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2012/03/09

政府は3月11日の事故発生直後からメルトダウンの可能性を認識

当日にメルトダウンの可能性認識
3月9日 12時8分
記録が残されていなかった政府の「原子力災害対策本部」の議事概要が作成され、緊急事態が宣言された去年3月11日夜の第1回の会議で「メルトダウンに至る可能性もある」という発言があり、政府が、事故発生直後から重大事故に至る可能性を認識していたことが分かりました。


政府の原子力災害対策本部は事故が起きた去年3月11日に設けられ、避難区域の設定など重要な決定を行ってきましたが、議事録が残されていなかったことが分かり、事務局の原子力安全・保安院が、当時のメモや聞き取りを基に議事概要を作成し、9日、公表しました。

それによりますと、当時の菅総理大臣が緊急事態を宣言した3月11日午後7時3分からの第1回の会議で、発言者は分かりませんが、「バッテリーで冷却装置が動く8時間を超え、炉心の温度が上がるようなことになると、メルトダウンに至る可能性もある」という指摘があり、政府が事故発生直後から重大事故に至る可能性を認識していたことが分かりました。

このとき政府は、まだ避難指示を出していませんでしたが、「10キロの範囲の人をどこかの時点で避難させる必要があるかもしれない」という発言もありました。

さらに翌日の12日昼すぎに開かれた第3回の会議では、当時の玄葉国家戦略担当大臣から「メルトダウンの可能性がある。避難地域は10キロでいいのか。考え直す必要はないのか」という発言があったと記されています。

当時、避難区域は原発から10キロの範囲で、その後、1号機で水素爆発が起きたあとの午後6時25分に20キロに拡大されていました。

ただ、公表された議事概要には、避難区域の見直しなどの重要な決定が誰のどのような判断で行われたのか、詳しい経緯は記されておらず、政府の意思決定の過程を検証することは困難な内容になっており、議事録を残していなかった政府の対応が改めて問われることになりそうです。

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120309/t10013599751000.html






原子力災害対策本部の議事要旨
2012/3/9 21:03

 原子力災害対策本部の議事概要の要旨は次の通り。(肩書は当時)
【第1回 3月11日午後7時3分~同22分】

 菅直人首相が東京電力福島第1原発について原子力緊急事態宣言を発令。津波で原子炉冷却用の非常用ディーゼル発電機が動かず、8時間を超えればメルトダウンの可能性があることが説明された。

 海江田万里経済産業相「10キロ範囲の人をどこかの時点で避難させる必要があるかもしれない」

 北沢俊美防衛相「米軍の支援の申し出があった。発電機は何機あればいいのか。照明も必要」

 菅首相「経産相の下、避難対応を進めてほしい」

 海江田経産相「道路状態が悪い」

 松本龍防災相「官邸に情報が入っていない」


【第2回 12日午前9時15分~同34分】

 海江田経産相「第1原発の原子炉格納容器の圧力が高まっている恐れがあり、内部の圧力を放出する予定」


【第3回 12日午後0時8分~同41分】

 海江田経産相「1号機でベント作業を開始したが、放射線量が高く近づけない弁もある」

 菅首相「楽観はできない」

 玄葉光一郎国家戦略担当相「メルトダウンの可能性がある。避難地域は10キロでいいのか。考え直す必要はないのか」


【第4回 12日午後10時5分~同28分】

 菅首相「1号機に海水を注入。異例だが有効な措置がスタートした」

 海江田経産相「1号機で爆発音と白煙を確認。放射線量が上昇したが、必ずしも直ちに危険な水準ではない」

 玄葉国家戦略相「最悪の事態想定を」

 菅首相「チェルノブイリ型はありえるのか。スリーマイルのようなメルトダウンがありえるのか」


【第5回 13日午前10時4分~同20分】

 菅首相「自治体の中には自治体機能が失われたところもある。県、場合によっては国が直接対応していく。私自身もこの問題では陣頭指揮を執って経産相や関係機関と努力する」

 海江田経産相「1号機の建屋で爆発が生じたが、原子炉に深刻な破損はない」


【第6回 13日午後9時35分~同39分】

 菅首相「3日目の夜だ。全軍が頑張っていることに感謝する。突然の停電は生活・経済に最も悪い。計画的な停電を進める。この地震、津波、原発の問題は戦後におけるわが国の最大の危機。必ず国民の力で越えられるし、越えた時はこれまで以上にきずなが深まった良い社会になる」

 海江田経産相「3号機の原子炉建屋に水素が滞留している可能性」


【第7回 14日午前9時53分~同10時16分】

 海江田経産相「今朝時点で20キロ圏内の避難がほぼ終了した」

 菅首相「(避難範囲を)20キロを超えて設定するのは最悪の事態で、20キロで十分というのが専門家の一致した見方」

 玄葉国家戦略相「違う専門家の意見もある」


【第8回・15日午後0時53分~同1時14分】

 菅首相「東電との統合本部を設置した」

 片山善博総務相「実務のリーダーは誰か。実務オペレーションの統率がとれていない」

 菅首相「(東電との)やりとりの歯車がまだうまく回っていない」


【第9回・16日午後4時40分~同55分】

 海江田経産相「周辺の放射線濃度は上昇し、一部には非常に高い数値も観測」

 菅首相「(第1原発から)撤退なんてありえない。量から言うとチェルノブイリよりも多い物質がさらされることになる」


【第10回・17日午後6時13分~同25分】

 大畠章宏国土交通相「外国人が一斉に日本から退出している」

 細川律夫厚生労働相「福島県の住民が多数、他県に移動している。本日、(全国)知事会事務局から当省に『避難者に万全の対応を』と連絡があり」

 玄葉国家戦略相「これは戦争だ。勝つか負けるかだ。既に局地戦では負けているが、これから先、いかに負けを少なくするかだ」


【第11回・21日午後4時3分~同42分】

 松本剛明外相「国際報道は一元化してやっていく」

 北沢防衛相「郡山に28台の車両が放置され、自衛隊に処理するようにとの指示があったようだ。『後始末は防衛省』では困る」


【第12回・31日午後6時47分~同7時12分】

 菅首相「フランスのサルコジ大統領と意見交換をした。事故を二度と起こさないための共通の経験として生かしたい」

 野田佳彦財務相「東電国有化の報道が出ているが、マーケットに影響が出る。発言は控えるべきだ」

 松本外相「諸外国の反応について。風評被害が大きい」


【第13回・4月11日午後2時45分~同3時3分】

 菅首相「震災から1カ月。賠償について一義的に東電が行うべきだ。政府も万全を期す」

 海江田経産相「高濃度汚染水が海に漏洩。低濃度の放射性物質を含む水を海に放出することとした。関係者への事前通報に関して問題があると考えており、遺憾」


【第14回・5月6日午前10時16分~同11時33分】

 松本防災相「被災者の受け入れをしている山形県などの自治体にお礼や励ましをしてほしい」

 玄葉国家戦略相「学校の校庭の問題が深刻。若い親を中心にストレスを感じている。説明の仕方が大事」

 片山総務相「浪江町はナミエマチと読むのが慣例。皆さんは読み方に注意してもらいたい」

 枝野幸男官房長官「秘書官の方々は市町村名にふりがなをふるなど注意してほしい」


【第23回・12月26日午後4時10分~同50分】

 野田佳彦首相「事故発生から9カ月を経ても多くの住民が長く困難な避難生活に耐えている」

 一川保夫防衛相「原子力災害の自衛隊部隊派遣を終了する。自衛隊の昼夜を分かたぬ尽力に謝意を表する」







【原発】震災初日に官邸でメルトダウンを予想(03/09 11:54)
東日本大震災発生後に政府が行った原子力災害対策本部の概要が公表され、震災から5時間後の1回目の会議で、原発のメルトダウンが指摘されていました。

 9日に公表されたのは、原子力災害対策本部23回分の議事概要や配布資料です。このなかでは、震災発生初日に開かれた会議で、福島第一原発で「8時間を超えて炉心の温度が上がると、メルトダウンに至る可能性がある」という指摘がされていました。このメルトダウンを巡っては、原子力安全・保安院の当時の中村審議官が翌12日の会見で言及し、担当を外される一幕もありました。政府は、9日中に緊急災害対策本部などほかの会議の議事概要も公表する予定です。