毎日新聞 3月9日(金)2時31分配信
岩手県大槌町吉里吉里の吉祥寺に、震災で犠牲になった子供の遺骨が安置されている。岩手、宮城、福島の3県で見つかった子供の遺体のうち、身元が分からないのはこの1体だけだ。約7カ月前から預かる住職の高橋英悟さん(39)は「早く家族の元に帰してあげたい」と願う。震災の犠牲者を弔う法要が営まれる10日、他の身元不明の遺骨と一緒に供養される。
山寺の朝の静寂に包まれた位牌(いはい)堂。「お父さん、お母さんが早く迎えに来るといいね。心配しないでここにいていいからね」。整然と並ぶ檀家(だんか)の位牌の前に置かれた木箱の一つに、高橋さんが優しく話しかけた。骨つぼが入る木箱のふたには「131」と記したシールが貼ってある。
毎朝、経を読んだ後、一人一人の遺骨に声をかけるのが高橋さんの日課だ。多い時には150を超す身元不明の遺骨を預かっていたが、徐々に遺族の元に帰り、現在約30体が残っている。それぞれ番号で識別され、「131」は唯一の子供の遺骨の番号だ。
県警などによると、遺体は昨年5月上旬、大槌町上町のがれきの中から自衛隊員が発見した。焼けて損傷が激しく、性別や詳しい年齢は分からない。推定で幼児から10代前半と幅を持たせているが、頭の大きさなどから幼児の可能性が高い。8月上旬に火葬され、遺骨が寺に預けられた。
大槌町で7日現在、12人の子供(0~15歳)が行方不明のままだ。「孫かもしれない」などとDNAの照合依頼が複数あったほか、新たな遺体が発見されるたびにこの子供のDNAとの照合を重ねたが、合致しなかった。家族全員が被災した▽一時的に大槌町に来ていた▽他県から流されてきた--などの可能性があるという。
「これだけの間一緒にいたら家族みたいなもの」と高橋さんは言う。10日の法要では、仮設住宅で暮らす被災者らが手作りしたろうそくに火をともし、身元不明の遺骨も本堂に並べて冥福を祈る。
警察庁によると、3県の身元不明遺体は7日現在、岩手113、宮城347、福島4の計464体で、懸命の身元確認作業が続いている。【川島紘一、安藤いく子】
「お化けや幽霊見える」 心の傷深い被災者 宗教界が相談室
2012.1.18 11:49 (1/3ページ)[宗教]
「お化けや幽霊が見える」という感覚が、東日本大震災の被災者を悩ませている。震災で多くの死に直面した被災者にとって、幽霊の出現は「心の傷の表れ」(被災地の住職)という見方もある。だが、行政に対応できる部署はなく、親族にも相談しづらい。心の傷を癒やすよりどころになろうと、宗教界は教派を超えて取り組んでいる。(荒船清太)
1月初旬、仙台市の仮設住宅に住む70代の夫婦が市内の浄土宗寺院、愚鈍院をお参りに訪れた。いつも通りあいさつを交わした中村瑞貴住職に、夫が「実は…」と口を開いた。始まったのは「お化け」に関する相談だった。
「仮設住宅に何かがいる。敷地で何かあったんじゃないかと思う」という夫に、中村住職は「供養しましょうか」と応じた。仮設住宅でお経を唱え、供養を終えると、「誰にも相談できなかったんです」。夫はホッとした表情でそう打ち明けたという。
「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」…。被災者の“目撃談”は絶えない。遺体の見つかっていない家族が「見つけてくれ。埋葬してくれ」と枕元に現れたのを経験した人もいる。
ただ、被災者がこうした相談を持ちかける機会はまれだ。キリスト教や仏教など教派を超えて支援活動を行っている日本基督教団仙台市民教会(プロテスタント)の川上直哉牧師は「(お化けは)行政には対応できないし、親族や近所にも相談しにくい」と話す。
一緒に支援に関わる宮城県栗原市の通大寺(曹洞宗)の金田諦応住職も、「いる、いないは別にして見ているのは事実。みな、心の構えがないまま多くの人を亡くした。親族や仲間の死に納得できるまで、上を向けるようになるまで、宗教が辛抱強く相談に乗っていくしかない」と話す。
金田住職は昨年9月、川上牧師と一緒に仙台市内の仮設住宅の自治会長に招かれ、お化けの悩みに関して講話を行った。金田住職は「多くの人が亡くなり、幽霊を見るのは当然。怖がらないでください」と講演。参加者は納得したような表情を見せていたという。
金田住職はいう。「幽霊について悩むことは、亡くした家族のことから少し離れて生と死を考えるきっかけにもなる。そこから生の世界で前に進む姿勢を示せるようになることにつながればいい」
各教派でつくる宮城県宗教法人連絡協議会は僧侶、神父、牧師、神主が電話で相談に乗る「心の相談室」を実施しており、金田住職は「気軽に相談してほしい」と呼びかけている。連絡先はフリーダイアル0120・828・645。水曜、日曜の午後3~10時。
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お化けの相談に限らず、宗派どころか仏教やキリスト教など教派の垣根を超えて連携した震災支援活動が続けられている。
宮城県石巻市の寺院では昨年、クリスマス会を開き、牧師と僧侶の両方が講話をした。「住民もその方が集まりやすい」と日本基督教団仙台市民教会の川上直哉牧師は指摘する。
「家々の残骸を前に教派も教団もない。不条理な自然の前に安っぽい教理は通用しない」と宮城県栗原市の通大寺の金田諦応住職。仮設住宅などでお茶を飲みながら被災者の話を聴く「カフェ・デ・モンク」というプロジェクトでも川上牧師と連携している。
教派を超えた支援が広がる背景には別の側面もある。「特定教派に偏らないため、行政とより連携しやすい」(川上牧師)のだ。
仙台市の愚鈍院、中村瑞貴住職は「今後は地元と災害時の協定を結んだりするなど、(関係に)風穴が開けられればいい」と話している。