原子力安全委の班目委員長、12日、菅直人首相の現地視察に同行し「水素爆発は起きない」と説明
東日本大震災:福島第1原発事故 顔見えない原子力安全委 「危機感ない」批判も
◇記者会見23日の1度だけ
東京電力福島第1原発が東日本大震災で被災して2週間。予断を許さない状況が続く中、「原子力安全の番人」である内閣府原子力安全委員会の活動が見えづらい。班目(まだらめ)春樹委員長(元東京大教授)が顔を見せたのは22日の国会答弁、そして23日の記者会見だけ。「顔が見えない」との批判が高まっている。【山田大輔】
◇「黒衣役」というが…「官房長官の家庭教師役」
「委員長がいつ出てくるのかと、ずっと待っていた。抑え込んでいる勢力がいるのかと疑いを持って見てきた」。99年の核燃料加工会社「JCO」の臨界事故時、国の方針が定まらない中で住民の避難を決めた村上達也・茨城県東海村長は、安全委の沈黙をこう評する。
原子力安全委は、原子力船「むつ」の放射能漏れ事故(74年)で高まった社会不信に応えるため78年に発足、JCO事故で体制が強化された。原子力安全規制への信頼性向上が使命で、国会の同意を得て首相が任命した専門家5人が行政機関や電力会社を指導、首相への勧告権限も持つ独立機関だ。
JCO事故の際は発生直後から連日会見を開いたが、今回は情報発信が極めて少ない。班目委員長が公の場に初めて姿を見せたのは22日の参院予算委。12日、菅直人首相の現地視察に同行し「水素爆発は起きない」と説明したことや、中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の証人として07年、地震で非常用発電機が作動しない可能性を「割り切らなければ原発はできない」と述べた責任を追及された。
班目委員長は答弁で「原子力を推進してきた者として個人的に謝罪する気持ちはある」と話したが、首相は22日、他の専門家2人を内閣官房参与に任命するなど、安全委への不信感を示した。
事務局によると、班目委員長らは発生以来、内閣府の執務室に連日泊まり込んで、分析結果を官邸に伝えたり、必要な対策を各省庁に指示しており「会見する余裕がないほど忙しい」という。しかし、与党関係者は「今やっていることは枝野幸男官房長官の家庭教師。自分たちからは何も言わず、聞かれれば答える状態で、危機感に乏しい」と批判する。
23日夜、初めて記者会見に臨んだ班目委員長は「官邸の発表が我々の考えに沿っている限りは『黒衣役』に徹するつもりだった」と弁明した。安全委が各省庁に行った指示の公表も「各省庁がすればいい」と話した。
原子力を考える市民活動を主宰する松田美夜子・前原子力委員会委員は「データだけ示されても不安に思う人もいる。(農作物などの)風評被害を防ぐためにも、専門知識のある安全委が前面に出てちゃんと説明すべきだ。国民の信頼を得るためにあるのだから、原子力安全にかかわる説明は安全委の責任だ」と指摘する。
◇震災後の原子力安全委の動き◇
11日=緊急技術助言組織を招集、福島県原子力災害対策センターに職員派遣
12日=菅直人首相の福島第1原発視察に班目春樹委員長が同行
17日=現地作業員の放射線量限度を250ミリシーベルトに引き上げる件を了承
11~21日=官邸の原子力災害対策本部に委員長が11回出席
21日=放射性物質を帯びた農作物の出荷制限品目などについて助言
22日=参院予算委に出席▽近藤駿介原子力委員長、寺坂信昭原子力安全・保安院長と班目委員長が官邸に呼ばれ、菅首相から「連携を良くしろ」と指示される▽東電による海水分析結果に関して「直ちに住民の健康に影響はない。引き続き調査を」と助言
23日=初めて記者会見
◇原子力安全委員の顔ぶれ◇
(◎は委員長、敬称略)
◎班目春樹(元東京大教授、熱工学)▽久木田豊(元名古屋大教授、原子力熱工学)▽久住静代(元放射線影響協会放射線疫学調査センター審議役、放射線影響学)▽小山田修(元日本原子力研究開発機構原子力科学研究所長、原子炉構造工学)▽代谷誠治(元京都大原子炉実験所長、原子炉工学)
毎日新聞 2011年3月25日 東京夕刊