却機能が失われることを認識した。だが、保安院の室長らは対策工事を講じるよう要求したりせず、上司の森山善範審議官にも報告しなかった。

 森山審議官は10年3月、部下から「貞観地震津波は簡単な計算でも敷地高は超える結果になっている。防潮堤を造るなどの対策が必要になると思う」と報告を受けた。しかし、具体的な波高を確認せず、ワーキンググループで議論してもらうこともしなかった。

 保安院は11年2月22日、文科省から、推本の長期評価で貞観地震に関する最近の知見も踏まえた改定を同年4月ごろに予定しているとの情報を得た。同日に東電に連絡し、福島第1、第2の津波対策の現状について説明を要請した。

 11年3月7日、保安院で東電は文科省に、改定案ついて「貞観地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい。貞観地震が繰り返し発生しているようにも読めるので、表現を工夫してほしい」と要請したことを説明した。保安院の室長らはこのヒアリングの内容を上司に報告しなかった。


4 シビアアクシデント対策

 シビアアクシデントの一つに全交流電源喪失(SBO)がある。米スリーマイル島原発事故を踏まえ、原発の安全設計審査指針を全面改定し、「原子炉施設は、短時間の全交流動力電源喪失に対して、原子炉を安全に停止し、かつ、停止後の冷却を確保できる設計であること」とした。安全委員会の検討では、外的事象(地震、洪水などの自然災害)によるSBOの可能性は論じられていない。

 安全委員会や通商産業省は、シビアアクシデント対策を国内に導入するにあたり、規制要求にすると、現行規制の不備、欠陥を意味することになり、過去の説明と矛盾が生じるのではないかとの議論があった。しかしアクシデントマネジメントが重要であることが国際的に広く認識され、各国で採択され始めていた。このため、安全委と通産省は、規制ではなく、事業者が主体となって更なる安全を確保するとして整備を進めることとなった。

 また、通産省が92年7月に出したアクシデントマネジメントの整備に関する通達は、事業者側と文言調整がされたとの供述が得られている。同様に、通産省で「シビアアクシデント」「過酷事故」という言葉が嫌われたとの供述もある。東電関係者へのヒアリングでは、地震に対するアクシデントマネジメントの難しさを考え、通達に明示的に書かないよう調整したとの供述が得られている。

 東電は02年5月までに福島第1、第2のアクシデントマネジメントを整備し、保安院に報告。外的事象は対象外とされていた。東電が、想定を超えた自然災害が発生した場合のシビアアクシデントへの対策を検討することまではしていなかった理由について、武藤栄顧問、小森明生常務、吉田昌郎福島第1原発所長をはじめとする幹部らは、皆一様に「対処を考えたことはなかった」と述べ、「想定すべき外部事象は無数にあるので、想定し始めるときりがない」と述べた幹部もいた。吉田所長は「新潟県中越沖地震の際、柏崎刈羽原発で事態を収束させることができたことから、設計が正しかったという評価になってしまった」と述べた。


5 津波対策・シビアアクシデント対策についての基本的な考え方(略)


6 複合災害時の原子力災害対応

 保安院は09年4月、「複合災害時の原子力防災マニュアルの作成上の留意事項の素案」を、総合資源エネルギー調査会小委員会に提出した。しかし素案は、複合災害が発生する蓋然(がいぜん)性は極めて低く、現在の防災体制を基本に対策を検討することが合理的との結論を示した。地方などからも、複合災害対策の策定は大規模自然災害が原子力災害を引き起こすとの誤解を招く懸念がある、と策定自体に批判的な意見が寄せられた。保安院は10年10月、自然災害が原子力災害を引き起こす可能性はほぼゼロに等しいと判断、複合災害対策も現行に沿って取り組むという方針を決めた。

 今回の事故は、地震によって発生した津波等により原子炉を冷却する装置が使用できなくなるなど、プラント自体が壊滅的な打撃を受けたのみならず、事故発生後の対応でも、地震・津波が原因となって人手不足や通信・交通インフラに障害が起き、事故対応、避難措置に困難が生じた。原子力災害と同時に自然災害が発生する事態を想定していなかったためと考えられる。


7 原子力安全・保安院の規制当局としてのあり方

 今回の災害で、保安院は情報収集機能を適切に果たせず、事故の初期段階に、官邸や関係省庁が求める情報を適時適切に提供できず、福島第1の状況についても十分な説明ができなかった。

 保安院は、情報の収集・把握のハブとしての役割を果たす自覚と問題意識に欠けていた。

 官邸やERCにいた者が現場の作業状況を把握できず、ベントの実施について現場との認識の共有が十分できていなかったため、菅首相の福島第1原発訪問などの国側の対応に影響を与えた。

 保安院が役割を果たせなかった背景には、全電源喪失という非常事態での現場の対処や具体的な知識・知見を十分に持っていなかったという事情があるのではないか。

 原子力保安検査官は、3月12日午前5時ごろにオフサイトセンターに退避した。この時期は1号機格納容器の圧力が異常に高い状態が続くなど現場の状況確認の必要は極めて高い状況が続いていた。この時期に保安検査官が退避するという判断が適切であったかは甚だ疑問が残る。非常事態に国として事故対処を担うべき自覚に欠けたのではないか。

 現地対策本部が実施したモニタリング結果について、保安院は一部しか公表せず、ほとんどが公表されたのは6月3日になってからだった。SPEEDI情報も、広報の要否について踏み込んだ検討を加えず、ERCは公表しなかった。保安院は、非常時において情報を確実に管理し、必要性があるものについては確実に公表することの重要性について、組織全体に徹底していなかった。


8 原子力安全委員会のあり方

 原発の地震・津波対策のための指針の策定が十分かつ迅速であったかについて今後も検証を続ける必要がある。

毎日新聞 2011年12月27日 東京朝刊