東電は再三の撤退申し入れ 民間事故調報告
2012/2/27 23:07
東京電力福島第1原子力発電所の民間版事故調査委員会「福島原発事故独立検証委員会」(委員長・北沢宏一科学技術振興機構前理事長)は27日、独自に事故を検証した報告書をまとめた。政府の事故調では未聴取だった事故当時の菅直人首相をはじめ、日米政府関係者らへヒアリング。専門家が役割を果たせず、官邸も場当たり的な対応を繰り返したことが混乱を広げたと指摘した。(本文中の肩書はいずれも当時)
■官邸
事故後の昨年3月12日午前6時すぎ、ヘリコプターでの原発視察で、首相は同乗した班目春樹原子力安全委員長に「俺の質問にだけ答えろ」と命じて他の説明を拒否した
首相が東電本店や福島第1原発に乗り込むなど、官邸が現場への介入を強めていった背景について、報告書は(1)マニュアルの認識不足(2)専門家への不信感(3)災害拡大の危機感(4)首相の管理手法――などが重なったと分析している。
事故後の原発視察で首相から水素爆発の可能性を問われた班目委員長は「ない」と答えた。しかし帰京後に官邸で1号機の水素爆発の映像がテレビで流れる。委員長は「あー」とだけ言い、頭を抱えて前のめりになった。ぼうぜん自失し「(水素爆発とすぐにわかったが)誰にも言えなかった」。経済産業省・原子力安全・保安院や東電の幹部も説明に窮する場面が相次いだ。「この人たちのいうことも疑ってかからなければいけないな」(海江田万里経済産業相)。官邸側は専門家への不信感を募らせていった。
官邸内では3千万人の首都圏退避の「最悪のシナリオ」が話題に。枝野幸男官房長官は「悪魔の連鎖になる」と感じた
報告書は、「最悪のシナリオ」などが話題になり始めた結果、原子力災害対策マニュアルに定められていない官邸の関与が進んだとしている。
■米国
米国の支援対応は早く、米軍や原子力規制委員会(NRC)関係者ら160人のスタッフを日本に派遣。日本政府の収束策を見守り支援要請を待った。だが、日本側が3月12日に米NRC委員長の支援の申し出を断ったことで、米側は情報共有が十分でないことに不信感を強めた。
ルース駐日大使は同14日深夜に米専門家を官邸に常駐させたいと申し出たが、枝野官房長官は難色を示した。米は4号機の使用済み核燃料プールが干上がって爆発するのを懸念し、同17日に米国民の出国勧告を行うなど日米関係は危機に直面した。細野豪志補佐官らの日米調整会合が同22日に発足して、ようやく情報共有が進み関係が改善したという。
かねて米NRCは同時多発テロを受けて日本に核テロ対策強化を促していた。安全性が高まるチャンスだったが、「保安院は全く関心を示さなかった」(NRC幹部)。
■東電
東京電力の清水正孝社長は海江田経産相や枝野官房長官に繰り返し電話し、「とても現場はこれ以上もちません」などと撤退の許可を求めた
清水社長が3月15日午前3時ごろ、海江田経産相や枝野官房長官らに約1時間にわたって繰り返し電話し、第1原発からの撤退を再三申し入れていたことも判明した。
両大臣は午前3時20分ごろ、寝ていた首相を起こして報告したが、首相は「そんなことはあり得ない」と強く拒否。午前4時17分に清水社長を官邸に呼び「撤退はあり得ない」と直接念を押した。清水社長は消え入るような声で「はい」と答えたという。
東電は「全面撤退ではなく一部撤退の要請だった」としている。しかし民間事故調は「全面撤退でなければそこまで繰り返し電話しないはずだ」などと、全面撤退を求めていたと推定している。東電は聴取に応じていない。
報告書が指摘した主な問題点
○過酷事故への備えを怠った東電の組織的怠慢
○原子力災害をタブー視する絶対安全神話
○官邸主導による現場への過剰介入
○国民とのコミュニケーション不足による政府の信頼喪失
○原子力安全規制のガラパゴス化と能力不足
原発事故 民間事故調が報告書
2月28日 18時52分
東京電力福島第一原子力発電所の事故の検証を進めてきた、民間の事故調査委員会が、28日、日米の政府関係者などおよそ300人からの聞き取りを基にした報告書を公表し、政府の危機管理の課題のほか、適切な対応を行えなかった官僚機構や東京電力の問題についても指摘しました。
民間事故調=「福島原発事故独立検証委員会」は、科学技術振興機構前理事長の北澤宏一氏や元検事総長の但木敬一氏ら6人の有識者が委員を務め、国から独立した立場で、去年3月に起きた原発事故の検証を進めてきました。
28日に公表された報告書は、菅前総理大臣をはじめ、事故の対応を中心となって行った政治家や官僚、それにアメリカの政府高官など、およそ300人の聞き取りを基に作成されましたが、東京電力は調査に応じませんでした。
報告書では、政府の危機管理について、原子力災害が地震や津波と同時に発生することを想定しておらず、マニュアルが機能しなかったうえ、政治家たちの法律に関する基本的知識も乏しく、場当たり的、泥縄的な対応を続けたと批判しています。
そのうえで、今後に向けた課題として、情報収集の遅れや混乱により、正確な情報が官邸に届かなかったことや、政治家にアドバイスする専門家のサポート体制がぜい弱だったことなどを挙げ、早急に改善に向けた議論を始めるべきだとしています。
また、原子力発電所を所管する経済産業省の原子力安全・保安院については、組織の中で安全規制のプロが育っていないため、人材も理念も乏しく、今回の事故では、収束に向けた専門的な企画・立案も行えなかったと、厳しく指摘しました。
さらに、東京電力については、事故発生後、原子炉を冷却する非常用復水器が働いていないことに気付かず、代わりとなる冷却もすぐには始めなかったうえ、大きな危機を回避するためのベント作業にも手間取ったとして、事故拡大の要因を作ったと指摘しています。
民間事故調の北澤委員長は「調査を通して、官邸などで何が起きていたのか分かった。日本の組織は危機への対応に適した形になっていないので、今後は、危機のときにすぐ体制を切り替えられるよう、対策を取るべきだ」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120228/k10013353681000.html
原発安全対策 米の助言放置
2月29日 5時45分
アメリカが2001年の同時多発テロを受けて整備した、原発の電源喪失などを防ぐためのガイドラインが、アメリカから日本側に伝えられていたにもかかわらず、原発の安全対策に取り入れられなかったことが、28日に公表された民間の事故検証委員会の報告書で分かりました。
このガイドラインを取り入れていれば、去年3月の原発事故でも被害を軽減できた可能性があると指摘しています。
元検事総長や学者などで作る民間事故調=「福島原発事故独立検証委員会」は、日米の政府関係者らおよそ300人の聞き取り調査を行い、28日に報告書を公表しました。
それによりますと、アメリカは2001年の同時多発テロを受けて、原子力施設がテロ攻撃により電源や冷却機能を失った場合に機能を回復するためのガイドラインを定めていますが、アメリカのNRC=原子力規制委員会が複数回にわたってこのガイドラインの内容を日本の原子力安全・保安院に伝えるとともに、テロ対策を強化するよう助言していたことが分かったということです。
しかし、保安院は、このガイドラインを日本の原子力発電所の安全対策には取り入れず、放置してきたということです。
NRCの幹部は、民間事故調の聞き取り調査に対し「日本の保安院は、テロ対策には全く関心を示さなかった」と話しているということです。
これについて民間事故調は、ガイドラインを取り入れていれば、東京電力福島第一原子力発電所の事故でも被害を軽減できた可能性があると指摘しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120229/k10013362641000.html
「この原発は終わった」作業員は顔面蒼白
2012/2/27 23:08
「防護服姿の作業員はみな、顔面蒼白(そうはく)だった」。報告書は3月11日、福島第1原発の対策本部にいた作業員1人の緊迫感に満ちた証言を紹介した。
証言によると、地震発生時、作業員は5、6号機近くの屋外にいた。向かった免震重要棟には700人が避難していた。
「これとこれを教えろ!」。マイクで吉田昌郎所長の怒号が響く。夕方、「原子炉の水位が把握できない」「午後10時には燃料棒の露出が始まる」との報告が届いたが、所長は「了解」としか答えなかった。
「あれは生(なま)蒸気です!」。午後7時すぎ、1もしくは2号機から連絡が入った。作業員は原子炉の蒸気をタービン建屋に送る配管が壊れたと考え、「この原発は終わった。東電は終わりだ」と思った。中央制御室の外側で放射線が検出され、東電社員らは「まさか爆発しないよな」と口にし始めた。
「ベントしろ」「注水しろ」。東電本店からの指示に、所長は「何でもいいから液体を持ってきてくれ」と応じていた。重要棟1階では手動ベントに向け、東電社員や関連会社の人々がおよそ20人1隊で5列に並んだ。防護服に身を包み、全員が震えていた。「言葉にはできないほど怖がっていた」