なぜかヤクルト本社の社史から抹殺されていますが、 ヤクルトの創業社長である永松昇は、日健総本社創業者である田中美穂が師と仰ぐ人です。 もちろん、田中は永松の下で、初期のヤクルト販路拡大に尽力しています。 創業時の販売攻勢は凄まじいものがあったようです。 その後、二人はヤクルトを去り、1975年に永松は死去しています。 代田稔という科学者と、永松、窪園といった社史から葬られた営業畑の人間によって、その基礎は作られてきたと思われます。