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2012/02/27

【福島第一原発事故】事故状況や避難指示について原発周辺の住民に政府や県、東電から情報は入らず SPEEDIも未公表

頼みはテレビと携帯…見えてきた原発事故の住民脱出劇
2012/2/27 14:00



 2011年3月の東京電力福島第1原子力発電所の事故直後、政府はどんな情報を発信し、原発周辺の住民はどう避難したのか――。事故から1年を前に、12年2月から経済産業省原子力安全・保安院が実態調査に乗り出した。想定外の惨事で事故状況や避難指示の情報が刻々と変わるなか、住民は正確な情報を得られず、大混乱に陥った。福島県民の経験は、原発事故が今後起きた場合にきちんと生かされるのだろうか。

 調査対象は避難や屋内待避の指示を受けたいわき市や田村市、原発が立地する大熊町や双葉町など13市町村の住民。合計400人ほどから話を聞く。学識経験者の議論を踏まえて3月末に結果をまとめるが、これまでの調査から、情報が不足するなか、必死の思いで避難した住民の様子が少しずつ明らかになってきた。


■避難指示で連絡拠点入れず

 最大の焦点は、事故状況や避難指示の情報がどう伝えられたかだ。事故マニュアルでは、福島第1原発から約5キロ離れた大熊町のオフサイトセンターに東電や周辺自治体の関係者が集合。事故状況を伝え、避難などの指示を伝えることになっていた。

ところが事故後の3月12日早朝に原発から半径10キロ圏内に避難指示が出されたことで、オフサイトセンターは機能不全に陥った。周辺自治体の担当者は手探りで住民の避難誘導に当たるしかなかった。

 原発から7キロの距離で接する福島県浪江町もその1つ。沿岸部は津波で大きな被害を被ったうえ、通信回線も完全に遮断された。政府や福島県からの情報は全く入らず、頼りになったのはテレビとわずかにつながる1台の携帯電話だけだった。

 浪江町の人口は約2万人。町長が原発事故を知ったのは、11日夜に町役場で見たテレビだった。役場には沿岸部に住む数百人の町民が一気に押し寄せ、パニック寸前の状態に陥った。12日早朝、町職員が沿岸部に津波被害者の捜索に向かおうとした矢先、原発から10キロ圏内に避難指示が出されたことを知る。町職員はやむなく捜索を断念。原発から10キロ以上離れた町西部の津島地区に避難することを決めた。

 津島地区に避難した町民は最大8000人。だがその後、原発事故の拡大で避難指示は20キロ圏内に広がった。情報を知ったのは、またもテレビだった。ほどなくして隣接する葛尾村の防災無線から「全村避難してください」とのメッセージが聞こえた。さらに西へ避難する必要があると判断し、15日には二本松市に避難した。


■全く機能しなかった協定書

 浪江町は東電との間で、福島第1原発で異常が起きた際には直ちに連絡を受ける協定を結んでいた。1998年に交わした協定書には、16項目が列記されている。「原子炉施設に故障があったとき」「放射性廃棄物の排出濃度が法令に定める濃度限界を超えたとき」……。今回の原発事故も明らかに該当する。

 だが浪江町災害対策本部の岩野寿長救援班長は「連絡は全くなかった」と証言する。事故直後の混乱が一服した後、東電に連絡がなかった理由を問いただすと、「あらゆる手を尽くしたが、連絡できなかった」と弁解したという。岩野班長は「歩いてでも来られたはずだ」と憤りを隠さない。

 避難時に困難を極めたのは病院だった。原発から4キロの距離にある双葉厚生病院の重富秀一院長は患者の避難誘導に追われた。事故の情報を知ったのは12日午前6時半。警察官が病院に突然やって来て「全員避難してください」との指示を受けた。午前8時半ごろからバスで患者らの避難を開始。途中、屋内待避指示が出されて避難を一時中断したこともあり、患者や職員の約半数が避難先の双葉高校にたどり着いたのは午後3時36分。そのとき、大きな爆発音がとどろいた。

 重富院長は病院の窓越しに空へ立ち上る白い入道雲をはっきりと目撃した。病院の外に出ると、白い粉が頭上に降ってきたという。看護師らは「この世の終わりだと思った」と漏らす。爆発後にいったん避難を中断したものの、まもなく再開。自衛隊のヘリコプターも使って全員が避難できたのは翌13日だった。

 今回の調査では、原発からの放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク(SPEEDI)」の情報がどう伝達されたかも焦点になる。政府は事故直後から予測を始めたが、周辺住民には情報が伝わらなかったとされる。だが福島県庁には3月13日午前10時半ごろ、保安院から予測結果のファクスが届いていたことが分かっている。


■伝わらない放射性物質データ

 ファクスを受け取った県生活環境部長(当時)は「信頼できるデータではないと判断して公表を控えた」と説明する。国から県までは情報が届いていたが、周辺自治体には伝わらなかったわけだ。

 原発から飛散した放射性物質は3月15日に風にあおられて西北に広がったが、そのことをSPEEDIは予測していた。浪江町民が避難した津島地区は風下にあり、町民の間では被曝(ひばく)の恐れが今も消えない。岩野班長は「SPEEDIの結果を公表すべきだった」と批判する。

 政府は調査結果を踏まえ、見直し作業を進めている原発事故の防災指針に反映させる意向だ。原子力安全委員会が検討する案では、原発事故に備えて事前対策を講じる地域は、従来の8~10キロ圏内から30キロ圏内に広がる方針だ。半径5キロ圏内は事故時に直ちに避難することになる。

 政府は3月末までに新たな防災指針をまとめる方針。福島県民の経験がどこまで反映されるのか。二の舞いを演じることは決して許されない。

(竹下敦宣)