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2011/12/01

英国、テヘランの英国大使館を閉鎖。ロンドンのイラン大使館には即時閉鎖と職員の48時間以内の退去を通告。

テヘランの英国大使館閉鎖、在英イラン大使館には退去通告
2011.12.01 Thu posted at: 10:35 JST
 ロンドン(CNN) イランの首都テヘランにある英国大使館がデモ隊に襲撃された事件を受け、英国は29日に同大使館を閉鎖して全職員を出国させた。さらに、ロンドンにあるイラン大使館の即時閉鎖と職員の48時間以内の国外退去を通告した。ヘイグ英外相が30日に議会で明らかにした。

ヘイグ外相によると、この事件では29日にテヘランの英国大使館と外交施設が襲撃され、デモ隊の一部は大使公邸や職員の自宅に踏み込んで物品を略奪したり、大使館の建物に放火したりした。

英政府は、イランの治安当局には国際法に基づき外国政府の公館を守る義務があったとして同国を強く非難。対抗措置を検討すると表明していた。

ヘイグ外相は「何らかの政権の同意なしに、イランの当局がわが国の大使館を守れなかった、あるいはこのような襲撃事件が起きたとは考えられない」と強調。大使館に乱入した約200人の大半は民兵組織バシジの学生であり、「イラン政権の分子によって操られていた」と主張した。

同外相によると、この問題について、国連安全保障理事会をはじめ、米国、ドイツ、ポーランド、ロシア、フランスが懸念を表明。さらにフランス、ドイツ、オランダは30日までに駐イラン大使を召還したほか、ノルウェーは在テヘラン大使館を一時的に閉鎖した。

アイルランドの外務省はイランに対し、駐イラン英国大使の追放を決めた措置についての再考と襲撃事件関係者の訴追を求め、それができなければ「欧州連合(EU)および国際社会とイランとの関係にとって重大な結果を招くだろう」と警告した。

フランス外務省によると、EU外相理事会は1日の会合でこの問題について協議する。




英「外交を最小限に縮小」 在イラン大使館閉鎖
2011/12/1 2:10
【ドバイ=中西俊裕】在イラン英国大使館の施設に群衆が乱入した事件を受け、国際社会の緊張が高まっている。ヘイグ英外相は30日、テヘランの英大使館の閉鎖を通告。英国に駐在するイラン外交官には48時間以内の国外退去を要求した。欧州連合(EU)は1日に開く外相理事会で、イランへの制裁強化を協議する見通し。イラン側は態度を硬化させる構えもみせている。

 キャメロン首相は下院の質疑で大使館員や家族の安全確保を優先する姿勢を示しつつ「恥ずべき行為に強硬な措置をとる」と表明した。ヘイグ外相はイランとの関係について「完全な断交」ではないとしながらも「最小限に縮小する」と強調した。ドイツ政府が大使召還、ノルウェー政府は在イラン大使館を一時閉鎖したとの情報もある。

 欧米首脳は「英大使館職員を保護できなかったことの重大さ」(キャメロン首相)「イラン政府が国際法上の義務を真剣に受け止めていないことの表れ」(オバマ米大統領)などと批判を強めている。米英は犯罪者を起訴し、同様の事態が起きないようけじめをつけることを求めている。

 一方、ジュペ・仏外相は30日にレクスプレス誌との会見で「イラン中央銀行資産の凍結、同国との原油、石油製品などの取引停止など、政権をまひさせる規模の制裁」を提唱した。ただ、近隣国に複雑な影響をもたらす恐れのある武力介入には反対する姿勢を示した。

 EU外相理事会は今回の事件に加えてイランの核開発の懸念を改めて認めるとともに、資産凍結や渡航禁止などの強化策を話し合うとみられる。

 一方で今回の乱入の背景には欧米の制裁路線に対し、イラン国内で膨らんだ不満と反発がある。国際原子力機関(IAEA)が11月上旬、イランの核疑惑に関する報告書を公表。同中旬にはIAEA理事会が疑惑解明を強く迫る決議を採択するなど、欧米主導で矢継ぎ早にイランへの圧力を強める措置が取られた。

 下旬には米英カナダが包括的な制裁案を発表。その中で英政府がとった自国銀行のイラン中銀との取引停止は、ほかの欧米諸国がこれまで踏み込まなかった厳しい内容。イランはこの措置が広がれば、モノの取引が広範囲で決済不能になると神経をとがらせている。

 イランのラリジャニ国会議長は国連安全保障理事会が乱入事件を受け非難決議へ動いたことに言及し「(イラン)警察当局が平穏を維持するため全力を尽くしたのに、安保理が性急な動きを示したことは米英が犯罪的な意図を隠そうとするもの」と反発した。

 武力行使は極めて難しい状況で、焦点は外交的な駆け引きに移る。欧米諸国は騒乱が、政府の意思と連動したものではないかとの疑念を深めており、国際法違反の観点から圧力を強めそうだ。

 イランに同情的だった中国もたしなめる姿勢を示す。ラリジャニ議長のような強硬姿勢は国際社会でマイナスに働きかねない。米欧は中ロにも打診しつつ、包囲網を強めることが予想される。






イランラジオ
2011年 11月 30日(水曜日) 16:27
イギリス、イランとの危機的関係の根源
アミーンザーデ解説員
在テヘラン・イギリス大使館が、29日火曜、イギリスの敵対的、干渉的な措置を非難する学生らの自発的抗議の舞台となりました。

イランの怒れる大学生ら数名が29日、イランに対するイギリスの敵対政策に抗議し、在テヘラン・イギリス大使館の敷地内に侵入し、同国の国旗を引き下げました。「イギリスに死を」というスローガンを掲げた大学生らは、警察部隊と衝突しましたが、抗議者が多数だったことから、大使館の敷地内に入り込み、イギリスの国旗を引き下げました。先日、イラン国会はイギリスとの関係縮小に関する法案を賛成多数で承認していました。

外交的慣習という立場から、国際レベルで昨日の事件に対する多くの非難の声が上がっており、イラン外務省がこの出来事に非難する声明を出したこともこうした見地によるものです。しかしながら、これはコインの一面にすぎません。EUから国連安保理まで、在テヘラン・イギリス大使館襲撃事件を非難するさまざまな声明や報道の中では、このような事件が起こるにいたったイギリスの挑発や西側、そして明らかにイギリスの外交政策に携わる人々の敵対行為への反発といった理由に触れていません。

イギリスは、長年、イランに対して敵対行為をとってきましたが、通常、国際条約に基づいて各国の外交機関を保護するという義務に関して、イランも1980年4月30日、在ロンドン・イラン大使館への襲撃という同様の経験を持っているということが言えるでしょう。この問題は今もイギリスで議論され、証拠文書について審議されうるものです。

1980年4月、イラクからイギリスに渡航したと言われていた6名のテロリストが、在イギリス・イラン大使館への武装攻撃により、26名を6日間にわたって拘束しました。この中で、イラン人外交官2名が殉教しました。一部情報筋は、イギリス軍の突入の中で人質が死亡したことに疑問の念を抱き、彼らの死亡により、人質事件の裏にあった情報の多くが失われたとしました。イギリス政府がこの人質事件の真の計画者でなかったとしても、この事件の発生に確かに関わっていたことを示す証拠も存在します。さらに大使館の安全を確保するのは、イギリス政府の義務です。

このことから、イランに対する多くの政治的敵対の中で、イギリスの被害者意識に目を向けてみると、過去の事件を度外視すべきではないでしょう。その一方で、イラン国民はイギリスの植民地主義の古傷を抱え、ここ数日、イラン国会でイギリスとの関係縮小に関する法案を可決したことは、イラン国民の要求に応じた当然の反応です。

イギリスはここ数日、駐米サウジアラビア大使の暗殺計画、人権侵害、核問題に関するIAEA事務局長の偽りの報告といった3つの問題をめぐるアメリカのイランへの敵対行為とともに、対イラン独自制裁という挑発的、敵対的な立場をとり、反イランの新たな火種を作りました。

イランに対するイギリス政府の行動の予期せぬ結果のひとつに、イランの核物理学者の暗殺記念日における大学生グループの抗議行動があります。この暗殺事件は2年前、イスラエル、アメリカ、イギリスの諜報員によって実行されたものです。

イギリスの新聞インディペンデントは、事件の翌日、イランの核物理学者の暗殺は、イランの核開発を停止、あるいは遅らせようとするモサド、CIA、MI6の共同工作だったと伝えました。

2010年11月29日、外国に雇われた要員が二人の大学教授を暗殺の標的にしました。テヘラン・シャヒードベヘシュティ大学のシャフリヤーリー教授がこの中で殉教し、その妻が負傷しました。もう一人の現原子力長官をつとめるアッバィー教授も妻とともに負傷しました。またテヘラン大学のアリーマハンマディ教授も2009年1月、暗殺されています。

国連安保理は在テヘラン・イギリス大使館襲撃事件の後すぐ、非難の声を上げましたが、イランに関するイギリスの敵対措置や陰謀については意味深な沈黙を保っているのです。








◆イスラム革命後のイランをめぐる動き◆

1978年    テヘランで王制打倒の大規模暴動


  79年    パーレビ国王が国外退去、イラン・イスラム共和国樹立


         学生が元国王引き渡しを求め米国大使館を占拠


  80年    米国とイランが断交


         イラン・イラク戦争発生


  81年    米大使館の人質解放


  84年    米国がイランを「テロ支援国家」に指定


  85年ごろ  核開発計画を決定。87年ごろ着手


  88年    イランとイラクが停戦


  89年    最高指導者のホメイニ師死去、ハメネイ師が後継者に


  97年    改革派のハタミ大統領就任


2002年    米大統領がイランなどを「悪の枢軸」と非難


         反体制派が核兵器開発疑惑を公表


  03年    IAEAが重水炉建設などの申告漏れを指摘、理事会でイラン非難決議採択


  05年    保守派のアフマディネジャド大統領就任


  06年    核問題で国連安保理が経済制裁決議、イランは平和目的と反発(07、08、10年追加制裁決議)


  07年    米国とイランが断交後初の公式対話


  09年    オバマ米大統領がイランに対話を求める


         アフマディネジャド大統領が再選


  10年    ウランの20%濃縮開始


  11年11月 IAEAが核兵器開発疑惑報告、イランは否定


         米英が制裁強化、護憲評議会が英国大使の追放を承認


         テヘランの英大使館が襲撃される


毎日新聞 2011年11月30日 東京朝刊


http://mainichi.jp/select/world/news/20111130ddm007030060000c.html