被爆国の原発導入背景、米文書が裏付け
1954年3月1日に太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で静岡の漁船「第五福竜丸」が被ばくし、原水爆禁止が国民運動となる中、危機感を深めた当時のアイゼンハワー米政権が日本の西側陣営からの離反を憂慮、日本人の反核・嫌米感情を封じ込めようと、原子力技術協力を加速させた経緯が23日、米公文書から明らかになった。
共同通信が米国立公文書館で収集した各種解禁文書は、核に「無知」な日本人への科学技術協力が「最善の治療法」になるとして、原子力協力の枠組みや日本人科学者の米施設への視察受け入れを打ち出す過程を明記。米側が「原子力の平和利用」をテコに日本世論の懐柔を図り、被爆国が原発導入を進めるに至った源流が浮かび上がった。
アイゼンハワー大統領は54年5月26日にダレス国務長官に覚書を送り、被ばく事件後の「日本の状況を懸念している」と表明。「日本での米国の利益」を増進する方策を提示するよう求めた。
これを受け、国務省極東局は大統領あて極秘覚書で「日本人は病的なまでに核兵器に敏感で、自分たちが選ばれた犠牲者だと思っている」と分析。打開策として(1)被ばく乗組員への賠償(2)米側からの「放射能に関する情報提供」(3)吉田茂首相への遺憾表明―を挙げ、「放射能」に関する日米交流が「日本人の(核への)感情や無知に対する最善の治療法」になると指摘した。
同年10月19日の国務省の秘密メモ「ビキニ事件と核問題」は、事件を「戦後最大の日米間の緊張要因」と表現し「米国への憤りと核兵器への恐怖心が高まった」と解説。「原子力・核エネルギーが根本から破壊的だとする日本人の根強い観念」を取り除く狙いで「原子力の平和利用を進展させる二国間、多国間の取り組みに日本を早期に参画させるよう努めるべきだ」と将来の原子炉提供の可能性を論じている。
また、スミス国務省特別補佐官は、同年11月5日付メモで「(日本人研究者の米施設視察は)日本の嫌米感情を緩和する」と述べている。
同年11月には、米側から約20万ページの原子力関連文献の供与も行われた。(共同=太田昌克)
▽米側の無知こそ問題
米核政策に詳しい高橋博子広島市立大広島平和研究所講師の話 反核世論を抑える米側の工作と、原発の日本への導入との密接なつながりを明示した、大変貴重な文書。1954年5月の国務省の極秘覚書には、原子力分野での科学交流が「日本人の(核への)感情や無知に対する最善の治療法だ」とあるが、実際、日本学術会議は「原子力平和利用」時の放射能汚染を討議するため、同年11月に「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」を開催した。米側からはビキニ被ばく事件の加害者である米原子力委員会の科学者が参加、この会議を契機に日本政府はマグロ調査の打ち切りなど、内部被ばくを軽視した基準を導入していった。米側の無知さこそ「治療」されるべきだったが、200万ドルの「慰謝料」と原子力導入で、事件を封じ込める「日米協力」が実施されたのは残念だ。(共同)