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2012/02/25

死亡した福島第一原発作業員に労災認定  労働環境の過酷さの一点で認定

福島第1原発で死亡、労災認定=男性作業員は過労死
 東京電力福島第1原発の事故後に集中廃棄物処理施設で昨年5月、配管工事の作業中に死亡した大角信勝さん=当時(60)=について、横浜南労働基準監督署が過重労働による心筋梗塞で過労死したとして、労災認定していたことが24日、弁護士への取材で分かった。
 遺族側代理人の大橋昭夫弁護士によると、原発事故後の作業で過労死が認められたのは例がないとしている。

 請求申立書によると、大角さんは昨年5月13日から第1原発で配管工事に従事。翌14日午前6時40分ごろ、機械の運搬作業中に体調が急変し、約2時間40分後に病院へ搬送されたが死亡した。当時、原発敷地内の医務室には医師が不在で、作業拠点だったスポーツ施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)には十分な医療設備が整備されておらず、治療できなかったという。(2012/02/24-20:48)

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2012022400931





福島第1原発:収束作業死で労災認定…横浜南労基署

 昨年5月、東京電力福島第1原発事故の収束作業中に心筋梗塞(こうそく)で死亡した静岡県御前崎市の配管工、大角信勝さん(当時60歳)について、横浜南労働基準監督署は24日、「短時間の過重業務による過労死」だったとして労災認定することを決めた。連絡を受けた遺族の代理人弁護士が明らかにした。これまで同原発の収束作業中に大角さんら4人が死亡しているが、労災認定されたのは初めて。

 元請けの東芝などによると、大角さんは、東電から収束作業を請け負った東芝からみて4次下請けにあたる御前崎市内の建設会社の臨時雇いとして作業に当たった。

 11年5月13日から午前6~9時のシフトに入り、汚染水の処理機材を設置するため、集中廃棄物処理施設の配管工事などを担当。2日目の14日午前6時50分ごろ、特殊のこぎりを運搬する途中で倒れた。

 2日間で計4時間弱の作業だったが、代理人の大橋昭夫弁護士によると同労基署は「防護服、防護マスクを装備した不自由な中での深夜から早朝にわたる過酷労働が、特に過重な身体的、精神的負荷となり心筋梗塞を発症させた」と認めた。

 労災申請していた大角さんのタイ人の妻カニカさん(53)は今後、東電と東芝に安全配慮義務違反があったとして損害賠償請求訴訟も視野に、企業側と交渉するとしている。大橋弁護士は「これからも続く収束作業の従事者に励ましを与える結果」と評価した。【西嶋正信、平林由梨】


 ◇妻「救われた」
 「お父さん、やったよ」--。東京電力福島第1原発事故の収束作業中に心筋梗塞(こうそく)で死亡した大角信勝さん(当時60歳)の労災申請が認められた24日、妻カニカさん(53)は静岡県御前崎市の自宅アパートで夫の遺影に語りかけた。

 「弁護士の先生からは1月に結果が出るかもと言われたが、延びていた。まさか今日とは思わなかった。とてもうれしい」と笑顔で話した。

 報道陣に囲まれ、夫に何を語りかけたいかを質問されたカニカさんは「みんな、やってくれた。みんなのおかげでお父さんが救われた」と涙ぐんだ。

 昨年5月、信勝さんが福島県内で収束作業中に死亡。だが、信勝さんは4次下請けの御前崎市内の建設会社から派遣されており、元請けの東芝からは見舞金もなかった。

 下請けの建設会社の社長からは「50万円やるからタイに帰れ」と言われ、補償の話もないまま。昨年7月、「お父さんの命は50万円じゃない」と横浜南労働基準監督署に労災を申請した。

 静岡県島田市内の弁当店でパートとして働くカニカさんは、国民健康保険の保険料を滞納するほど生活に困窮している。労災認定により元請け会社などとの今後の交渉に光が差し、カニカさんは「お父さんが好きだったタイの刺し身を買って、喜びを分かち合いたい」と話した。【平塚雄太、西嶋正信】



 ◇解説 現場の過酷さ重視 4時間従事で異例の認定
 東京電力福島第1原発事故の収束作業中に死亡した労働者に対し、初の労災認定をした横浜南労働基準監督署は「難しい判断を迫られた」という。収束作業は今後30~40年続くとみられており、専門家は今回の決定が作業現場の環境改善に大きな影響を与えるとみている。

 心筋梗塞(こうそく)で死亡した大角信勝さん(当時60歳)は2日間で計約4時間弱の作業に当たった。厚生労働省によると、脳や心臓疾患による労災の認定基準は(1)長期間の過重業務(2)短期間の過重業務(3)異常な出来事--の少なくとも一つに該当する場合。遺族は今回、現場に放射性物質が飛散し、防護服を着用した過酷な作業だったとして(2)を重点的に主張し、認められた。原発労働に詳しい萬井隆令・龍谷大名誉教授(労働法)は「4時間の労働で過労死と認定されるケースは非常に珍しい」と話す。

 遺族側は他にも、救急体制の不備による救護の遅れや、放射線被ばくによる死亡の可能性なども指摘したが、代理人の大橋昭夫弁護士によると労基署はそれらを考慮せず、労働環境の過酷さの一点で認定を下した。

 原発作業員が過酷な環境で働いていることを国が認定した今回の判断は、原発作業員の労働災害について救済の道を広げる画期的なものといえる。【西嶋正信】

毎日新聞 2012年2月24日 20時49分(最終更新 2月24日 23時05分)







福島第一で過労死認定 御前崎の原発作業員
2012年2月25日
「心配するな」言い残し
 東京電力福島第一原発事故の収束作業中に心筋梗塞で死亡した御前崎市の作業員大角(おおすみ)信勝さん=当時(60)=の遺族が、横浜南労働基準監督署(横浜市)に労災申請していた問題で、労基署は24日、「短時間の過重業務による過労死」として労災認定した。厚生労働省によると、同原発の事故をめぐる作業員の過労死認定は初めて。

 同日夕、静岡県庁で会見した遺族代理人の大橋昭夫弁護士は「防護服、防護マスクを装備した不自由な中での深夜から早朝にわたる過酷労働が、特に過重な身体的、精神的負荷となり心筋梗塞を発症させた」と認定理由を説明した。遺族には国から労災保険金が支給される。

 労災は昨年7月、大角さんの妻でタイ国籍のカニカさん(53)が申請。申請書によると、大角さんは元請けの東芝の四次下請けに当たる御前崎市内の建設作業会社に臨時で雇われ、昨年5月13日から集中廃棄物処理施設で放射性物質に汚染された水を処理する配管工事に従事した。

 13日は未明に宿舎を出発し、防護服などに着替えた後、午前6時から3時間、作業に従事。昼食を取り、午後3時ごろ宿舎に戻った。翌14日も未明に宿舎を出て午前6時から作業に入った。約40分後に体調不良を訴え、その約2時間40分後に福島県いわき市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。死因は心筋梗塞で、被ばくの影響はないとされている。

妻「ようやく認められた」
 「福島へ行かなかったら、きっと夫は今も生きていた」。24日夜、夫婦で暮らしていた御前崎市池新田のアパートで、弁護士から労災認定の知らせを聞いた大角さんの妻カニカさん。すぐに夫の遺影に手を合わせ「ようやく認められたよ。良かったね」と涙を流して報告した。

 カニカさんはタイ出身で、2002年に大角さんと結婚。浜岡原発などで働く大角さんと新婚生活をスタートさせた。

 夫が福島に向かう時「心配するな。おれは元気だし、大丈夫だ」と声を掛けられたという。「夫は病気もなく、元気だった。福島では大変な作業だったんだと思う。引き留めればよかった」と悔やむ。

 大角さんは病死と判断され、カニカさんは「何の補償も受けなかった」という。現在も同じアパートで1人で暮らし、生活のために週5、6日、パートを続けている。

 「優しい夫が突然いなくなり、独りぼっち。生活も苦しく、つらい毎日です」とカニカさん。労災認定の朗報に「夫が好きだったカレーライスを作り、ねぎらいたい」と悲しげな笑顔を見せた。

過酷な環境 毎日3000人
 福島第一原発事故収束作業の現場で働く東京電力社員や下請け企業の作業員は今も1日約3000人に達する。政府・東電は昨年12月に「事故収束」を宣言したが、大量被ばくのリスクは変わらない。事故から間もなく1年、今も過酷な環境での労働が続く。

 作業員たちは体や衣服に放射性物質が付着するのを防ぐため、不織布製の防護服を着て全面マスクを装着。累積線量管理のための線量計も手放せない。

 事故当初は食事、物資の補給が間に合わず、作業後に体育館や会議室の固くて冷たい床で寝る日々が続いた。東電社員や作業員の中には、自宅が津波に襲われて「被災者」となった人も多い。中には家族の安否が分からないまま勤務を続けた人もいた。

 夏には、暑さと汗で防護服の中は“蒸し風呂”状態に。エアコンを完備した休憩所の整備が遅れたこともあり、熱中症で倒れる人が相次いだ。

 東電は、作業員に適切な休憩を取るよう呼び掛けたが「同僚に迷惑を掛ける」「休んでいたら工期に間に合わない」との責任感から、休まず作業を続ける人が相当数に上った。