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2013/10/10

北朝鮮の主要幹部44%が交代 

北の主要幹部4割交代…正恩氏、政権基盤強化へ

 【ソウル=吉田敏行】北朝鮮で一昨年12月に金正恩キムジョンウン体制が始動して以降、朝鮮労働党や軍などで政権を支える主要幹部218人のうち、44%に当たる97人が交代していることが、韓国統一省の分析で明らかになった。

 韓国では、正恩氏が大胆な幹部人事で、政権基盤の強化を着々と進めているとの分析が出ている。

 統一省によると、労働党では部長級以上96人のうち38人(40%)が交代し、国防委員会や最高人民会議、内閣などの国家機関幹部は118人のうち55人(47%)が代わった。軍では首脳部の頻繁な交代が目立ち、昨年7月の李英鎬リヨンホ軍総参謀長の粛清など、金正日キムジョンイル総書記時代の古参幹部は相次ぎ役職を解かれた。

 軍首脳部の人事はその後も頻繁に行われ、総参謀長、人民武力相(国防相)、作戦局長は現在、それぞれ4人目だ。昨年8月以降、幹部8人の降格とそのうち4人の復権が確認されており、正恩氏は巧みに賞罰人事を繰り返し、軍内部の引き締めを図っているとの見方も出ている。

2013年10月10日09時26分  読売新聞) 
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080115-899562/news/20131010-OYT1T00213.htm?from=blist





2011年12月17日 金正日死去
2011年12月30日 金正恩、朝鮮人民軍最高司令官に就任


人民武力相
 金永春 → 金正覚(12年4月) → 金格植(12年12月) → 張正男(13年5月)

総参謀長
 李英鎬 → 玄永哲(12年7月) → 金格植(13年5月) → 李永吉(13年8月推定)













北人民武力部長、金格植から張正男に交代

2013年05月13日14時27分
 北朝鮮が人民武力部長(国防部長官格)を金格植(キム・ギョクシク)から張正男(チャン・ジョンナム)に交代した。

  北朝鮮労働党機関紙の労働新聞は13日、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が朝鮮人民内務軍協奏団の公演を観覧したことを伝えながら、人民武力部長の張正男が一緒に公演を見たと明らかにした。北朝鮮メディアが人民武力部長を張正男と紹介したのは今回が初めて。4日までは、金正恩の労働節記念銀河水音楽会観覧を伝えながら、人民武力部長を金格植と紹介していた。

  張正男は02年4月に少将、11年11月に中将にそれぞれ昇進した。人民武力部長に昇進するまでは、江原道の最前方地域の人民軍第1軍団長として勤務した。

  張正男は昨年12月、金正日(キム・ジョンイル)総書記の1周忌に開かれた決意大会で、「白頭山(ペクドゥサン)虎軍団という価値ある別称を与えてくださった敬愛なる最高司令官同志の信頼を一時も忘れず、決戦の時がくれば軍団は滅敵の砲声で敵を気絶仰天させ、すべての谷を死の谷にする」と演説した。

  これを受け、金格植は昨年10月に人民武力部長になって以来8カ月で退くことになった。金正恩は軍幹部の世代交代を続けているとみられる。金格植が09年に韓国哨戒艦「天安」爆沈事件と10年の延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦を主導した軍部の代表的な強硬派という点で、今回の人事が北朝鮮の対外政策の変化を図る雰囲気によるものかどうかも注目される。






北朝鮮の総参謀長は李永吉 北メディアが肩書き言及

聯合ニュース 10月10日(木)11時3分配信

 【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の李永吉(リ・ヨンギル)大将が朝鮮人民軍の総参謀長に任命されていたことが10日、朝鮮中央通信の報道で確認された。

 朝鮮中央通信は、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が同日、朝鮮労働党創建68周年を迎え、故金日成(キム・イルソン)主席と故金正日(キム・ジョンイル)総書記の遺体が安置されている平壌の錦繍山太陽宮殿を参拝したと伝えた。同行者として崔竜海(チェ・リョンヘ)軍総政治局長、張正男(チャン・ジョンナム)人民武力部長とともに、「朝鮮人民軍総参謀長である陸軍大将」の李永吉氏を挙げた。

 同氏は年初に軍総参謀部作戦局長に昇進、8月末からは公式の場で大将の階級章をつけている。張人民武力部長の前に名前を呼ばれていることから軍総参謀長と推定されていたが、北朝鮮メディアがこれを明確にするのは初めて。

 金格植(キム・ギョクシク)前総参謀長は8月24日の「先軍節」記念の中央報告大会出席を最後に、北朝鮮メディアに登場していない。








李英鎬、粛正過程で銃撃戦に遭う

北朝鮮情報筋「李英鎬の副官が反抗し銃撃戦…病院治療後、療養所で追加治療」  

睦龍載 記者
[2012-11-26 16:58 ]
7月、総参謀長を解任した李英鎬(リ・ヨンホ)が粛清の過程で負傷し入院していたことがあり、最近は咸鏡北道鏡城郡の療養所に移送され、治療を受けていることが分かった。

北朝鮮情報筋は25日、「李英鎬が咸鏡北道鏡城郡ジュウル里にあるチャンリョン療養所で療養中との情報を政府当局が入手し、複数のルートを通じて確認中。李英鎬を粛清する過程で彼の副官が反抗し、銃撃戦が発生。その時に負傷し病院で治療を受けていた。李英鎬の負傷は軽症だったとされる。彼の軍掌握力や権力から判断して、彼に忠誠を尽くす人物が反抗した可能性は十分ある」と話した。

7月、政府当局も李英鎬が解任される過程で銃撃戦などの衝突があったとの情報を入手したと伝えられた。当時、政府当局は李英鎬の解任が決定された後、崔竜海(チェ・リョンヘ)総政治局長側が李英鎬の身柄を確保せよと命じるや、李英鎬の護衛兵力が反発。その過程で銃撃戦が発生し、李英鎬が負傷した可能性もあると把握されていた。

一方、李英鎬は軍内の派閥形成や夫人の麻薬取引きに加担するなど、「反党・反革命分子」的な行動により粛清されたと、日本の毎日新聞が同日報道した。

同紙は中朝貿易関係者の話を引用する形で「北朝鮮労働党は軍総参謀長の座から解任した李英鎬を10月中旬、『反党・反革命分子』と決定した事実を中堅幹部らに告知。その後一般住民にも李英鎬が軍内の派閥を形成する『軍閥主義』に陥り、夫人が麻薬取引きを行うなどの理由で解任されたと説明した」と報道した。

北朝鮮に詳しい中国の情報筋も「最近、北朝鮮の兵士から『李英鎬の思想が悪いため粛正された』と聞いた。特に『金正恩体制となってから、軍内部で忠誠心競争だけでなく派閥争いも多発している』と話していた」と伝え、「北朝鮮の軍部内で李英鎬派と反対派との対立が深まっている。また金正恩による軍部掌握のための粛正作業が日常化しており、今後もその状態が続くと思われる」と強調した。

李英鎬は2010年9月、第3回党代表者会で金正恩とともに党中央軍事委員会副委員長に任命された。その前日には大将から次帥に電撃昇格するなど、金正恩時代の最高軍部権力者と評価されていた。しかし7月に召集された労働党政治局会議では、「病気」を理由に突如解任された。

一部では忠誠心を高めるために李英鎬が粛正されたとの推測も出ている。金正日時代、張成沢(チャン・ソンテク)、金永春(キム・ヨンチュン)、李勇武(リ・ヨンム)、呉克烈(オ・グンヨル)などのエリート権力者がそうであった。一度粛正され再び復権した後は、金正日に忠誠を誓った。李英鎬も同じように再度登用される可能性は否定できない。