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2011/11/20

村は基金を取り崩すなどして和解金約9億2000万円を支払った。だが結果として、和解後に地下鉄サリン事件を起こす教団に資金を与えることになった。

オウム真理教:「教団幹部は反省して」 熊本旧波野村の今
 189人が起訴されたオウム真理教の一連の事件は、元幹部の遠藤誠一被告(51)=1、2審死刑=に21日、最高裁で判決が言い渡される。上告が棄却されれば全公判が終結する。教団の進出に村を挙げて抵抗した熊本県波野村(現阿蘇市)は、受け入れをめぐる教団との裁判闘争で年予算の半分に近い約9億円の和解金を支払った。教団の村進出から21年。オウムの傷は今も残る。【銭場裕司】



 村の旧庁舎から車でおよそ15分。山林や牧草地の間を走る砂利道を抜けると、赤さびた鉄の扉があった。教団が「生活棟」や「研究棟」としてプレハブを建てた波野道場の跡地(約15ヘクタール)。今は草木に覆われ、教団の撤退を祝した「村を守る会」の記念碑だけが残る。

 「世界が沈没しても波野は残る」。松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の指示で教団が村に来たのは90年5月。静かな山村を資材を積んで走る大型トラックに、村民は異変と気付いた。

 進出反対運動をけん引した同会の初代代表で、元村教育長の楢木野元一(ならきの・もとかず)さん(85)は今、熊本市で暮らす。当時約2000人の村民に対し、教団の信者は6000人とも言われた。「村を乗っ取られる強い危機感があった」

 守る会は「団結小屋」を建てて動きを監視し、教団と全面対決した。楢木野さんは「毎日が戦争だった。よく命があったと思う」と振り返る。個々の信者には疑問が解けないままだ。「話してみると悪い人間ではなかった。なぜあの教祖を神様のように信じたのか」

 当時の村助役、岩瀬治茂さんは3年前に亡くなった。村職員だった弟の国興(くにおき)さん(68)は林道の通行規制を守るよう教団に求めた。松本死刑囚から抗議され、信者から「明るい日ばかりじゃないぞ」と脅された。

 波野道場は教団の九州最大の拠点になる。転入届を受理しない村は、教団側が受け入れを求めた裁判で93年に地裁で敗訴。村は控訴し、94年に撤退を条件に和解した。村は基金を取り崩すなどして和解金約9億2000万円を支払った。だが結果として、和解後に地下鉄サリン事件を起こす教団に資金を与えることになった。旧村関係者は「当時は教団が犯罪集団と断定されていなかった。今となっては悔しいが、ぎりぎりの選択だった」と明かす。

 教団による事件の公判は、まもなく決着する見通しだ。国興さんは「裁かれた幹部は(全員が)非を認めて反省してほしい」と願う。05年の合併まで村長を務めた阿蘇市議の市原新(あらた)さん(65)は「反対運動に力を注いだ人が生きているうちに、裁判結果を伝えたかった」と話した。

毎日新聞 2011年11月20日 22時07分(最終更新 11月20日 23時56分)