3月5日 18時8分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で設定された福島県の避難区域内で、自宅などに取り残されて餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることがNHKの取材で分かりました。
警察や遺体の状況を調べた医師は、自力での避難や助けを求めることができず、取り残された可能性があると指摘しています。
やせ細った状態で
東日本大震災で、福島県内では津波による「溺死」やがれきに巻き込まれて1605人が亡くなっています。
NHKが、福島県内の自治体や警察などに取材したところ、こうした人たち以外にも、原発周辺の避難区域内の自宅やその周辺で、自力では逃げることができず、食事や水をとれないまま餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることが分かりました。
このうち原発からおよそ5キロの住宅では、去年3月下旬、70代の男性が2階部分で遺体で見つかりました。
関係者によりますと、住宅は1階が津波の被害を受けていたということです。
また、原発からおよそ6キロ離れた住宅でも、4月に60代の女性が部屋のこたつの中で遺体で見つかりました。
女性は1人暮らしで、住宅に大きな被害はなかったものの、足に持病を抱えていたということです。
5人の遺体は、いずれもやせ細った状態だったということです。
当時、この区域では、政府が出した避難指示を受けて、大勢の住民の避難誘導が行われていましたが、警察や遺体の状況を調べた医師は、5人は自力で避難できなかったり助けを求めることができなかったりして取り残された可能性があると指摘しています。
また、津波の現場で見つかった遺体を調べた複数の医師は、NHKの取材に対し、目立った不審な点がなければ、詳しい死因を調べる解剖などを行わず、「溺死」としたと説明しています。
そのうえで医師らは、「溺死」とされた人の中にも、津波のあと、しばらくは生存し、その後、衰弱するなどして別の死因で亡くなった人も含まれている可能性があると指摘しています。
医師“餓死の疑い強い”
福島県相馬市の標葉隆三郎医師は、震災発生後、避難区域で見つかった遺体について餓死の疑いが強いと判断しました。
標葉医師は、遺体はひどくやせ細り、ほとんど食べ物を食べず、水も飲んでいないことがうかがえ、震災後、しばらく生存したうえで衰弱していったとみています。
今回の事態について、標葉医師は「避難区域で取り残されて、亡くなっていったと考えられる。こうした方々の死を決して忘れてはいけない。連絡手段がないなかで避難していない人を、行政がどのようにケアしていくのかについて、今後、対策を考える必要がある」と話しています。
震災発生後に、福島県内の津波被害の現場で見つかった遺体の死因を調べた日本法医学会に所属する千葉大学大学院の岩瀬博太郎教授は、「正確に死因が究明できているかというと、当然、問題は残っている。災害時、遺体を調べる際にどのような検査をするのかや、どのような状態だったら解剖まですべきなのかということを含めて、法医学会として今後、死因の究明の在り方を検討していきたい」と話しています。
消防団員“救える命があった”
震災直後に避難区域で救助活動に当たっていた複数の消防団員は、避難指示が出て救助活動が中断されるまでの間に助けを求める声を聞いたと証言しています。
このうち津波で125人が死亡した福島県浪江町の請戸地区で救助活動に当たっていた浪江町消防団員の高野仁久さんは、震災当日の夜、がれきの中から助けを求める声や、物をたたいて居場所を知らせようとする音を聞いていたということです。
高野さんは、応援を求めにいったん役場の詰め所に戻りますが、機材も人員も足りず、大津波警報が引き続き出されていたため、町の判断で救助活動は翌朝に持ち越されたということです。
しかし、翌日の朝、原発から10キロ圏内に避難指示が出されたため、救助活動に向かうことができず、住民の避難誘導を優先せざるをえなかったということです。
これについて高野さんは、「あのとき、『あす助けにくるから待ってろよ』と声をかけてきたのに、結局、救助に行けなかったことを今でも後悔している。原発事故がなければ何人もの命を救うことができたのではないかと無念に思う」と話しています。
遺族“せめて死をむだにしないで”
自宅やその周辺に取り残されて食事や水を取れないまま餓死した疑いが強い5人のうち、原発からおよそ6キロ離れた自宅のこたつの中で遺体で見つかった女性の親族の男性は、「おそらく周りで何が起きているのかも分からないまま、1人で何日間も耐え忍んでいたかと思うと、どんなに心細かったか、ことばになりません。今でも、なぜ家族が死ななくてはならなかったのか考えると、月日がたつにつれて原発事故さえなかったらという思いを強くしています。残された遺族としては、せめて家族の死をむだにしないでほしいと願っています」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120305/t10013494741000.html
“餓死” 再発は防止できるか
3月5日 18時34分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で設定された福島県の避難区域内で、自宅などに取り残されて餓死した疑いの強い人がいることがNHKの取材で分かりました。
これについて、避難指示の決定に関わった国の原子力安全・保安院は「防災関係機関や住民に対して適切に情報提供できる体制を整備するなど、これまでの対応の見直しを検討していきたい」としています。
避難指示と混乱
政府は、震災が発生した去年3月11日の夜から翌12日の夜にかけて、原発から3キロ圏内の住民に避難指示を出したのに続いて、10キロ、そして20キロと、立て続けに避難指示を出しました。
しかし、原発からおよそ5キロの場所にあり、事故が起きた際は関係者が集まり、避難などの対策を行う拠点施設「オフサイトセンター」は、停電や通信機器の不調などでほとんど機能せず、地震や津波への対応で自治体などの職員も集まれなかったため、政府と地元自治体との間で避難する住民の情報が共有されませんでした。
その結果、自治体によってはテレビを通じて、突然、避難指示を知ることになり、通信手段が限られるなか、急きょ、移動手段や避難場所の確保を迫られ、多くの住民たちも、限られた情報のなかで避難が混乱しました。
NHKの取材では、避難を余儀なくされた避難区域の病院や高齢者施設で、患者や入所者らが長時間の避難の途中や直後に体調が悪化するなどして少なくとも68人が亡くなっています。
一方、地元の警察や消防、それに消防団は、震災直後から津波の被害を受けた現場で救助活動を続けていましたが、避難指示が出たことで本格的な捜索をいったん打ち切りました。
その理由について、警察や消防では、原発の状況が悪化し避難区域内の放射線量の状況が把握できなかったことや、避難する住民の被ばくを防ぐために避難誘導を優先したため捜索に十分な人員を割けなかったことなどを挙げています。
警察や消防、それに自衛隊や地元の自治体も避難区域に取り残された人がいないか確認作業を進めましたが、警察や消防による避難区域での本格的な捜索はおよそ1か月間、十分には行われませんでした。
こうした教訓を踏まえて、現在、国の原子力安全委員会の作業部会が防災指針の見直しを進めており、原子力事故に備えた防災対策を重点的に整備する地域を、これまで原発から最大で10キロとしていましたが、おおむね30キロに見直すほか、オフサイトセンターの機能を、県庁など原発から十分に離れた場所に設ける「中枢」を担う拠点と原発から遠くない場所に設ける避難誘導などの活動拠点の2か所に分けるとするなどの案が検討されています。
この方針は、新しくできる原子力規制庁に引き継がれ、避難や救助の在り方について検討される見通しです。
原子力・安全保安院は
避難区域内に取り残され餓死した疑いが強い人が複数いることについて、避難指示の決定に関わった国の原子力安全・保安院は「今回の事故に伴う避難活動に関しては、さまざまな課題があったものと認識している」としたうえで、「今後、市町村が原子力事故に関する避難計画を策定する際には、避難が確実に行われたかを確認する手順や、避難に支援が必要な方への対応も含めた実施手順を示したり、防災関係機関や住民に対して避難について適切に情報提供できる体制を整備したりするなど、これまでの対応の見直しを検討していきたい」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120305/t10013495601000.html
「南相馬市で餓死を10人以上確認しました」 森まさこ議員(自民)1