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2010/12/13

竹下司津男古賀市長:経歴詐称疑惑 竹下氏が国際文化企画の閉鎖を知らない場合は、次のふたつのパターンが考えられる。(1)清算人の「竹下司津男」は同姓同名の別人物。(2)竹下氏が自分で行なった清算決了前後の記憶をそう失した。

怒りの有権者「信用できない!」~古賀市長選・経歴詐称疑惑
政治2010年12月13日 13:27



 「自分の会社がつぶれていたことを『知らなかった』なんて、誰が信じますか!」と、怒りをあらわにするのは古賀市の有権者。11月28日に投開票が行なわれた同市の市長選で、現職を破り当選した竹下司津夫氏の経歴に、事実と異なる内容があることが発覚したのだ。

 竹下氏は8月の出馬表明後、3年前に商業登記が閉鎖された会社((株)国際文化企画)の代表という肩書きをパンフレットや名刺に記載して配布していた。さらに告示の3日前に同名の会社を登記したことも分かっている。
 竹下氏は「登記閉鎖を認識していなかった」とし、「事業は継続していた」と主張。これに対し、古賀市民の怒りが爆発。市選挙管理委員会に対し、当選効力に関する異議申し立てを行なう一方、真相究明のための刑事告発に対する賛同署名を集めている。

 選挙結果が僅差であっただけに、問題は深刻だ。竹下氏の獲得票は1万1,892票。現職は1万955票であった。その差は、有効投票数2万2,847票の約4%にあたる937票。まぎれもなく接戦であり、「ちょっとしたことでも結果が変わっていた」と見る向きは少なくはない。
 また、選挙において「経済産業の振興」を訴えていた竹下氏が、"民間企業経営者"という経歴をちらつかせていたことも問題視されている。告発人代表のひとりである有岡利夫弁護士は、「投票行動に少なからず影響を与えている。1万人以上の支持を集めた結果は重い。市民に対する謝罪なら、政治的責任を取るべきだ」と、公憤している。

http://www.data-max.co.jp/2010/12/post_12914.html




新市長は謎の人物?~古賀市長選・経歴詐称疑惑(2)
政治2010年12月14日 08:00

 「一家全員が竹下さんに票を入れた。今回の問題を知り、本当に驚いている。多選となる現職から市政を一新して欲しいと思い、"若い民間経営者"というイメージだけで入れてしまった。今となっては反省している」。支持から一転、刑事告発の賛同署名に名を書き入れた市民がそう語ったという。
 11日からきょう(14日)の17時まで、福岡県警粕屋署への刑事告発の賛同署名が集められている。署名の回収場所には、署名簿を持参する市民がひっきりなしに訪れており、13日夕の時点で集まった署名数は1,500名分ほど。目標としていた2,000名分は楽に超える見通しで、15日に提出する予定である。

 今回の刑事告発の内容は、古賀市長選挙に初当選した竹下司津男氏が、当選することを目的として経歴詐称を行なったか否か、真相の究明を求めるもの。竹下氏が告示前の政治活動で配っていたリーフレットのプロフィール(記事下の画像参照)には「2004年 (株)国際文化企画 代表」と書かれてあった。
 商業登記簿によると、同社は2007年7月7日「株主総会の決議により解散」(同年7月25日登記)とされており、竹下氏がリーフレット作成時に実在していなかったことが確認できる。竹下氏はこのほか名刺などにも同様の肩書きを記入していたという。

<空白の9年間>
 「竹下氏には謎が多い」と首をかしげる古賀市民は少なくはない。取材によると、生まれも育ちも古賀で生家は魚屋。高校は福岡県立福岡高等学校、ラグビー部で活躍した。高校卒業後は早稲田大学に進学。高校のある同級生は「その後、音信不通になり、同窓会に来ることもなかった」と話す。
 リーフレットでは、卒業後の1993年に富士ゼロックス入社。その次に問題の「2004年」となるが、市民の間では「富士ゼロックスは2年ほどで辞めており、1995年から2004年までは"空白"だ」として、その空白の9年間についてもさまざまな憶測が飛び交っている。

 地元・古賀に対し、あまりにも音沙汰なしだった竹下氏は、1年ほど前に帰郷した。そして、今年(2010年)5月ぐらいから市長選出馬のウワサが立ち始めたという。古賀市では竹下氏が地元で政治を志すまでの経緯について書かれた漫画本が配られていたが、古賀市を離れてから帰郷に至るまでの経緯については何ら触れられていなかった。

http://www.data-max.co.jp/2010/12/post_12929.html





ミステリアスな一面を隠した風~古賀市長選・経歴詐称疑惑(3)
政治2010年12月15日 08:00
 古賀市長選に関連する政治活動において、会社がすでに閉鎖されていたにも関わらず、「民間会社の代表」という肩書を使ったとして、経歴詐称の疑惑をかけられている竹下司津男氏。前稿で述べたように、故郷・古賀市を離れてから十数年の足跡を知る者は少ない。では、そのような謎多き人物が、なぜ、古賀市長選で接戦の末に現職を破り、初当選を決めたのか。

 古賀市の政治通は、ひとつの要因として福岡市長選の影響をあげる。「現職の中村氏が初当選したのは、福岡市で3期続けた桑原氏を山崎氏が破った直後。古賀市民は近隣の福岡市長選への関心が高く、その2週間後が古賀市長選だ。今回、36歳という若い高島氏が初当選したことは少なからず影響があった」。

 福岡市における"戦後最年少市長の誕生"が、「市政の一新」がトレンドであると古賀市民に感じさせたのだろうか。今回の市長選では、当選すれば4期目となる現職・中村隆象氏の多選も争点となっており、42歳の若さを武器とする竹下氏は市民に新鮮なイメージを与えた。選挙期間中には、竹下氏の応援に高島宗一郎氏が駆け付けた。若い市長を迎えることに魅力を感じた市民も少なくはないだろう。また、自民党の応援を受けた高島氏の当選が、同様に自民党の支援を受けていた竹下氏にとって追い風になったことは間違いない。

 一方、内的要因にあげられるのが、選挙の争点になった「市街化調整区域」だ。同区域は、古賀市の中央部および海岸部に位置し、面積は1,455ha(市総面積の34.6%)。市街化を抑制する区域として定められ、農地と農業集落を中心とした土地利用に限定されている。
 この施策に対して、農家からは「制限で建物が建てられず、地価が下がる」などの批判の声があがっていた。竹下氏はこの「市街化調整区域」を批判。市長選の期日前投票における出口調査では、都市部で現職、農村部で竹下氏の優勢が伝えられたという。

 竹下氏の初当選に働いたさまざまな追い風。それが、同氏の"ミステリアスな一面"をカモフラージュしたのではないだろうか。勤めた会社を2年で辞めた後の"空白の9年間"、「知らないうちに閉鎖していた」という民間会社など、多くの謎を持つ竹下氏に対し、「ミステリアスな男性に魅力を感じる」という乙女心のような動機で票が動いたとは到底思えない。

http://www.data-max.co.jp/2010/12/3_254.html




清算人「竹下司津男」は別人物?~古賀市長選・経歴詐称疑惑(4)
政治2010年12月16日 08:30

 15日、古賀市長選で初当選した竹下司津男氏の経歴詐称疑惑に対し、福岡県警粕屋署へ3,860名の賛同署名とともに真相究明の刑事告発が行なわれた。
 そもそも代表が知らない内に会社が閉鎖していたということがあり得るのか。竹下氏が2004年から代表取締役を務めていたという(株)国際文化企画の商業登記簿を見ると、謎はいっそう深まってくる。

 登記簿によると、国際文化企画の会社成立日は05年1月7日本店は東京都文京区となっていた。業務内容は、(1)語学教室の運営、(2)各種文化教室の運営、(3)呉服および和装小物の仕入れ、販売、(4)海外との文化交流に関する各種イベントの企画および運営に関する事業、(5)ツアーの企画運営、(6)諸外国との食料品、民芸品などの輸出入貿易および、その輸入物品の卸売販売、直接販売、展示販売、通信販売並びにその仲介、(7)レストランおよび飲食店の経営、(8)前各号に付帯する一切の業務と、なっている。
 その後、05年12月4日に変更(同12日登記)があり、(5)が旅行業に、そして新たに「株式、そのほか有価証券の取得・保有並びに運用」が追加された。

 また、同社の役員欄には、取締役に竹下氏のほか3名の名前が見られるが、そのいずれも日本人とは思えない名前が並んでいる。そして監査役は、竹下氏と同姓である女性と思わしき人物が務めている。
 経歴詐称疑惑の争点となる「解散」の欄には、「平成19年7月7日株主総会の決議に解散」と、07年7月25日に登記。さらに同日、清算人と代表清算人として「竹下司津男」の名が登記されている。清算については「07年10月27日清算決了」とあり、同年11月9日に登記され、同社の登記簿は閉鎖されていた。

 会社法の第507条3項では、清算人の「清算決了の報告(決算報告)を株主総会に行なう義務」が定められている。つまり、竹下氏が国際文化企画の閉鎖を知らない場合は、次のふたつのパターンが考えられる。(1)清算人の「竹下司津男」は同姓同名の別人物。(2)竹下氏が自分で行なった清算決了前後の記憶をそう失した。
 いずれにしても特異なケースと言え、古賀市民が竹下氏の説明を信じ難いと思うのは当然のことと言えよう。

http://www.data-max.co.jp/2010/12/4_184.html