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2011/05/02

ビンラーディン容疑者が死亡 CNNテレビが伝える オバマ大統領が緊急声明へ
2011.5.2 11:53
 【ワシントン=犬塚陽介】米CNNテレビは1日夜、複数の米政権高官の話として、国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサマ・ビンラーディン容疑者が死亡したと報じた。オバマ米大統領は1日夜、ホワイトハウスでテレビカメラを前に緊急声明を発表する。




冷戦と湾岸戦争が生んだ怪物 ビンラディン容疑者
2011/5/2 13:05
 ウサマ・ビンラディン容疑者は1957年、サウジアラビア最大のゼネコン・グループを率いる富豪一族に生まれた。アブドルアジズ王大学の経営学修士課程に学んだおとなしく平凡な若者を、前例を見ない国際テロリストに変えたのは冷戦下のアフガニスタン戦争とその後の湾岸戦争だった。

 一族はイエメン出身で、サウジの聖地にあるモスクの工事なども手がけた。旧ソ連軍が侵攻したアフガンで1980年ごろ、イスラムを守る戦いに参加すると決めたビンラディン容疑者は家族から熱烈な祝福を受けた。アフガンで同容疑者を支えたのは「米国の武器とサウジの資金だった」と自ら述べている。

 転機は91年の湾岸戦争。同容疑者はサウジに米軍駐留を認めたサウジ王室に幻滅。王室批判を強め、その後、国籍をはく奪された。スーダンに移った同容疑者は、イスラエルによるパレスチナ支配を非難し、イスラエルと米国を標的に活動する過激派としての側面を強めた。96年にはアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンに「賓客」として招かれた。

 その名を一気に広めたのは98年にケニア、タンザニアで起きた米大使館同時爆破事件。「米国人を殺すことがイスラム教徒の義務」という過激な主張はパレスチナやイラク問題で反米感情を膨らませたイスラム過激派の心理に共鳴した。

 同容疑者は世界中にアルカイダのネットワークを拡大。3億ドルともいわれる資産をアフガンの麻薬取引などで膨らませたとみられている。

 93年の世界貿易センター爆破事件、96年のサウジアラビア・ダーランの米軍施設爆発事件、2000年にイエメンで起きた米駆逐艦爆破事件など多くのテロへの関与が疑われている。2メートル近い長身。古い友人というパキスタンのイスラム教育機関の関係者は「物静かな真のイスラム教徒で、彼に協力しなければという気にさせる」と評した。

(ドバイ支局)




アフガン戦争以降は雲隠れ…捜索続けていた米軍
 「アル・カーイダ」の指導者のウサマ・ビンラーディンは、2001年9月11日の米同時テロの首謀者とされ、その後、アフガニスタン周辺に潜伏していた。

 米同時テロ後のアフガン戦争や、その後の対テロ戦争を通じても行方が分からず、米軍がアフガン・パキスタン国境地帯の山岳部を中心に捜索作戦を続けていた。

 ビンラーディンは1957年3月にサウジアラビアのジッダで生まれたとされる。1979年の旧ソ連アフガニスタン侵攻を受け、ムジャヒディン(イスラム戦士)としてアフガン入り。対ソ勝利の過程で、ジハード(聖戦)の対象をアフガンから世界に拡大すべきだとする思想に傾倒し、建設富豪の父から譲り受けた財産を武器に88年、同国でアル・カーイダを組織した。

 89年に旧ソ連が撤退すると、サウジアラビアに帰国。96年からアフガンに拠点を移動し、タリバン政権の庇護(ひご)を受けた。対米ジハードを公式に宣言したこの頃から、テロ実施の命令を頻発させた。

 ビンラーディンは、2001年の米同時テロ後のアフガン戦争や、その後の対テロ戦争を通じても行方が分からず、米軍がアフガン・パキスタン国境地帯の山岳部を中心に捜索作戦を続けていた。ビンラーディンの行方は、01年のアフガン戦争開始以降、確認されていなかった。

 ビンラーディンの死亡で、アル・カーイダの組織分裂が予想される一方、世界各国でイスラム過激派の報復テロが頻発する可能性もある。米国は各国首脳に警戒を呼びかけた。(ワシントン、黒瀬悦成)

(2011年5月2日13時08分 読売新聞)



アラビア語で「基地」/アルカイダメモ
 ◆アルカイダ
 1980年代後半、アフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍との戦いに参加したウサマ・ビンラディン容疑者が、アフガンを拠点に設立したテロ組織。アラビア語で「基地」の意味。
軍事、経済、情報、宗教・司法の4部門から構成、世界各国のゲリラ兵士を訓練する軍事部門には最大約5000人がいたとされる。
経済部門はペルシャ湾岸の富裕層を顧客とする投資事業を展開。米中枢同時テロ後、構成員の多くはビンラディン容疑者とともにアフガン東部の山岳地帯に潜伏したが、米軍の掃討作戦で多数が死亡した。中東や南西アジア、東南アジアのテロ組織とも連携しているとされる。(共同)

 [2011年5月2日12時30分]



米中枢同時テロ以降の経過
◆米中枢同時テロ以降の経過は次の通り。(現地時間)


 01年9月11日 米中枢同時テロ発生、約3000人死亡


 01年9月15日 ブッシュ米大統領が「ビンラディンは最重要容疑者」と言明


 01年10月7日 米英軍がアフガニスタン攻撃開始


 01年10月9日 国際テロ組織アルカイダが対米報復を宣言


 01年12月7日 アフガンのタリバン政権が消滅


 02年10月12日 インドネシア・バリ島で爆弾テロ、日本人夫婦を含む観光客ら約200人死亡


 03年3月1日 アルカイダのナンバー3モハメド被告を拘束


 03年3月20日 イラク戦争開始


 03年4月9日 バグダッド陥落、フセイン政権崩壊


 03年8月19日 バグダッドの国連事務所で爆弾テロ、デメロ国連事務総長特別代表ら24人死亡


 04年3月11日 マドリードの3駅で列車爆破テロ、約200人死亡


 05年7月7日 ロンドンの地下鉄3カ所、バス1台で同時テロ、50人以上死亡


 06年12月30日 イラクのフセイン元大統領の死刑執行


 11年5月1日 ビンラディン容疑者死亡と報道


(共同)


 [2011年5月2日12時45分]