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2011/12/24

文科省、「SPEEDI」の公表の是非を誰がどのように判断したかには触れず=省内の事故対応検証の中間報告で

「SPEEDI」検証せず 文科省が中間報告
2011年12月24日 02時05分
 福島第1原発で事故が起きた当初、政府が放射性物質の拡散をシミュレーションしながら公表しなかった問題で、文部科学省は23日、省内の対応を検証した中間報告を発表した。公表が遅れた理由に関し関係者に聞き取りするなど十分な分析をした形跡はなく、職員から募った意見を並べただけの内容となっている。



 文科省は10月、政務官をリーダーに検証チームを編成。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」を120億円を投じて開発、運用していたのに、福島県民の安全な避難につながらなかった問題を検証するはずだった。

しかし、報告書では「当初は放射性物質の放出量が仮定したものだったことなどから公表されなかった」と、これまでに政府と東京電力の統合対策室の会見などで出た説明を簡単に記載。事故直後の公表の是非を誰がどのように判断したかには触れず「放出量が分からなくても当初から公表することが必要」と教訓を記した。

 文科省の担当者は「緊急時の対応態勢という全体的な課題に焦点をあてた」と釈明。今後、詳しく検証し、来年3月末までに報告書をまとめるという。

 文科省の姿勢に、専門家から疑問の声が出た。東京大の児玉龍彦教授は「予測が公開されていれば、無用の被ばくをせずに済んだ人が多数いた」と対応を批判。原子力安全の専門家で社会技術システム安全研究所長の田辺文也氏は「事故から9カ月余がたっており、検証を本当にやる気があるのか疑う。誰がどんな理由で非公表を決めたのかを明らかにしなければ、同じ過ちを繰り返す」と訴えた。

(中日新聞)





【震災】「SPEEDI」公表について文科省が“反省” (12/23 18:43)
東日本大震災の際、データの公表で批判が集中した「SPEEDI」に関して、文部科学省は「リスクコミュニケーションで課題を残した」との見解を示しました。

 文科省では、東日本大震災からの復旧、復興に向けた省内の取り組みについて、職員からの意見を募り、今後の危機管理に生かすための課題や教訓を取りまとめました。職員からは「さまざまな会議が立ち上がったが、それぞれの役割、権限が分かりにくかった」「震災対応は省内全体で行うという意識が欠如しているように思えた」などの意見が寄せられました。

また、SPEEDIの計算結果が政府の避難指示などに活用されなかったことについては「政府、専門家、国民との間でリスクに関する情報や意見を適切に相互交換するという、リスクコミュニケーションにおいて課題を残した」としています。会見に出席した城井崇政務官も「当初から公表すべきだった」と述べました。文科省は、今後も継続して検証を進める方針です。




SPEEDI「当初から試算結果の公表必要」
 文部科学省の東日本大震災への対応を検証していた同省の検証チーム(座長・城井崇文科政務官)は23日、東京電力福島第一原子力発電所事故対応を含む検証の中間結果をまとめた。

 データ公表の遅れから批判を招いた放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI」の運用に関し、「当初段階では試算結果が実際のデータに基づく予測と全く異なるものだったことから公表が行われなかった」ことを課題として指摘し、「放射性物資の拡散傾向を推測し、当初から試算結果の公表が必要」とした。

 データ公表の是非を巡る判断など当時の省内意思決定の詳細については、今後、高木義明前文科相ら当時の政務三役からの聞き取り調査などを行い、今年度内に最終的な検証結果を取りまとめる方針だ。

(2011年12月23日22時00分 読売新聞)





福島第1原発事故 遅すぎる国や県による被ばく検査の実態を検証しました。

福島第1原発事故直後に避難先で何の情報もないまま、被ばくのリスクにさらされた家族がいます。
遅すぎる国や県による被ばく検査の実態を検証しました。

大量の放射性物質をまき散らした福島第1原発。
この時、情報が隠されたことで、被ばくの危険にさらされた人々がいる。
不安の中で続く避難生活を追った。
2011年4月、体育館で共同生活を送りながら、避難先の小学校に通っていた根本成実ちゃん(8)。
両親と3人、福島第1原発から9km地点にある浪江町の自宅から避難していた。
あれから8カ月、根本さんの一家は、福島市内の仮設住宅に移り、成実ちゃんは2回目の転校先に通っている。
小学校は送迎バスで1時間の場所にあるため、毎朝が早い。
根本和枝さんは「子どもに何かあったらっていうのは、毎日、心のどこかにはあるので。悔やんでも悔やみきれないですよね」と話した。
成実ちゃんの両親が抱えてきた不安。
それは、高い放射線量の場所に避難した4日間のことだった。
根本昭義さんは「ちょうどうち、赤いとこ行っちゃったんだよな、これな。浪江町の防災無線で『津島の方に逃げてください』って流れて」と話した。
3月12日午後、根本さんの一家は、原発からおよそ29kmの津島地区に避難した。
この時、国の「SPEEDI(スピーディ、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」は、津島地区に放射性物質が降り注ぐと予測し、福島県も13日に把握していた
しかし、政府はこの情報を隠して、枝野官房長官(当時)は「避難の状況等について、新たな対応をする必要はありません」と言った。
3月23日になって、ようやく「SPEEDI」の情報は公開された。
根本昭義さんは「『SPEEDI』の情報があれば、津島には行かなかったんで、その情報は欲しかったですよね、やっぱりね」と話した。
根本和枝さんは「食事をもらうのに、子どもも一緒に並んでいたので、何かすごい怖くなりましたね」と語った。
津島地区に避難して4日目、浪江町役場は異変に気づき、再び住民全員を避難させた。
翌日の津島地区では、58.5マイクロシーベルト(μSv) 、平常時の1,170倍の放射線量が確認された。
当時、津島診療所にいた関根俊二医師は、避難した住民およそ8,000人が被ばくの危険にさらされたと証言する。
関根医師は「ガラスバッジ、これ放射能の線量計なんですけど、ずーっと何年もゼロ。ところが3月の分だけは、800マイクロシーベルトパーアワー、感知したということは、12日から15日に至るたった4日間で、800マイクロシーベルトを感知したということになる。若い方も子どもさんたちもいたんですよ。だからそういう人たちはね、本当に気の毒だなと思いますけどね」と話した。
8月に内部被ばくの検査を受け「検出されず」という通知が届いた成実ちゃんだが、甲状腺検査は11月になってからだった。
関根医師は遅くとも5月までに検査をしなければ、被ばくの実態がつかめないと指摘してきたが、対応は遅かった。
関根医師は「浪江町でも、津島地区に4日間いた人たちを優先的に早くやってほしいということをね、もう何回もお願いしているんですよね。ところがね、やっぱり遅々として進まなかった」と話した。
被ばくを避けるための情報の隠ぺい、アリバイ作りのような検査
先の見えない避難生活のうえに不安が募っていく。
それでも成実ちゃんは、子どもなりに放射能と向き合っていた。
根本成実ちゃんは「目にも見えないし、味もないし、どこにあるかもわからないから、心配。自分の体だから、守らなきゃいけないし」と話した。
放射能に翻弄(ほんろう)される日々の中で、一家は仮設住宅でもうすぐクリスマスを迎える。
(12/23 00:44)