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2014/05/27

ラストエンペラーの姪、愛新覚羅顕琦さんが死去

北京=林望2014年5月26日22時11分

 愛新覚羅顕琦さん(あいしんかくら・けんき=中国清朝の粛親王善耆の末子)が26日、北京市内の病院で死去、95歳。「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の妹。清朝王族の最後の生き残りとされていた。

 1918年、清朝の王族、粛親王善耆の末の王女として生まれ、日中戦争のさなかに日本留学。戦後は北京で翻訳者として働いた。50年代、海外帰国者や資産家らが標的とされた「反右派闘争」で逮捕され、15年の服役と5年以上にわたる強制労働を経験。文化大革命後に釈放された後、北京の史料館で働きながら日本語学校を設立するなど、日本語人材の育成にも尽力した。

 86年、日本語で「清朝の王女に生れて」を出版。日本人の養女となり、清朝再興を目指して日本軍の情報活動に関わったとされる姉、川島芳子との思い出や、日中の激動の時代を生きた半生をつづった。(北京=林望)

http://www.asahi.com/articles/ASG5V5SDKG5VUHBI03C.html




愛新覚羅顕〓さん死去 中国清朝最後の王女

2014年05月27日(最終更新 2014年05月27日 01時39分)
 映画「ラストエンペラー」で知られる中国清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ、1906~67)の姪(めい)で、清朝最後の王女だった愛新覚羅顕〓(あいしんかくら・けんき)さん(95)が26日午前2時、肺炎のため中国・北京市内の病院で死去した。

 顕〓さんは「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた男装のスパイ川島芳子の妹。戦前、女子学習院、日本女子大に計8年間留学。帰国後は翻訳の仕事に従事したが、58年に反右派闘争で中国共産党に逮捕され、22年間の獄中・強制労働生活を送った。自由の身となってからは度々来日し、86年に自らの生い立ちと体験をまとめた著書「清朝の王女に生れて~日中のはざまで」を出版した。

 「日本と中国が仲良くすれば東洋は守れます」が持論で、晩年は中国で日本語ができ、日中の橋渡し役となれる人材の育成に尽力。96年、北京郊外に日本語専門学校を開校した際には、九州の多くの友人・知人が資金を提供した。

 2011年3月に福岡訪問を予定していたが、東日本大震災が発生し実現しなかった。
※本文中の〓は「おうへん」に「奇」

=2014/05/27付 西日本新聞朝刊=




清朝最後の王女、愛新覚羅顕キさん死去 「東洋のマタハリ」川島芳子の妹

2014.5.26 20:28 [歴史・考古学]
 「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子の妹で、清朝の粛親王の末娘だった愛新覚羅顕キ(=王へんに奇)(あいしんかくら・けんき)さんが26日未明、心不全のため北京市内の病院で死去した。95歳だった。4月に体調を崩し入院していた。葬儀は28日、北京郊外の八宝山公墓の梅庁で行われる。

 幼少期に満州国の皇族として日本に留学。学習院、日本女子大に学び、大手繊維メーカー「鐘紡」の北京支社で勤務中に終戦を迎えた。日本軍のために情報活動を行ったとして処刑された芳子の妹であることなどを理由に、中国当局に「日本のスパイ」などのぬれぎぬを着せられ、農村での強制労働を含めて計23年間も監禁された。

 獄中から中国の最高実力者、トウ小平に無実を訴える手紙を書いたことなどをきっかけに名誉回復された。翻訳の仕事をしながら、北京で日本語学校を設立。頻繁に訪日し、講演活動を通じて日本語教育に力を注いだ。日本で出版した自伝『清朝の王女に生れて-日中のはざまで』(中央公論)が大きな話題となった。晩年、日中関係が悪化しても親日派を自認してはばからなかった。

 亡くなる直前に電話で日本の友人に「中日友好。日本の皆さんによろしくお伝えください」と話していたという。(北京 矢板明夫)




訃報:愛新覚羅顕〓(き)さん 95歳=清朝最後の王女・川島芳子の妹

毎日新聞 2014年05月27日 東京朝刊
 中国清朝の粛親王の末娘で、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の妹の愛新覚羅顕〓(あいしんかくら・けんき)さんが26日、北京市内の病院で死去した。95歳だった。葬儀は28日、北京市郊外の八宝山公墓で行われる。

 旅順(現・遼寧省大連市)で生まれ、10代で日本に留学。女子学習院高等科で学び、日系繊維メーカーの北京事務所勤務中に終戦を迎えた。「反右派闘争」のさなかの1958年にスパイの疑いをかけられて逮捕され、15年間獄中で過ごした。さらに労働改造農場で7年を送り、79年に名誉回復した。

 中国名は金黙玉。「清朝最後の王女」と呼ばれ、満州族研究に力を注ぐ一方、日本政府の支援を受けながら北京に隣接する河北省で日本語学校を開設した。日本で自伝「清朝の王女に生れて 日中のはざまで」を出版している。【北京・工藤哲】

http://mainichi.jp/shimen/news/20140527ddm041060093000c.html