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2013/06/01

奈良の大仏建立で水銀中毒が広がったという説に根拠なし 土壌から水銀汚染は見つからず

2013年06月01日00時24分

平城京、水銀汚染じゃなかった 東京大などが土壌調査


【香取啓介】8世紀に都がおかれた平城京(奈良市)が74年間という短命で終わったのは、大仏建立時に使われた水銀による汚染のため? 近年広まっているこの学説について、東京大などが当時の土壌を調べたところ、水銀汚染は見つからなかった。23日、千葉市で開かれた日本地球惑星科学連合大会で発表された。


 
平城京には710年から都がおかれ、聖武天皇による大仏建立など仏教文化が花開いたが、784年には長岡京(京都府)に遷都した。大仏建立時に使った金めっきに大量の水銀が含まれていたことから、水銀中毒が広がったためという指摘があった。

 東大大気海洋研究所の川幡穂高教授が奈良文化財研究所などの協力を得て、平城京のあった奈良市内や周辺4カ所の当時の土壌を採取し分析した。すると水銀については、大仏建造時に数倍増えているものの、現代の環境基準(15ppm以下)より大幅に低い0・25ppm前後にとどまっていることがわかった。

 一方、8世紀中頃の土壌から最大で1200ppmの鉛が見つかった。これは現代の環境基準(150ppm)の8倍にあたる。平城宮から10キロメートル離れた地点でも高濃度の鉛が見つかっており、汚染は周辺にも及んでいたと見られる。これらの鉛は同位体の分析の結果、大仏に使われた銅と同じ長登(ながのぼり)鉱山(山口県)で採掘されたものとほぼ断定できた。

 川幡さんは「水銀汚染で都を放棄したという説は退けられる。鉛汚染は、詳細な調査が必要だが、健康に影響のないレベル。白色や朱色の顔料として当時広く使われていた鉛白(えんぱく)、鉛丹(えんたん)の影響ではないか」と話している。




以下近年広まっている説
但しこの説を誰がどこで発表したのか、文献等の詳細なし。