ページ

2011/12/06

冬柴鉄三氏死去

冬柴鉄三元公明幹事長が死去=自公政権のパイプ役
 元公明党幹事長の冬柴鉄三(ふゆしば・てつぞう)元衆院議員が5日夜、肺炎のため、兵庫県尼崎市内の病院で死去した。75歳だった。中国・瀋陽(旧奉天)生まれ。6日に通夜、7日に告別式を親族のみで執り行う。

 1960年に関西大を卒業後、弁護士を開業。86年の衆院選に旧兵庫2区から出馬し初当選、以後連続7期当選した。93年、非自民連立の細川内閣で自治政務次官に就任。98年には、旧新進党解党に伴い公明党系衆院議員で結成された新党平和の幹事長、その後、再結成された公明党の幹事長をそれぞれ務めた。同党幹事長として自民党との連立政権を支え、安倍、福田両内閣で国土交通相に就いた。 

 2009年衆院選に兵庫8区から出馬したが落選。次期衆院選には出馬せず引退の意向を固めていたが、公明党が「党にとって必要な人」と判断、比例代表へのくら替えで調整していた。(2011/12/06-01:37)

 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2011120500934





公明党元幹事長、冬柴鉄三氏が死去
2011.12.5 23:27 [公明党]
 公明党元幹事長で国土交通相などを務めた冬柴鉄三氏が5日午後8時3分、兵庫県尼崎市内の病院で死去した。75歳だった。中国・瀋陽生まれ。6日に通夜、7日に告別式を親族のみで執り行い、後日お別れ会を開く。

 地元秘書によると、冬柴氏は今年夏、睡眠時無呼吸症候群(SAS)と肺炎を患い1カ月近く入院。11月24日に次期衆院選に比例代表近畿ブロックから出馬表明したが、翌25日に再入院した。その後退院したが、5日午前7時ごろ、尼崎市の自宅で呼吸困難となり病院に搬送された。

 冬柴氏は昭和11年生まれ。関西大卒。弁護士。昭和61年に旧公明党で初当選し、新進党などを経て平成10年の公明党再結党に伴い幹事長に就任、4期8年務めた。安倍晋三、福田康夫の両内閣で国土交通相。21年の衆院選で落選した。

 公明党の山口那津男代表は5日夜、「あまりに急な悲報に驚いている。党に多大な貢献をした人で同じ弁護士として公私ともにお世話になった。大変残念だ」と語った。






冬柴鉄三氏死去:自公連立で難題調整 衆院選出馬表明後に
 09年まで10年間に及んだ自公連立政権で公明党幹事長や国土交通相を歴任した冬柴鉄三氏が5日、死去した。特に小泉政権では幹事長として自衛隊のイラク派遣など難題の調整に努め、自民党の山崎拓、保守党の二階俊博両幹事長(いずれも当時)と「3幹」の信頼関係を築いた。

 公明党の神崎武法元代表は「党代表-幹事長のコンビで90年代末から21世紀初頭の激動の政治を経験した。自公連立スタート時のさまざまな労苦を思い起こす」と悼んだ。

 09年衆院選兵庫8区で新党日本の田中康夫代表に敗れた。75歳の高齢ながら「任期中に66歳を超えない」とする党の定年制の例外扱いで次期衆院選比例近畿ブロックからの再挑戦が先月24日に発表されたばかり。自民党との選挙協力で民主党からの政権奪還を図る公明党として「自公の顔」とも言える冬柴氏への期待も大きかった。

 山口那津男代表は「党に多大な貢献をされた方であり、偉大な先輩として尊敬していた。これからもう少し活躍していただけると思っていただけに、極めて残念」と哀悼の意を表した。【岡崎大輔】

毎日新聞 2011年12月6日 1時17分(最終更新 12月6日 1時29分)