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2011/06/06

3号機が爆発した3月14日、陸自隊員は東電から爆発が起きる可能性について知らされていなかった

3号機爆発「助からないかも」作業の陸自隊長
 東京電力福島第一原子力発電所で3月14日に起きた3号機の爆発により隊員4人が負傷した、陸上自衛隊中央特殊武器防護隊の岩熊真司隊長(49)が5日、読売新聞の取材に応じ、当時、東電側から爆発が起きる可能性について知らされていなかったことや、爆発時の詳しい状況を初めて語った。

 岩熊隊長によると、14日朝、冷却機能が停止した3号機に冷却水を補給するよう東電から要請があり、隊長ら6人が原発近くの拠点から、給水車2台と小型のジープ型車に分乗し向かった。防護マスクと防護服に身を固めた。

 3台が3号機の目前に到着した午前11時1分。岩熊隊長が車を降りようとドアノブに手をかけた瞬間、「ドン」という低い爆発音と共に、爆風が押し寄せた。がれきが車の天井の幌(ほろ)を突き破って車内に飛び込んできたため身を伏せた。ホコリで前も見えず、「助からないかもしれない」と思ったという。

 数十秒後、車を脱出すると窓が吹き飛んでいた。部下4人ががれきを受けて負傷し、1人は足から血を流していた。「すぐに離れるぞ!」と命じ、負傷した部下の肩を支えながら歩いて退避した。4人は幸い軽傷で、被曝(ひばく)線量も最大で約20ミリ・シーベルト程度だった。

 当時は12日に1号機で爆発が起き、13日午後、政府は3号機についても爆発の可能性に言及していた。

 しかし任務中の部隊には情報はなく、東電側からは「放射線量が高い」と説明を受けたものの、3号機でも爆発が起きる可能性は特に知らされていなかったという。このため岩熊隊長は装甲の厚い化学防護車ではなく小型車で先導していた。

 岩熊隊長は「こういう現場で仕事ができるのは私たちしかいない。恐怖心はなかった」と振り返った。

(2011年6月6日 読売新聞)