週刊朝日2011年7月22日号配信
福島第一原発が「循環注水冷却システム」に完全移行した。しかし一方で、玄海原発の再稼働問題を巡って政治は迷走するばかり。こんなことで、原発事故は本当に収束できるのか。この1カ月余り、本誌の取材に応じてきた第一原発"最高幹部"の一人が語った「すべて」をお届けしよう。(本誌取材班)
いまこの国が抱える喫緊の課題は原発問題のはずである。ところが、東日本大震災から4カ月がたったいまも、司令塔であるべき政治は権力闘争に明け暮れ、迷走している。その"無様さ"は、玄海原発の再稼働問題でも露呈した。
「いずれ時期が来ましたら、私も責任を取らせていただきます」
海江田万里経済産業相(62)は7月7日、国会答弁で辞任を示唆した。それはそうだろう。海江田氏は、菅直人首相(64)の"思いつき"と"いいとこ取り"に振り回され続けてきた。
5月初旬の浜岡原発の停止要請では、海江田氏が中部電力などに根回ししながら環境整備を進め、いざ記者会見しようというところで、菅首相が突然、横取りして発表した。5月下旬のG8サミット(主要国首脳会議)では、海江田氏に知らせることなく、菅首相がいきなり「太陽光パネル1千万戸構想」をぶち上げた。
そして今回の玄海原発再稼働問題では、菅首相は6月中旬に再稼働容認を明言したのにもかかわらず、その意を受けて地元自治体との調整を進めてきた海江田氏を尻目に、自身は「脱原発」の姿勢を強め、揚げ句の果てに、新たな安全性評価(ストレステスト)の実施を持ち出して、すべてをひっくり返したのだ。
菅首相自身は「脱原発」の闘士気取りで、周囲に「(浜岡原発の停止以降)経産省の抵抗がすごい」などと漏らしているそうだが、これまでの言動に照らせば、その"信念"は大いに疑わしい。そもそも、ストレステストもしていないのに「安全」だと宣言した判断の根拠は何だったのか。
結局、この政治のゴタゴタで玄海原発の再稼働は遠のいた。そして政府は7月19日にも、福島第一原発の事故収束に向けた新たな「工程表」を発表するとしている。果たして本当に「安全」だといえるときは来るのだろうか--3月11日の事故以降、現場に詰めて作業にあたってきた福島第一原発の「最高幹部」に、本誌は6月以降、幾度となく取材を繰り返してきた。いわば原発のすべてを知るこの人物が、こう語るのだ。
◇ ◇
いま玄海原発の再稼働問題が取りざたされていますが、フクイチ(福島第一原発)の事故を経験した私に言わせれば、そんなバカなことはやめたほうがいい。玄海原発1号機の操業開始は1975年で、老朽化が心配。それに、現地はフクイチよりも地盤がやわらかいようです。正直、再稼働して大丈夫なのかと感じる。
私が、こう言うのには理由があります。フクイチが地震と津波、どちらでやられたのかといえば、まず地震で建屋や配管、電気系統など、施設にかなりの被害を受けたのは事実です。地震直後、「配管がだめだ」「落下物がある」などと緊急連絡が殺到しました。制御室からも「配管や電気系統がきかなくなった」などと、すさまじい状況で、多くの作業員が逃げ出した。耐震性に問題があったのは否めません。
こうした事態に対応している間に「津波がくるらしい」という話が入り、とにかく避難が優先だと施設内に放送を流し、情報収集を進めているうちに津波が襲ってきた。これで、街灯やトイレなど、地震後もかろうじて通じていた一部の電源もほぼ通じなくなった。完全なブラックアウト(停電)です。
そのとき頭に浮かんだのは、どうやって冷却を続けるか、です。すぐに人を招集して、とにかく電源回復を急ぐようにと指示した。何とか電源を回復できないかと、(東京電力)本社に電源車を要請するなど、もう大声で叫ぶばかりでした。
津波の破壊力を実感したのは、電源確保のために状況を見に行った作業員から「行く手をはばまれた」「瓦礫(がれき)で前へ進めない」などと報告を受け、携帯写真を見たときです。本当にとんでもないことになっていた。本社に電源車を頼んでいるような悠長なことではとても無理。自分たちで何でもやれることはやらなきゃ、もう爆発だと覚悟しました。すぐに車のバッテリーなど、原発内でとにかく使えそうなものを探させました。
日が暮れ、周囲は真っ暗で作業がはかどらない。携帯電話の画面を懐中電灯代わりにしている--現場からは、こんな報告が次々と上がってきました。
このあたりから「最悪のケースもありうる。海水も早い時期に決断せねば」と覚悟しました。メルトダウン(炉心溶融)も、ありうると思っていた。
ただ、これがもしも地震だけだったら、要請した電源車なども早く到着したはずですし、非常用電源なども回復できた可能性が高い。爆発は防げたと思います。
ここまで事故が深刻化した原因について、津波対策がおろそかだった、非常用電源の設置場所が悪かったなどと言われますが、私は何よりも、操業開始から40年という"古さ"が、地震・津波に負けてしまったと感じています。いくらメンテナンスで部品を新しくしたところで、建物は同じ。原発自体の耐用年数だけでなく、建物や構造など全体的にみて、40年は長すぎた。
実際、免震棟ができる2年ほど前までは事務本館しかなかった。それが、地震だけでメチャメチャになり、使えない。これは、玄海を始め、全国の原発に当てはまることだと思いますね。
◇ ◇
いまだ予断を許さない状況が続く福島第一原発だが、7月2日になって、最大の課題だった原子炉の安定冷却と、放射能汚染水の浄化を実現する「循環システム」がようやく完成した。
「これは、原子炉建屋などの地下にたまった汚染水を装置に通して浄化し、循環させて原子炉の冷却水として再び使うシステムです。当初、6月27日に稼働が始まりましたが、わずか1時間半あまりで停止。原因は、原子炉に再注入する配管から処理水が漏れるというお粗末なものでした。その後もトラブルが相次ぎ、不安定な状態が続いていましたが、ようやく動き始めたのです」(東電関係者)
総延長約4キロに及ぶこの循環システムは、まず東芝の装置で「油を分離」し、次に米キュリオン社製の装置が「放射性セシウムを吸着」、それを仏アレバ社製の装置が「薬品で除染」し、最後に日立の装置が処理水から塩分を取り除いて「淡水化」する。1日1200トンを処理し、たまりにたまった計12万トンの高濃度汚染水をゼロに近づける予定だ。
東京電力が4月17日に発表した「工程表」では、7月中旬までに「原子炉の安定的な冷却」を完成させるとしているが、このスケジュールどおり事故処理は進むのだろうか。
◆無理があった「3カ国連合」◆
注水をしている限り、汚染水が増えるばかりで安定はありません。フクイチの1~4号機ともに循環システムがうまく機能して初めて冷却、安定となります。とにかくまず冷却して安定させなければ、先が見えません。ペースは遅いかもしれないが、一歩ずつ確実に近づきつつある。
もちろん、現場ではもうこれ以上、汚染水を海に放出することは許されないと認識しています。ただ、なぜか本社は海に流すことをいとわない雰囲気があって、温度差を感じます。
システムの管理は、東芝が中心でやっています。米キュリオンと仏アレバの機器を組み合わせ、日立が塩分を取り除く装置を担当している。
システムの構成については、現場からも提案しました。でも、本社から、
「もう決まった。これでやりなさい」
と日米仏の装置を一つにまとめる方式になったのです。現場としては、日本だけで十分やれると考えていました。しかし、政府同士で商取引の約束でも交わしたのでしょうか、本社のある幹部は政府や経産省との絡みも暗ににおわせて、「勘弁してくれ。こちらでもどうにもならない」ということでした。
てこずったのはアレバの装置です。仕様書などはフランス語だけでなく、一部がイタリア語で書かれていて大混乱でした。原発関連の言葉をイタリア語で読みこなすのは難しく、アレバに問い合わせても、肝心なところは「国家機密で言えない」と拒絶されるのです。
結局、循環システムが稼働するまでに、バルブの開閉トラブルやフィルターの目詰まり、装置の接点で想定外の放射線量が出るなど問題が起き、何度も止まりました。統括した東芝も「オールジャパンでやっていれば......」と言っていた。
とはいえ、アレバの装置の威力はさすがにすごい。放射性物質はきれいに除去されています。
ようやく動き始めたといっても、水回りの作業はトラブルがつきものです。現場で「ぞうさん」「シマウマ」などと呼ばれている注水車もポンプの調子が悪く、よく中断しますから。
それに、まだまだ瓦礫などの線量が高く、作業がはかどりません。1号機では、原子炉建屋の1階と2階にある配管で循環システムを接続するつもりでしたが、線量が高すぎるため、別の配管を使わざるをえなかった。無人ロボットも、瓦礫を片付けられずに入れないところがたくさんあります。
◇ ◇
事故以降、現場で陣頭指揮を執ってきたのが、原発を統括する吉田昌郎所長である。「所長こそがフクイチをいちばん理解し、把握している」(現場社員)と信頼が厚い。今後の事故処理の行方は、彼の手腕にかかっているといっても過言ではないだろう。
その吉田所長がにわかにクローズアップされたのが、5月20日に発覚した、菅首相による1号機の海水注入「停止命令」問題だ。
きっかけは安倍晋三元首相のメールマガジンだった。
「(3月)12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が『俺は聞いていない!』と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再開」
と記されていたのだ。
それまでに官邸や東電が発表した資料では、菅首相の指示で中断していた注水が再開されたことになっていた。これでは話がまったく逆である。
首相の大失態が原発事故を悪化させた--この問題は、谷垣禎一・自民党総裁も国会で追及するに至り、「菅おろし」を巡る政局は一気に緊迫した。
しかし、現実には、「中断」はなかった。事態収拾に動く東電は5月26日、海水注入は「所長判断」で継続していた、と発表したのだ。
この「55分間の注水中断」について、吉田所長は、
「こんなに騒がれて、本社にまで呼び出され、大変なことになるとは思ってもいなかった」
と漏らしていたという。
◆悪者になった吉田所長◆
それほど、現場と本社の間には明らかな温度差、認識の違いがあるのです。
実際は「55分間の注水中断」がなかったことは、一部の幹部たちは前から知っていたはずです。確かに資料上は政府に配慮して、「(注水を)菅総理の指示で再開した」ということにするため、20分程度で注水を中断したことになっていました。でも、この問題が国会にまで持ち込まれ、いまさら政府に報告した内容をひっくり返して「中断してなかった」などとは言いだせない状態だったのです。
だから、最終的に「吉田所長が独断で中断しなかった」という話で落ち着きましたが、実は違う。
そもそも、あの時点で注水を中断するなどという選択肢はなかった。原子炉を冷やし続けなければ、爆発は時間の問題。私たちや作業員はもとより、周辺住民も被曝(ひばく)するかもしれない。「死」につながることになるかもしれない。原子力を少しでも学んでいる人間ならば、誰でもわかることです。そんなバカなことをするわけがありません。
当時、現場の意思は、
「『総理が了承していない』なんて言っている場合じゃない。こっちは生きるか死ぬかだ。なりふり構っていられない」
ということでした。
とはいえ、あれだけ問題になってしまったので、皆、「今回は、吉田所長が悪者になるしかない」と言ってましたね。
◇ ◇
この「55分間の中断」について吉田所長は、東電の調査に対し、「事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何よりも重要と判断して継続した」と説明している。
一方の東電は武藤栄副社長が、問題発覚を受けて開いた5月26日の緊急記者会見でこう答えている。
「(3月12日の)19時25分ごろ、官邸に詰めていた者から、海水の注入について首相の了承が得られてないと連絡があった。首相の判断がない中でできないという空気を伝え、(テレビ会議で)いったん中断しようと本店と(吉田)所長が協議の上、合意した」
結果的に、吉田所長は「合意」などしていなかったのだが、東電が「首相官邸の空気」を忖度(そんたく)して、危険な判断に踏み出そうとしていたのは事実である。一連の原発事故の処理を巡って、官邸と東電がいかに「いびつ」な関係になっていたかを表していよう。現場にとって、本社のこうした"姿勢"は許しがたいものだったに違いない。
そのフクイチの現場では、いまも決死の作業が続いている。それでも、危機的状況は脱した--とは決して言えないのが偽らざる現状だ。今後の作業はどうなっていくのか。
◆大晦日も正月もずっといる覚悟◆
「建屋カバー」は、なんとか台風の時期の前には設置したかったが、ちょっと難しい。作業は天候に大きく左右される。大きなクレーンで設置するので、少しの風でも作業に支障をきたしてしまうのです。それに、かぶせると言っても、爆発で建屋は左右対称ではなくなっているので、技術的にもなかなか難しい。
ちなみに、このカバー設置も本社の主導でした。ある幹部曰(いわ)く、「覆いをすれば、グーグルなどで原発の衛星写真が世界中に広がるのを隠せる」ということで、この案に政府も同意したそうです。カバー設置で放射線量の数値が劇的に下がることはないと思います。
設置は、大手ゼネコン数社が受注しましたが、いまだ契約で話し合いが続いています。工事が必ず成功するとは限らないからです。
最終的に、チェルノブイリのように原子炉をコンクリートで固める「石棺」にするかどうかという議論があります。実際にシミュレーションもありますが、これは、安定したときの状況次第ですね。
安定したら、何とか核燃料を外に取り出したい。しかし、その燃料がどんな状況なのか、すでにメルトダウン、さらにはメルトスルー(原子炉貫通)もないとはいえない。飛び散っていることも考えられる。それを把握してからですが、いまのところは「石棺」は考えていません。
いずれにしても、いま一番の課題は「人」ですね。現場で作業するのは、作業員たちです。暑さと雨の中で仕事ができるのかどうか。これまで、うち(東電)は作業員や協力会社に正直、十分なことをしてこなかった。うちの人間は現場にはあまり出ず、作業員任せというシステムが問題であることはわかっていましたが、現場レベルではどうすることもできなかった。それが事故の重大さを把握できなかった一因でもある。
現場ではいまも、寝るとき以外は仕事です。食事も最近まで1日2回とれたらいいところだった。本社では休んでいることになっていますが、実際はろくに休んでいません。吉田所長は、こう言っています。
「恐らく今後、年内に安定化できるかどうかが焦点になるだろうが、それは正直、厳しい。クリスマス、大晦日(おおみそか)、正月、ずっとフクイチで過ごす覚悟でいる。私は最後の最後まで、事故が収束するまで、ここを離れない決意です。作業員や協力会社の方々にも申し訳ないが、ご協力を頂きたい」
その思いで、皆が一丸となって事態に当たっているのです。 (以下次号)..
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