2010.10.26 09:00
今や「陰の総理」の異名をとり、得意の絶頂ともいえる仙谷由人官房長官。しかし、これまでの政治人生はあまりパっとしたものではなかった。
仙谷氏は55年体制下の1990年総選挙で社会党から初当選した。しかし、小沢氏らが自民党を離党して細川連立内閣を作った93年総選挙で落選し、96年総選挙までの激動の政治史を経験していない。
地元・徳島の会合では、「落選中に民主党を作りあげた」という“伝説”が自慢のネタだが、よほどコンプレックスがあるのだろう。
そういえば、仙谷氏は「全共闘の闘士」といわれてきたが、最近、当時の仲間から「東大紛争の際は安田講堂に立てこもらず、他の闘士の弁当運びをしていた」と暴露されている。三つ子の魂百まで、か。
大言壮語も昔からだ。
ある民主党中堅議員がこう証言する。
「まだ民主党が小政党で、しかも仙谷さんは無役だった頃、ある会合で『君は見どころがある。私の政権構想に入っているぞ』といわれたことをよく覚えている。さすがに吹き出しそうになった」
その「政権構想」なるものは、なんともセコくて小さいものだった。内閣府の幹部が明かす。「仙谷さんは従来3人だった事務の官房長官秘書官を首相秘書官(6人)より多い10人に増やし、各省から課長クラスを集めた。“仙谷幕府を開く”という触れ込みでしたが、そのうち1人は官僚ではなく、民主党事務局を数年前に退職した自治労出身の仙谷シンパ。その元党職員を政治任用で起用し、キャリア官僚並みの待遇を与えている」
さらにこの10月には、東大の同級生である松本健一・麗澤大学教授を内閣官房参与、やはり仙谷氏と親しい笹森清・元連合会長を内閣特別顧問に起用した。 特別顧問や内閣官房参与には最高1日5万1500円の報酬が支払われる。
また、秋の叙勲で矢野絢也・元公明党委員長に瑞宝大綬章が贈られることが内定したが、これは官房長官が主宰する「叙勲等審査会議」で決まる。矢野氏の息子は仙谷氏の公設秘書である。国民のカネで「お友達」に小金や勲章を配るのが、夢にまで見た「政権構想」だったというわけだ。
※週刊ポスト2010年11月5日号