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2011/06/10

小沢先生は『それは辞めると書いてあるのか』と尋ねてきた。『辞めるとは書いてありません』と言うと『じゃあ、どうやってそれを担保するのか』と。

鳩山氏が語る、首相に退陣迫った2度の会談
2011/6/10 4:00
 鳩山由紀夫前首相は日本経済新聞のインタビューに答え、菅内閣不信任決議案の否決に至る経緯などについて語った。


 ――5月31日夜に首相公邸で菅直人首相と2人きりで会談しました。

 「最初は福島の原発事故の話を相当しました。その後『ここに来た理由がある』と切り出し、『不信任案が可決する可能性もあるし、可決しなくても党が分裂状況に追い込まれる。互いの知恵で避ける必要があるのではないか』と言いました」

 「首相に『どのぐらいこれからもなさりたいのか』と尋ねた。首相は『そんなに長くしようとは思わない。ただ、首相の責務がある。その責任は果たしたいんだ』と言った。私が『それはいつまでか』と聞くと、首相は『代表選の頃までだろう』と言った。すなわち来年9月までだった」

 「衆院で不信任案が可決しなくても参院で首相問責決議案もある。歩み寄りが難しいと思い、あえて詰めず、結論を出さずに退出した」


 ――1日には不信任案賛成を明言しました。

 「首相が『来年9月まで』続けたいという話なら党内はもたない。不信任案を可決する勢いを作らないと、首相の気持ちを変更させることは不可能だと思った」


 ――小沢一郎元代表とも首相との「確認事項」の文書作りで連絡を取っていたのですか。

 「取っていない。両院議員総会で退陣を求めるやり方もあるという話は、1日の夜に申し上げた。『確認事項』は、首相に直談判して辞める状況を作ってしまえば両院総会以上の力を持ち得る。事前に平野(博文元官房長官)君と北沢(俊美防衛相)さんが1日の深夜あたりから動き始めた」


 ――元代表に「確認事項」の内容を伝えたのは2日午前、首相との会談で「確認事項」の文書を交わした後ですか。

 「そうだ。小沢先生は『それは辞めると書いてあるのか』と尋ねてきた。『辞めるとは書いてありません』と言うと『じゃあ、どうやってそれを担保するのか』と。私は『これからの代議士会で首相が言うと思います。言わない場合は、私の方から言います』と答えた。小沢先生は『じゃあ、それを見せてもらおう』という感じだった」


 ――2日の代議士会の直前まで続いた首相との会談には岡田克也幹事長と平野氏も同席しました。

 「私は『身を捨てて国を救ってほしい。そのタイミングがこの(確認事項の)復興基本法の成立と2次補正の早期編成のメドです』と言った。首相は紙を持っていたが、私は紙を見ずに話した」


 ――首相は2日夜の記者会見で続投に意欲を示しました。

 「『確認事項』には『辞任』と書いていない。それが菅さんのよりどころで、小沢さんにとっては不安だった。私は会談で、2次補正についても『成立じゃありませんよ。早期編成のメドです』と念を押し、『そこで身を捨てて下さい』と申し上げた。首相は『分かりました。鳩山さんと私との間の合意だ』と言ったのだから重い」


 ――代議士会で首相は「震災対応に一定のメドがついた段階」と退陣表明しました。

 「実は(首相との会談後)官邸で小沢さんに電話をしていて代議士会に遅れた。首相の演説を途中から聞いたので、首相が辞めると言ったかどうか分からなかった。念を押しておかなければいけないと思った。首相も反論しなかったので、そこで決まりだなと思った」


 ――鳩山氏はその後、退陣条件について首相が「2人だけの話にしてくれ」と語っていたと記者団に明かしました。

 「私は首相に『小沢さんにも話をしてください』と言った。首相は『小沢さんには何を言っていいのか分からない。小沢さんとの間ではなく、鳩山と自分の約束、合意事項としてくれ』と言うので、『では小沢さんには私から伝えておきます』という話をした」


 ――代議士会が終わった後、元代表とは話しましたか。

 「1日たってから電話で話した。『小沢先生にもこういう行動をとっていただいたので、必ず私が責任を果たします』と申し上げたら『分かった。じゃあ頑張るように』と、感情を抑えておっしゃった」