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2012/01/22

仙台市潜伏中の1996年2月には、斎藤容疑者が知人に預けた金を回収するため上京しており、資金に余裕はなかったとみられる。

「誰かばう?」謎残る逃走生活=教団支援の有無解明―銃撃事件で聴取も・平田容疑者
2012年01月20日

公証役場事務長に対する逮捕監禁罪で起訴されたオウム真理教(現アレフ)元幹部平田信容疑者(46)。警視庁の調べにはほとんど口を開かず、17年近い逃走生活にはまだ謎も残る。同庁は今後、教団関係者の支援の有無や警察庁長官銃撃事件への関与について、本格的に事情を聴く方針だ。

 「迷惑がかかる」。平田容疑者は出頭直後から逃走生活の説明をほぼ拒否。当初は斎藤明美容疑者(49)=犯人蔵匿容疑で逮捕=の存在を隠す目的とみられたが、同容疑者の自首後も態度は変わらず、捜査幹部は「他に誰かかばっているのではないか」といぶかる。

 別の捜査幹部は、斎藤容疑者が自首の際に提出した現金800万円の出所を疑問視する。同容疑者は「平田容疑者が教団から渡された逃走資金1000万円の残りと大阪でためた金」と説明するが、仙台市潜伏中の1996年2月には、斎藤容疑者が知人に預けた金を回収するため上京しており、資金に余裕はなかったとみられる。

 斎藤容疑者の月収は家賃を引くと十数万円。整骨院就職後に全てためた場合、その中から約5万円貯金した計算で、同幹部は「貯蓄本が出せる」と他からの支援を疑う。

 800万円は全て2004年以降に発行された現行一万円札で、旧紙幣の逃走資金は斎藤容疑者の給与と入れ替え、痕跡を消したことも分かった。

 公安関係者などによると、平田容疑者は逃走前に大阪市内の教団施設にいた。また、東大阪市の潜伏先近くにはアレフなどの施設があり、元信者も多く住むという。

 95年3月の長官銃撃事件についても、似た人物の目撃情報に加え「平田容疑者から『事件後フェリーから銃を捨てた』と聞いた」との元信者の証言もある。同容疑者は関与や発言を否定するが、捜査関係者には「何か事情を知っているのではないか」との見方も根強い。(了)

平田信(ひらた・まこと)、斎藤明美(さいとう・あけみ)

[時事通信社]


http://news.toremaga.com/nation/nnews/379482.html



元オウム斎藤明美 平田信に400円以下弁当無言で買い続けた
2012.01.22 07:00
約17年もの間オウム真理教の元幹部・平田信容疑者(46)をかくまい、ともに逃亡してきたとして逮捕された斎藤明美容疑者(49)。1993年3月にオウム真理教に入信し、出家。教団では治療省に属し、オウム付属病院で看護師として活動していた。

その斎藤容疑者が平田容疑者と出会ったのは1994年ごろ。教団が新たに修行場として設けた施設でのことだった。

「当時、平田さんは斎藤さんよりはるかに信者として地位が高い、いわば上司と部下のような関係でした」(元信者)

そして、その1年後、ふたりは逃亡生活を始めた。

「教団の考えで、男女ペアになって夫婦を装ったほうが逃走しやすいということで、お互いの顔を知っていたふたりが一緒に逃げることになったんです」(元信者)

ふたりは福島、宮城、青森、仙台と転々としたが、「都会のほうが紛れやすい」(平田容疑者)と最後に行き着いた先が大阪だった。大阪では3か所、計15年を過ごしたという。

その間、公証役場事務長・仮谷清志さん(享年69)の逮捕監禁致死容疑で特別手配され、顔が知られている平田容疑者は潜伏先のマンションから一歩も出なかった。代わって斎藤容疑者が仲居、喫茶店のウエートレス、事務員、マッサージ師などをしながら、ひとりで逃亡生活を支えていた。最後の潜伏先の東大阪市では「吉川祥子」の偽名で整骨院で働いていた。

出頭時に800万円の現金を持っていた斎藤容疑者だが、その暮らしは実に質素なものだった。整骨院の月給は約20万円。食事は毎日勤め先から支給される1000円でまかなっていたという。

ほぼ毎日のように通っていた弁当店の従業員は、彼女をこう振り返った。

「4~5年ほど前から土日以外の平日の昼はほぼ毎日、ひとりで自転車に乗ってきてました。だいたい、のり弁(290円)と、から揚げとコロッケ弁当(390円)。400円までの弁当をいつも2つ買うてましたな。割引券があるときはそれを利用してはりました。

必ず勤務先の整骨院の宛名で領収書を受け取っていましたよ。笑顔なんて見たことがないんですわ。話もせんし、目線も合わさへんから、変わった人やなという印象です。弁当だって“ありがとう”もいわず無言で受け取るんですよ」

斎藤容疑者たちが暮らしていたのは、整骨院の社員寮という家賃約7万円の8畳ほどのワンルームマンション。部屋には布団が1組と毛布が3枚敷かれていて、室内にはフライパンと鍋が1つずつとスプーンが3本、14インチのブラウン管テレビとパソコンが2台残されていたという。近所の住民は次のように話す。

「整骨院の患者さんたちには“家庭内暴力がひどくて、警察に相談して、こっちに避難してきている”と話していました」

※女性セブン2012年2月2日号








2012/01/11-19:07

「社宅あり」選び就職か=給料手渡し、周囲気にする様子-オウム斎藤容疑者・警視庁
 目黒公証役場事務長の監禁致死事件で逮捕された元オウム真理教幹部平田信容疑者(46)をかくまったとして、元信者斎藤明美容疑者(49)が犯人蔵匿容疑で逮捕された事件で、潜伏先の大阪府東大阪市内のマンションは斎藤容疑者が勤める整骨院の社宅で、2004年に近くのマンションから転居していたことが11日、捜査関係者への取材で分かった。
 斎藤容疑者らは1996年2月まで3カ月間潜伏していた仙台市でも、飲食店の従業員寮にいたとみられ、警視庁は入居時に本人確認が厳しくない社宅がある仕事を選んでいたとみて調べている。
 捜査関係者によると、斎藤容疑者は約10年前から東大阪市の整骨院に勤めていたとみられ、04年に同市内の別のマンションから、整骨院の南約1キロにある社宅マンションに移った。周囲には独身だと説明していたという。
 家賃は給料から引かれており、残った給料は手渡しでもらっていた。偽名で働いていたため、口座振り込みができなかった可能性もある。
 近くの食品店店主によると、斎藤容疑者は働き始めた当初から周囲を気にしている様子で、「前のことは聞かないでほしい」と話していたという。(2012/01/11-19:07)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201201/2012011100862