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2010/12/02

10代半ばには「メンダックス」という名で知られるハッカーとして、2、3人の仲間と米国防省や原子爆弾の研究で有名なロスアラモス国立研究所などのコンピューターへの侵入を繰り返していた。

2010/12/2 16:03.
ウィキリークス創設者アサンジ氏という人物





 == 前略 ==


なぜ今アサンジ氏がこうした容疑で国際手配されたのか。彼の内部告発公表活動と関係はないのかなどについては、様々な見方があるが深入りせず、ここではアサンジ氏の人となりに焦点を当ててみたい。

彼の詳細なインタビュー記事が6月7日付の米誌ザ・ニューヨーカーに掲載されている。彼の生い立ちを知ると彼の反権力主義的な生き方の源がわかる気がする。

彼はオーストラリアの北東部クイーンズランド州で1971年に生まれた。母親は17歳にして教科書を全部焼き捨てバイクに乗って家を飛び出したという。彼女はずっと流浪の生活を送っていたようで、アサンジ氏が14歳になるまでに37回引っ越しをしたという。

彼が1歳のとき母親は地方を巡る劇団監督と結婚したが、二人とも筋金入りの反権力主義者だったようだ。両親は権威に対する不健全な敬意を染みこませるという信念から学校教育を否定し、アサンジ氏に家で通信教育などを使って勉強させた。彼が8歳のとき、母親はミュージシャンと出会い子どももできるが暴力を振るわれるようになり、その後 は、その男から逃げ回るように引っ越しを続けたようだ。

アサンジ氏が、国際手配されたのはごく最近だが、ウィキリークスで内部告発を公表することによって権力に挑み続けてきた彼は、スウェーデンやアイスランドをはじめとする国々を頻繁に移動する生活を続けている。「最近は空港に住んでいる」と言っているそうだ。

コンピューターも独学だったが、パソコンを買ってもらう前から家の近くの電気屋のパソコンでプログラムを書けるほどに使いこなしていたそうだ。そのうち暗号を解読し様々なサイトに侵入することに興味を覚え、10代半ばには「メンダックス」という名で知られるハッカーとして、2、3人の仲間と米国防省や原子爆弾の研究で有名なロスアラモス国立研究所などのコンピューターへの侵入を繰り返していた。

87年、ガールフレンドの家に滞在している間に、彼の家に警察の捜索が入り、コンピューターなどを根こそぎ押収された。シティバンクから50万ドル盗んだ容疑だったという。そのときは何のとがもなくコンピューターも返されたという。

その後、ガールフレンドが妊娠し18歳で結婚するが、その後もハッカー活動を続けていた。しかし、91年、20歳のときににカナダの通信会社ノーテルのシステムに侵入したのがきっかけとなり31件のハッキングの疑いで逮捕される。彼は裁判で、侵入はしたがコンピューターに損害を与えていないと主張して戦った。翌年、25件について有罪とする判決を受けたが「知的好奇心に基づいて様々なコンピューターを自由に渡り歩くことを楽しんでいただけだ」とされ、少額の損害賠償で終わった。一方、逮捕の後で彼の元を去った元妻を相手にした子供の親権を求めた裁判は困難を極めて99年まで続く。ダークブラウンだった髪が真っ白になったのもそのせいだと母親は語っているという。

ニューヨーカー誌は、アサンジ氏に影響を与えた作家としてカフカ、ケスラー、ソルジェニーツィンを挙げる。さらに彼が、人間の戦いは、右派対左派でも理論対信条でもなく、個人対公的機関(institution)だといった考えを抱いているとしている。また真実、創造性、愛、思いやりは、公的機関の上下関係や不公正な利益供与によって歪められているという彼の考え方を紹介している。

その上で、公的機関の内部のコミュニケーションをリークによって妨害することで、これを崩壊させられるという信念が、ウィキリークスの活動につながっていると分析している。

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版がきょう配信した2007年にアサンジ氏が書いたブログのの紹介記事も彼の一面を映し出している。この中で、彼は、資本主義企業は共産主義国家と似ているとして共通点を列挙してみせている。