3月20日 4時11分
福島第一原子力発電所で放水活動に関わった東京消防庁の消防隊員3人が記者会見を開き、地震や津波で車両の通行もままならず、放射線にさらされるぎりぎりの状況のなかで、試行錯誤を繰り返しながら作業をやり遂げたことを明らかにしました。
会見の中で、消防隊員は、派遣の3日前に都内の河川敷でさまざまな想定で放水の訓練を行ったうえで、18日、原子力発電所に向かったと説明しました。
ところが、午後5時すぎに敷地に着いてみると、津波や水素爆発によるがれきが散乱して車両が通行できない場所が多く、当初計画していた岸壁には、海水をくみ上げるポンプ車を置くことができなかったということです。
また、重さが100キロある送水用のホースを設置するための車が、予定していた場所を通行できないことも分かり、いったん指揮本部に戻って作戦の練り直しを迫られたということです。
そして、夜11時すぎに再び現場に向かい、全長800メートルのホースのうち、350メートルほどを手作業で設置することにし、40人の隊員が二手に分かれて放射線にさらされる恐怖のなか、車を降りて作業に当たりました。
この際、作業する隊員離脱用の車が付き添って放射線の測定を続けたといいます。また、19日午前0時半から始めた放水では、地上22メートルの高さまで放水用のアームが伸びる「屈折放水塔車」という消防車を、3号機からわずか2メートルほどの場所に置いて、白煙が上がっていた50メートルほど先の使用済み燃料を保管するプールをめがけて放水したということです。
消防隊員は「送水した直後に、東京電力の担当者から『周囲の放射線量がゼロ近くに下がった』と聞き、放水が確実にプールに届いたと思い、ほっとした」と心境を語りました。消防隊員の1人は「非常に難しい危険な任務だったが、国民の期待に応えることができたという充実感でほっとしている」と述べました。
また、別の隊員は「部下の隊員は非常に士気高く現場に臨んでくれたが、家族にはおわびとお礼を申し上げたい」とことばを詰まらせながら話していました。