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2013/08/10

【忘備録】 平家落人伝説と修験道@鉱山師

山口放火殺人 平家の落人伝説が語り継がれていた場所だった

2013.07.30 07:00




 山口県周南市金峰の集落で5人が相次いで殺害された事件で、重要参考人として行方をくらませていた同じ集落に住む63歳の男が、7月26日に身柄を確保された。

 駅前の市街地を抜けると、後は街灯なき暗闇が延々と続く。JR徳山駅(山口県)から車で約1時間──。中国山地の一画を形成する金峰山(標高790メートル)への一本道を縫うように進むと、斜面にへばりつくような家々がポツポツと見えてくる。

 惨劇の舞台となった金峰郷(周南市)。現場周辺を必死に捜索した山口県警捜査員は400人を数えた。さらに周囲に群がる報道陣によって異様な緊迫感が伝わってくる。その光景を眺めながら地元雑貨屋の店主が呟いた。

「捜査員も大変だろうねェ。この辺りの山々は中国山地の一部だから、土地勘のある人間なら山を通って広島にでも島根にでも割と簡単に行けちゃう。

 奥深くいけば横穴や洞窟がたくさんあって、そういうところに潜めば山狩りしたってなかなか見つけられるものじゃない。ここら、平家の落人伝説まで語り継がれるぐらいですから」

 実際、金峰郷からほど近い山間の集落は、壇ノ浦で滅びた平家一族の残党が逃げ込んだとされる地域だという。「平家岳」などの所縁の地名も数多く残る。金峰郷の近くに住む古老はこんなことも言った。

「このあたりは、“七人みさき”ゆう、ごんごんち(山口弁で妖怪を意味する)がおる、言われとります。日が落ちてお坊さん姿の七人の幽霊が鐘をならしながら連なって通りよる。それに会うた女子どもはさらわれるゆうものですわ。夜のうちに起きた今回の事件も、亡くなった方は何かの『祟り』じゃないか、という人もおります」

 この種の怪談が生まれるのもしかりと思うほど、金峰郷には奇妙な静けさと漆黒の闇が広がっていた。

 ここでは、携帯すら繋がらない。隣家まで200メートルという家も珍しくはない。周南市役所によれば、六月末時点で金峰郷には8世帯14人が住んでいたという。男性7人、女性7人。そのうち60歳未満は3人しかいない超高齢過疎地帯である。今回亡くなった5人の被害者も、皆70歳を優に超えている。

「ここの主要産業は林業で、その林業に附随した産業としてのシイタケ栽培も盛んでした。でも、そういった産業が斜陽化してくるに伴い、過疎化が進んでいきました。現時点では具体的な復興策も見つかってない」(周南市役所中山間地域復興課)

 また訪問介護施設職員は、「ここは、いわゆる“限界集落”です。介護している人が60代というような老々介護の世帯も多い。私たちは『孤独死』を出さないことを目標に、日々見回りを続けていましたが、まさかこんなことになるとは……」と肩を落とした。

※週刊ポスト2013年8月9日号

















奥畑川の最上流秘密尾は平家落人伝承の地である。壇ノ浦の戦いで敗れた平家は源氏の執拗な追撃を逃げ延びたと伝わる。今も中・四国、九州の山深い里に転々とその痕跡を見る事ができる。山口県でも平家ヶ岳から長野山・馬糞ヶ岳・大峠と続く稜線の東西を流れる木谷川、奥畑川流域にそれは色濃く残っている。彼等は山中の仮住まいで木地を挽き、出来上がった椀・盆など売り生計を立て次第に定住化していったのである。人丸社伝承に木地屋集団が関わっているのは別に述べたが、これは惟喬親王を職祖とする近江系の木地屋であり、平家系の木地屋には相容れない伝承である。

氷見神社に合祀されている人丸社は、もと、少し南に下った石ヶ谷集落への入口部の山の尾根にあったが、集落の無住化により合祀廃社となったという。跡地にあった木造の社祠は崩壊(焼失ともいう)し、屋根の波板が枯葉に埋まっていた(北緯34度14分25秒、東経131度52分19秒)。

石ヶ谷の近く奥大町には明治・大正時代に坂根鉱山(アンチモン)が稼業されている。また奥畑川流域は紙漉き用の楮栽培も盛んに行われていた地域でもある。採鉱職人や紙漉き職人も人丸神伝承に深く関わる集団であるから、ここの人丸社もいずれかに縁由するものであろう。

氷見神社では、旧暦の八朔に柿の葉に盛った赤飯75膳と合せ柿を人丸様への供物とするとのことであった。徳地町から米光・高瀬にかけての、旧徳地宰判に伝わる柿の葉75膳の人丸への神供風習がここにもみられた。









郷社  氷見神社
 平安初期に朝廷で編纂された歴史書「三代実録」に”清和天皇貞観九年正五位上比美神に従四位下を授く”と朝廷より神々が高い位を与えられたことが記されています
本宮、中宮、上宮と合わせて露嶋宮と尊称しています
行事
● 2月10日 元旦祭  ●4月10日 春大祭
● 7月10日 夏祭         祈年祭
●11月23日 秋季例大祭 新嘗祭
      12時より 接待(いも煮、焼そば、その他)
      2時30分より 大餅まき
氷見神社と社叢
 神社が創建された貞観(じょうがん)7年(870年)、広大な原生林を切り開くのに七日間かかり、やっと太陽を拝めたということから、ここは日見尾(ひみお)と名付けられたそうです。後年それが訛(なま)り、明治までは「ひびゅう」と呼ばれていました。
 明治20年頃、禊(みそぎ)の権威者・川面凡児(かわづらぼんじ)が二年間ここに籠(こも)り、神道修行の形態を完成させてからは、禊の行場として有名になりました。
 杜には禊の滝などの修験(しゅげん)道があり、地名が神官の「秘密の勤行(ごんぎょう)」に由来するという説も生まれました。



比美神(周防国)





『日本三代実録』貞観9年8月16日壬午条(867)


周防国正五位上出雲神。石城神。比美神並授従四位下。従五位上剣神。二俣神並正五位下。豊後国従五位上火男神。火咩神並正五位下。大和国従五位下檉生竜穴神正五位下。従五位下武雷神。保沼雷神並従五位上





鹿野の自然 金峰山 789.9M




 霊峰にふさわしく、土地の人々は心を込めて、「みたけ(御岳)」呼ぶ。
『防長風土注進案』によれば、昔の名は「カルサ」であったが、奈良時代の初期に、信仰の山「みたけ」になったと伝える。
 鐘状火山のため、山は空に向かってスラリとそびえ立ち、人目を引く。特に向道湖に浮かぶ姿は最高である。この山には三つの峰があり、頂上はまん中の「ニの岳」である。ここはカヤトの原で、展望をさえぎるものはなく、山と湖の織りなす景観は申し分ない。
 しかし、山に取りついてみると、気持ちに何かひっかかるものがある。それは、山の美しさとは裏腹に、すなわち山麓で眺めた山への期待があまりに大きいだけに、登りだして初めてわかる、自然破壊のすさまじさである。
 シジュウカラの群れとヤマセミ、メジロに会ったものの、動物の住める広葉樹林はきわめて少ない。スギ、ヒノキの植林帯では動物は生息できない。また、登路の安全を祈るかのように道に安置されていた石仏も今はなく、からっぽの祠は完全に壊滅しており、代わって大きな二枚の反射板が居座っている。
 この地域の過疎化は、昭和15年の向道ダム建設にさかのぼるという。当時、徳山軍港が海軍の重要な基地として役割を果たしていた頃、県下最初の多目的ダムとして軍部が強行に計画を遂行、反対は許されなかった。それによって川のそばの「一等地」の田畑52ヘクタールと民家155戸が水没。移転の保証は微々たるものだったという。百姓から田畑を取りあげれば、農業地域の過疎化は当然だといえる。



Wikipwdia 金峰山



金峰山(きんぷせん)とは、奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称である。金峯山とも表記し、「金の御岳(かねのみたけ)」とも呼ばれる[1]。

吉野山の金峯山寺は修験道の中心地の一つであり、現在は金峯山修験本宗の総本山である。




各地の金峰山[編集]

日本各地にも同名の山があるが、多くはその山に、奈良県吉野金峰山の蔵王権現を勧請したことに因む。御嶽山(御岳山)も参照(同じ山に、金峰山と御嶽山の両方の名称が使われることがある)。

 金峯山 (山形県)(きんぼうざん) -- 山形県鶴岡市。標高471m。山頂に吉野の金峰山から勧請した金峯神社がある。

 金峰山 (秋田県)(きんぽうざん)-- 秋田県横 手市平鹿町醍醐。標高452m。山頂には金峰山神社がある。ふもとには「ゆっぷる」という町立温泉施設が有り、宿泊も出来る(要予約)

 金峰山 (山梨県・長野県)(きんぷさん、きんぽうさん) -- 山梨県・長野県境。奥秩父山塊の主峰の一つ。標高2599m。日本百名山のひとつ。吉野の金峰山から蔵王権現を勧請したことによる。

 金峰山 -- 東京都青梅市の御岳山の別名。山頂に吉野の金峰山から勧請した金峰山御嶽蔵王権現(現 武蔵御嶽神社)がある。

 金峯山 -- 鳥取県岩美郡岩美町。標高329m

 金峯山 -- 島根県隠岐郡隠岐の島町。標高199m

 金峰山 -- 山口県周南市。標高790m

 金峰山 (熊本県)(きんぼうざん) -- 熊本県熊本市。標高665m。山頂に吉野の金峰山から勧請した金峰山神社がある。

 金峯山 (鹿児島県)(きんぽうざん) -- 鹿児島県南さつま市。標高636m。

脚注[編集]
 1.^ 今昔物語に「金峯山は別名を『金の御岳』(かねのみたけ)」と呼び、ここで金を得た話」が載っている。(大和大峰研究グループ著『大峰山・大台ヶ原山 -自然のおいたちと人々のいとなみ-』築地書館 2009年 40ページ)




















新潟県中魚沼郡津南町大赤沢 カルサ沢



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平家の落人の里と言い伝えられる秋山郷は、信濃川の支流である中津川上流に位置する越後7集落と信州5集落の総称