2011年6月7日 朝刊
福島第一原発の事故で、経済産業省原子力安全・保安院は六日、1~3号機の原子炉内の核燃料が溶けて落下するメルトダウン(炉心溶融)が起きていたとする独自の解析結果を発表した。最も厳しい想定では、地震発生後に1号機の圧力容器が破損した時間は、先に公表していた東京電力の解析より約十時間早いと指摘している。地震から五時間後の三月十一日午後八時には既に危機的状況だった可能性があることが分かった。
西山英彦審議官は会見で「事故の進展が非常に早いと痛感した。少しの対応の遅れが炉心溶融につながる」と述べた。メルトダウンを示す同様のデータは東電も五月二十四日に公表済み。保安院は地震直後のデータを反映させ、東電より精度が高いとしている。
解析によると、1~3号機の圧力容器内の核燃料はいずれも大部分が容器下部に溶け落ち、一部が圧力容器の外側にある格納容器に流出。溶けた燃料は圧力容器の下にたまった水で冷え、現在は残った燃料は水蒸気で冷却され安定している状態という。
最も厳しい条件で解析した場合、1号機は地震から約三時間後、津波到達から約二時間後の三月十一日午後六時ごろに圧力容器内の水位が低下、過熱した棒状の核燃料が壊れ始めた。燃料が溶け落ちて一部が格納容器へ漏れ始めたのは同日午後八時で、東電の解析より十時間も早い。
他号機の圧力容器が損壊を始めた時間は、2号機は東電より二十九時間早い三月十四日午後十一時。一方、3号機は十三時間遅い同日午後十時と解析している。
1号機の原子炉は、米国のゼネラル・エレクトリック製。東電初の原子炉として一九七一年に稼働を始めた。1号機と同型機は日本には日本原子力発電の敦賀原発1号機(福井県敦賀市)がある。東電より早い七〇年に送電開始した。現在は定期検査で停止中。西山審議官は「今回の事故から問題点を洗い出し、対策を考えたい」と強調し、敦賀1号機への対応を検討する意向を示した。
保安院は今回の解析を受けて地震直後から三月十六日までに福島第一の1~3号機から外部に放出された放射性物質の総量は七七万テラベクレル(テラは一兆)と発表。これまでは三七万テラベクレルとしており、二倍以上に修正。格納容器からの漏出を多く見込んだため。政府の原子力安全委員会は六三万テラベクレルと推定している。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の総放出量は五二〇万テラベクレル。
1号機原子炉損傷は5時間後
6月6日 19時35分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きて原子炉が損傷した時期について、経済産業省の原子力安全・保安院が解析した結果、1号機では地震発生からおよそ5時間後で、東京電力の解析よりも10時間早いとする見解を公表しました。
原子力安全・保安院は、先月、東京電力から提出された福島第一原発の事故に関する記録などを基に、事故の経緯について独自に解析しました。
それによりますと、1号機では、津波によって原子炉の冷却機能が失われ、地震発生の2時間後には核燃料が水面から現れ始め、地震発生から5時間後の3月11日午後8時ごろには、メルトダウンが起きて原子炉が損傷した可能性があるとしています。これは、東京電力の解析よりもおよそ10時間早くなっています。
また、2号機では、地震発生からおよそ80時間後の3月14日の午後10時50分ごろ、3号機では、およそ79時間後の3月14日の午後10時10分ごろにメルトダウンが起きて原子炉が損傷したとしています。
東京電力の解析と比べると、2号機ではおよそ29時間早い一方で、3号機はおよそ13時間遅くなっています。
東京電力の解析と異なる結果になったことについて原子力安全・保安院は「原子炉に水を注入した量や解析の計算方法が違うためだが、メルトダウンに至る経緯はおおむね一致する」としています。
また今回の事故で、3月11日から16日までに大気中に放出されたヨウ素131とセシウム137を合わせた放射能の量は、1号機から3号機まで合わせると、およそ77京ベクレルに上ると推定しています。
この値は、ことし4月に国際的な基準に基づく事故の評価を「レベル7」に引き上げた際に試算した値のおよそ2倍になります。
これについて原子力安全・保安院は「2号機からの放出量をこれまでの圧力抑制室だけでなく、格納容器からも漏れ出たと仮定した結果、量が倍になった」としています。今回の解析結果は、20日にウィーンで開かれるIAEA=国際原子力機関の閣僚級会合で、日本政府が提出する報告書に反映される予定です。