産経新聞 3月6日(火)9時54分配信
3月11日の東日本大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。
その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」
配信を始めたのは、最初の大きな揺れから17分後の午後3時3分。ミニブログのツイッターを介し、「ユーストリームで地震のニュースを見られる」という情報は、またたく間にネットを駆け巡った。
配信に気付いたユーストリーム・アジアの担当者は迷った。明らかにNHKの著作権を侵害した「違法配信」だ。普通は直ちに停止する。だが、停電などでテレビを見られぬ人には貴重な情報源ではないか。
この状況を出張先の米国で知らされたユ社の中川具隆(ともたか)社長(55)は、午後4時ごろには、「われわれの判断で停止するのはやめておこう」と指示する。NHKの要請があった場合のみ停止する。中川氏は現場にそう伝えた。
ツイッター上ではNHKの対応にも注目が集まっていた。NHKの番組宣伝を行う公式アカウント「NHK-PR」は、顔文字やユーモアを交えた「つぶやき」でツイッターの世界では有名人である。
そのNHK-PRが午後5時20分、少年の無断配信のアドレスを、自分のつぶやきを読んでいるフォロワーに紹介した。そして、こう書いた。「私の独断なので、あとで責任は取ります」
同アカウントの担当は1人の広報局職員だ。「免職になるかもしれないと少し躊躇(ちゅうちょ)したが、それで助かる人が一人でもいるのならと思いツイートした」。そして、少年。「NHK広報さまのツイートがあったのであそこまでできた。あの中継は、みんなで作り上げたんだと自分は考えます」
あれから1年、2人は産経新聞の取材にメールでこう答えた。
NHKは午後6時過ぎ、少年がユーストリームで行ったテレビ画面の無断配信の継続を正式にユ社に許諾した。NHKのデジタル推進部門の責任者、元橋圭哉氏は「放送を届ける使命を果たすためには、誰でもそうしたと思う」と語る。そして、午後9時ごろからはユーストリームで公式に番組の同時配信を開始。前後してTBSなど民放12局も続々と同時配信を始めた。計13チャンネルの視聴は震災発生から2週間で延べ約6800万回にも達した。
混乱の中、1人の中学生の“暴挙”が引き起こしたネットと放送の融合。ただ、それを再び行うかとなると、関係者から積極的な声は聞こえてこない。元橋氏は「未曽有の災害だったからしたこと。今、同時配信をやりたいということは全くない」。NHKの松本正之会長は「臨機応変に対応していくことが必要だ」と述べるが、具体的な議論が進む気配はない。
それでも、1年前の出来事が成功だったことは疑いない。テレビの伝える情報の価値は再認識され、ネットは被災者が、そこに書き込むことで、「誰か」と情報や不安を共有し、安心感を得る場になった。
「あのとき、かつて街頭のテレビに人が群がったように、テレビを中心としたコミュニティーができていた」。元橋氏は語った。
「ネットの状況は、1年前よりむしろ怖い状態になっている」
震災からの1年間は、ツイッターやフェイスブックといった、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用が日本で飛躍した期間でもあった。
現在、2千人規模で各種の被災地支援を行っているプロジェクト「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(西條剛央代表)では、スタッフが現地で被災者の欲しい物資を聞き取り、ウェブサイトに掲載。ツイッターで情報を広め、支援者から被災者に物資を直接届けてもらう仕組みを導入した。さばき切れない物資が自治体の倉庫に積み上がったのとは対照的な、効率の良い支援が実現した。こうした団体は多くある。
東京都武蔵野市のサックス奏者、武田和大(かずひろ)さん(44)は昨年4月、津波で楽器が流された子供に楽器を届けるプロジェクト「楽器 for Kids」を立ち上げた。「ツイッターで『やろう』と言ったら周りが賛同して、すぐ形になった」といい、フットワークは軽い。
全国から不要な楽器や部品、寄付金を募り、これまでに200点以上の楽器類を被災地の子供たちに手渡した。「阪神大震災のときと違い、今はネットがあるから老若男女、誰でも何かができる」と武田さん。
もちろん、ネットには闇の部分もある。
「1月25日、大地震が起きる」「25日の東海大地震の予知夢を見た」-。今年1月中旬、ネット上をこんな噂が駆け巡った。
時期が東京大地震研究所の「マグニチュード7級の地震が南関東で4年以内に発生する確率は70%に高まった可能性がある」という研究の報道と重なったこともあり、噂は拡散。「1月25日」に備え、災害用品の買い込みを勧める書き込みまで多数現れた。
もちろん、この日、大地震は起きなかった。大震災直後にも「千葉で有害な雨が降る」などといったデマがあった。その一方で、「検証サイト」がこうした噂を一つ一つ打ち消していく自浄作用も起きている。
東洋大の関谷直也准教授(災害情報論)は「災害の流言は不安心理の体現だ。メディアリテラシー(情報を評価、活用する能力)で克服できるものではない」と指摘する。では、そのメディアリテラシーは震災後に積み上げられたネット体験で向上したのか。関谷氏はきっぱりと否定する。
海外でSNSを通じた呼びかけに端を発した運動が政治体制の打倒にまで発展した。日本でもこの1年、各地でSNSを介した大規模なデモが行われた。以前は実社会での行動には結びつかなかった人々の思いが、今は高いハードルなしに行動に結びつく。SNSが細やかなボランティアを支える一方で、デマは変わらず横行している。
関谷氏は「ネット上の情報や噂には、より敏感に、慎重にならなくてはいけなくなっている」と警鐘を鳴らすことを忘れていない。(織田淳嗣)