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2012/01/01

オウム野田成人元幹部、「ソフトな印象だったが、教団の武装化に関わる業務を命じられるようになって次第に私たちの前に姿を見せなくなっていった。」

平田容疑者 教祖の警備も
1月1日 8時15分
平田容疑者は、オウム真理教の教祖だった麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚の警備などを行っていたということで、ロシアで自動小銃の実射などの訓練を受けていたことも捜査で分かっています。

平田信容疑者(46)は、北海道出身で、昭和62年に当時のオウム真理教の「出家信者」となりました。教団では教祖だった麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚の警備などを行っていたということです。



(平田容疑者は平成7年2月、東京品川区の公証役場の事務長だった假谷清志さんが監禁されて死亡した事件で、実行グループの一人として監禁致死の疑いで、また、その翌月に東京杉並のマンションに爆発物が仕掛けられた事件にも関わったとして、爆発物取締罰則違反の疑いでそれぞれ警視庁に特別手配されていました。※ミミコピ)

平田容疑者は、身長1メートル80センチ余りでひげが濃いなどの特徴があり、警視庁は、平成7年に撮影された写真を基に現在の顔のイメージなどを公表していました。

また、高校時代には射撃部に所属していて、教団に入ったあと、ロシアで自動小銃の実射などの訓練を受けていたことも捜査で分かっています。

警視庁は、平田容疑者が、すでに時効になった平成7年に警察庁の当時の國松長官が狙撃された事件についても、事情を知っている可能性があるとみて調べることにしています。平田容疑者が逮捕されたことで、オウム真理教による一連の事件で特別手配されているのは、高橋克也容疑者(53)と菊地直子容疑者(40)の2人となりました。

一連の事件のあと、教団の運営にも関わっていた野田成人元幹部は、NHKの電話でのインタビューで「平田容疑者は教団で車を取り扱う『車両省』という組織で直接の部下だった。ソフトな印象だったが、教団の武装化に関わる業務を命じられるようになって次第に私たちの前に姿を見せなくなっていった。一方で教祖だった麻原彰晃、本名、松本智津夫死刑囚のすぐ近くで警備を長く担当していて、松本死刑囚の一定の信頼を得ていたと思う。一連の事件のあと、ほかの幹部とともに逃亡し、その後は全く連絡を取ってこなかった。今後は、時効になった長官狙撃事件を含めて、もし知っていることがあればできるだけ話してもらって、事実関係の解明に役立ててほしい」と話していました。





◆平田信容疑者(46)
 95年2月に発生した目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)拉致監禁致死事件で現場にいた。翌月には教団に好意的な論評をしていた宗教学者が以前住んでいた東京都杉並区のマンションで時限式爆発物を爆発させた事件にも関与したとされる。

 札幌市出身で87年3月に札幌商科大(現・札幌学院大)を卒業。いったん就職したが同8月に出家した。教団では松本智津夫死刑囚(56)のボディーガードも務めた。高校時代は射撃部で、エアピストルの国体少年の部で11位となり、教団では「射撃の名手」とされた。一部週刊誌がこうした点に注目し、警察庁長官狙撃事件への関与が報じられた95年5月、「狙撃犯にされそうだが俺は何もやっていない」と実家に電話したとされる。

 96年2月まで仙台市内の女性信者宅(49)に同居していたとみられるが、その後、女性の行方も分かっていない。警察当局は今もこの女性信者の支援を受けているとみる。



 ◇「事件まだ動いていた」…宗教学者の島田さん
 平田容疑者は、仮谷さん拉致事件の翌月に東京都杉並区のマンションで時限式爆発物が爆発した事件でも特別手配されていた。この部屋は宗教学者の島田裕巳さんの元自宅。

 島田さんは1日午前10時ごろ、ツイッターの情報で平田容疑者の出頭を知った。「一連の裁判が終わり、忘れたような気になっていたが、事件はまだ動いていた」というのが率直な感想だ。

 島田さんも「なぜこの時期なのだろう」と、出頭の経緯には懐疑的だ。「証拠はないが、平田容疑者に支援者がいて、死刑の執行を遅らせようとして出頭させたのではないか」と話し、「支援者が松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に今も帰依している可能性さえある」とも指摘した。

 爆発事件は、教団が起こしたとみられているが、経緯ははっきりしていない。04年7月には元信者が爆発物取締罰則違反容疑で逮捕されたが、不起訴となった。島田さんは「これだけ長く逃走していた平田容疑者の意志は強く、供述もしないのでは」と期待は掛けていない。

毎日新聞 2012年1月2日 22時03分(最終更新 1月2日 23時16分)








長官銃撃事件、真相解明に期待
 高校時代に射撃部に所属し全国大会にも出場していた-。指名手配されてから16年半にわたる逃亡生活に終止符を打ったオウム真理教元幹部平田信容疑者(46)は、1995年3月の国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件(2010年、公訴時効)の捜査で、警視庁が「真相解明に必要な存在」(捜査幹部)として最重要視していた。

 潜伏中、自首を勧める知人らへの電話で「今、出ていったら長官銃撃事件の犯人にされてしまう」「何もしていないから安心するように」と関与を否定し、逃亡を続けた平田容疑者。

 長官銃撃事件は10年3月、未解明のまま公訴時効を迎えたが、警視庁は時効成立後に「オウム真理教による組織的なテロ」とする捜査結果を公表しており、平田容疑者の供述次第では、事件の真相が明らかになる可能性がある。

 捜査関係者によると、平田容疑者は地下鉄サリン事件直後の95年3月下旬、三重県内の知人宅に身を寄せていた。長官銃撃事件3日前の27日には、東京・池袋の都庁出張所で旅券を申請。事件翌日の31日に知人宅に戻り、4月4日に再び上京し旅券を受け取ったとされる。

 平田容疑者は北海道出身。入信は87年ごろで、教団では「車両省」幹部だった。高校時代に射撃部に所属し、3年時には全国高校射撃選手権大会のエアライフル部門に出場していた。(共同)

 [2012年1月1日6時54分]