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2012/04/21

宝永地震で高知県に標高20m超の津波


1707年宝永地震、高知に津波痕跡20m超


  東海・東南海・南海地震が連動した1707年の宝永地震で、高知県に標高20メートル超まで津波が押し寄せていたことが21日、古文書などを基にまとめた県の津波痕跡調査報告書で分かった。



  内閣府の有識者検討会が公表した南海トラフ巨大地震の沿岸部の予想津波は、中西部の中土佐町で約22メートル、県中部の香南市で約15メートル。一方、宝永地震では、中土佐町で標高20~22メートル、香南市や南国市では標高14~15メートルまで津波が押し寄せたとみられる。

  沿岸部と痕跡地点とで津波の高さは単純比較できないが、新想定が現実味を帯びてきた格好だ。

  調査は「○○で波が止まった」といった古文書の記述を地形と重ね合わせた。同じ手法の先行研究も集めて比較検討し、慶長、宝永、安政、昭和の南海地震を場所ごとに、地形図や浸水状況などを書き加えた“カルテ”として整理している。

  報告書は、土佐藩の宝永地震記録などを基に津波高を算出した研究を引用。中土佐町久礼では、海から長沢川沿いに約2・2キロの標高20~22メートル地点まで波が来たと推定。

  香南市夜須町は、夜須川沿いに約3キロ内陸の「備後(びんご)にある堤の下まで波が来た」との記述から、標高14~15メートルまで水が来たと結論づけた。

  新想定で30メートル超と最も高い黒潮町や土佐清水市では、標高10~15メートル地点で津波の痕跡を確認した。

  高知大が約2千年前の地層から宝永地震より大きな津波堆積物を見つけており、県は2012年度103カ所でボーリング調査を実施。今回の結果と合わせ、浸水予測図などに活用する方針だ。(共同)

[2012年4月21日18時39分]