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2012/01/06

菅首相の指示により福島原発事故の2週間後に『最悪のシナリオ』を作成。「パニックを防ぐため」公表せず

最悪シナリオ、福島事故後に検討 政府は公表せず
 細野豪志原発事故担当相は6日、閣議後の記者会見で、昨年の東京電力福島第1原発事故発生後、1号機の原子炉が爆発して制御不能となり、4号機の使用済み燃料プールから水がなくなり、燃料が損傷する事態を想定した「最悪のシナリオ」を政府内で作成していたことを明らかにした。

 政府はこのシナリオを公表していない。細野氏は「想定しにくいシナリオをあえて描いたもので、過度な、必要ない心配をさせる可能性があった。当時の対応として間違ったことはしていない」と説明した。

 シナリオは、当時の菅直人首相の指示で、近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に作成した。

2012/01/06 13:51 【共同通信】




福島原発事故後、「最悪シナリオ」を検討 政府は公表せず
 細野豪志原発事故担当相は6日、閣議後の記者会見で、昨年の東京電力福島第1原発事故発生後、1号機の原子炉が爆発して制御不能となり、4号機の使用済み燃料プールから水がなくなり、燃料が損傷する事態を想定した「最悪のシナリオ」を政府内で作成していたことを明らかにした。

 政府はこのシナリオを公表していない。細野氏は「想定しにくいシナリオをあえて描いたもので、過度な、必要ない心配をさせる可能性があった。当時の対応として間違ったことはしていない」と説明した。

 シナリオは、当時の菅直人首相の指示で、近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に作成。最悪のケースが生じた場合、4号機の燃料などから放出された放射性物質がどの範囲にどの程度拡散するかをシミュレーションした。この情報は菅首相や細野氏ら、政府内でも一部にとどめたという。







(2011年12月31日15時20分 読売新聞)
原発事故直後、首都圏避難も想定…原子力委
 内閣府原子力委員会が今年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の発生直後に、「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」と題した報告書をまとめ、同事故発生から2週間後の3月25日に当時の菅首相に提出していたことが分かった。

 報告書によると、同原発で新たな水素爆発などが起こり最悪の事態に発展した場合には、〈1〉同原発から半径170キロ・メートル圏内で強制移住〈2〉同250キロ・メートル圏内で避難―――の必要があると指摘。170キロ・メートル圏内には南東北や新潟県の一部、北関東の一部が、250キロ・メートル圏内には東京都や埼玉県の大半、横浜市の一部がそれぞれ含まれる。

 政府は、同報告書を踏まえ、最も核燃料の溶融が懸念された4号機について耐震補強工事を施すなどし、こうした事態は回避された。政府関係者は、「最悪の事態が起きても避難する時間的余裕はあり、パニックを防ぐため報告書は公表しなかった」としている。





毎日新聞 2011年12月24日 東京夕刊
東日本大震災:福島第1原発事故 最悪「170キロ圏強制移住」 原子力委員長、前首相に3月試算
 東京電力福島第1原発事故から2週間後の3月25日、菅直人前首相の指示で、近藤駿介内閣府原子力委員長が「最悪シナリオ」を作成し、菅氏に提出していたことが複数の関係者への取材で分かった。さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになると試算していた。

 近藤氏が作成したのはA4判約20ページ。第1原発は、全電源喪失で冷却機能が失われ、1、3、4号機で相次いで水素爆発が起き、2号機も炉心溶融で放射性物質が放出されていた。当時、冷却作業は外部からの注水に頼り、特に懸念されたのが1535本(原子炉2基分相当)の燃料を保管する4号機の使用済み核燃料プールだった。

 最悪シナリオは、1~3号機のいずれかでさらに水素爆発が起き原発内の放射線量が上昇。余震も続いて冷却作業が長期間できなくなり、4号機プールの核燃料が全て溶融したと仮定した。原発から半径170キロ圏内で、土壌中の放射性セシウムが1平方メートルあたり148万ベクレル以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算。東京都のほぼ全域や横浜市まで含めた同250キロの範囲が、避難が必要な程度に汚染されると推定した。

 近藤氏は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話した。菅氏は9月、毎日新聞の取材に「放射性物質が放出される事態に手をこまねいていれば、(原発から)100キロ、200キロ、300キロの範囲から全部(住民が)出なければならなくなる」と述べており、近藤氏のシナリオも根拠となったとみられる。








2011/09/18 菅直人元首相インタビュー