2011年 12月 16日 09:31 JST
[パリ 15日 ロイター] フランスのジャック・シラク前大統領(79)がパリ市長時代の公金流用の罪に問われた事件で、パリの軽罪裁判所は15日、シラク被告に執行猶予付きの禁錮2年の有罪判決を言い渡した。
シラク被告は1977年から95年のパリ市長時代に架空雇用を通じて公的資金を横領した罪で起訴され、裁判官は、同被告が市役所の基金140万ユーロ(約1億4000万円)の流用について認識していたと判断した。
フランスの国家元首経験者が有罪となるのは、ナチスドイツに協力し、1945年に有罪判決を受けたペタン元帥以来初めて。公判はシラク被告に認知症の症状がみられたため、被告が出廷せずに行われていた。
シラク前大統領 横領で有罪判決
12月16日 7時34分
フランスのシラク前大統領がパリ市長時代に公金を横領した罪に問われていた裁判で、パリの裁判所は、前大統領に対して執行猶予のついた禁錮2年の有罪判決を言い渡し、波紋を広げています。
この裁判は、フランスのシラク前大統領が、パリ市長を務めていた1990年代に、職員を雇用したように見せかけ公金を党の資金に流用したとして、横領や背任などの罪に問われていたものです。
パリの裁判所は15日、シラク前大統領が日本円で1億4000万円余りを流用したと認定し、前大統領に対し執行猶予のついた禁錮2年の有罪判決を言い渡しました。
これまでの裁判では、79歳のシラク前大統領は認知症を患っているとして欠席が認められ、弁護側が一貫して無罪を主張していたうえに、検察側も有罪であることを示す証拠は見つからなかったとして無罪を求める異例の展開をたどっただけに、有罪判決は驚きを持って受け止められています。
フランスの現在の大統領制のもとで大統領経験者が有罪判決を受けるのは初めてで、シラク前大統領は声明を発表し、断固として抗議するとしながらも「新たな裁判に臨む力はもはや残っていない」として、控訴しない方針を明らかにしました。
シラク前仏大統領に有罪判決-パリ市長時代の公金横領などの罪で
12月15日(ブルームバーグ):フランスのシラク前大統領がパリ市長時代の公金横領などの罪に問われていた裁判で、パリの刑事裁判所は15日、執行猶予付きの禁錮2年の有罪判決を言い渡した。
裁判所は、首相に就いた2年間を除き1977年から95年までパリ市長を務めたシラク氏が、所属政党と支持者への便宜供与を狙った公金横領に関する3つの罪状について有罪だと判断した。
フランスの国家元首を務めた人物が裁判にかけられるのは第2次大戦後初。現職の首脳には国家反逆罪を除き捜査を免れる規定があることから、捜査はシラク氏が2007年に大統領職を退くまで先送りされていた。
シラク氏の事務所はAFP通信への声明で、同氏が「判決に明確な異議があるとしても」上級審に控訴しないと表明。シラク氏のジャン・ベイユ弁護士は9月の公判で、前大統領は「犯罪や倫理的に間違った行為」へのいかなる関与も否定するとの声明を読み上げていた。
79歳のシラク氏は健康上の理由から出廷を免除されており、判決言い渡しにも立ち会っていない。
更新日時: 2011/12/16 10:53 JST
2008/06/07 16:33 JST
仏判事が情報機関を家宅捜索、シラク前大統領の銀行口座疑惑-AFP
6月7日(ブルームバーグ):フランスの予審判事は、シラク前仏大統領が日本に保有していた疑いがある銀行口座の捜査の一環として、仏情報機関・対外治安総局(DGSE)の庁舎を家宅捜索した。AFP通信が7日、事情に詳しい関係者の話を基に報じた。
AFPによると、仏週刊誌は2006年、シラク前大統領が旧東京相和銀行(現東京スター銀行)に保有していた口座に、「文化財団」名義で3年間にわたり計4500万ユーロ(現在のレートで約74億4900万円)の送金があったと報じた。AFPは週刊誌名を明らかにしていない。
シラク前大統領は不正行為があった事実を繰り返し否定しているという。
原題:Judges Search Spy Agency on Chirac Japan Bank Account, AFP Says
更新日時: 2008/06/07 16:33 JST
仏司法当局、シラク前仏大統領の疑惑で諜報機関などを捜索
2008年06月07日 23:57 発信地:パリ/フランス
【6月7日 AFP】フランスの司法当局が同国の情報機関「外治安総局」(DGSE)本部を捜索していたことが7日、明らかになった。ジャック・シラク(Jacques Chirac)前フランス大統領が日本の銀行に持っていたとされる口座の調査のため。
DGSEに近い筋によれば、複数の予審判事が4日DGSEを訪れ文書の提出を求めた。DGSEは文書を提出したが、現在封印された状態でDGSEに置かれている。これらの文書は後日秘密指定が解除される可能性もあるという。
2006年、フランスの週刊誌が、シラク氏が東京相和銀行(Tokyo Sowa Bank)(現・東京スター銀行)に持っている口座に、ある「文化財団」が1990年代から数年にわたり4500万ユーロ(約74億円)を集めたという記事を掲載した。シラク氏の事務所はこの疑惑を、大統領就任後に始まった個人攻撃の一部だとして繰り返し否定していた。
これとは別にシラク氏のパリ(Paris)の弁護士の事務所も、1997年にフランス領ポリネシアのタヒチ(Tahiti)のジャーナリスト、ジャンパスカル・クーロー(Jean-Pascal Couraud)氏が謎の失踪を遂げた事件について予審判事の捜索を受けた。クーロー氏はシラク氏が日本に持つ銀行口座の資金の動きを調べていた。
2002年、タヒチの首都パペーテ(Papeete)の裁判所は、クーロー氏は自殺したと結論づけ、失踪と銀行口座の調査の関連を認めなかった。しかし新しい目撃者が現れたため2004年に審問が再開された。クーロー氏の家族は同氏が殺害されたとして訴えを起こしている。クーロー氏の遺体は見つかっていない。
弁護士のジャン・ヴェイル(Jean Veil)氏によれば、予審判事と検察官の2人が、シラク氏が東京相和銀行に口座を持っていないことを証明する同行からの手紙を押収したという。この手紙は封印された状態で、捜査が行われているパペーテに送られた。
2007年、シラク氏はパリ市長時代の汚職事件で捜査を受けた。シラク氏がパリ市長を務めていた当時、パリ市役所の職員のポストが不当に水増しされ、その給与が、シラク氏が総裁を務める政党・共和国連合(RPR)に流れたとされるもの。フランスの大統領経験者が司法の捜査を受け、刑事罰を受ける可能性が出たのはこれが初めてだった。
シラク氏は1977年から1995年までパリ市長を務め、その後12年間フランス大統領の地位にあった。(c)AFP
2006/06/15
「ニッポン疑惑」、火のない所に煙は立たぬ?
クリアストリーム疑惑が尾を引き、シラク大統領の日本の「隠し口座」にまで波及。
5月10日付カナール・アンシェネ紙が発表したユイ、ポンス両予審判事による調書によると、3月28日、重要参考人ロンド将軍は、「…シラク大統領の東京相和銀行口座に、皇室が関係する世界文化賞の審査員としての経費が定期的に振り込まれ、対外治安総局DGSEによると総額3億フラン(約65億円)とみられる。…(01年9月、大統領とドビルパン元官房長官が)わたしに命じた任務は、大統領の日本の口座を調べていたDGSE諜報員から、大統領に不利になる情報が漏れないように彼らを監視することだった」と供述。大統領府はシラク大統領の日本の口座云々を全面的に否定している。
東京相和銀行といえば、バブル崩壊時の不正増資疑惑で2000年5月、長田庄一前会長(83)が逮捕された。長田氏はシラク大統領とはパリ市長時代から親しい関係にあり、97年に同大統領からレジオンドヌール勲章4等を受賞(94年ミッテラン大統領は同勲章5等を授与。故大統領夫人主宰の財団への創価学会の寄金に長田氏が仲介したお礼?)。
5月11日付ルモンド紙も「ニッポン疑惑」に触れており、90年代初期の週刊ポストに「シラク大統領の銀行」というタイトルで「大統領のとみられる口座に70億円…」と無署名の記事が載ったという。が、同紙24日付でポンス駐在員は、「東京の大宅壮一文庫で調べたが、同週刊誌に掲載されたといわれる該当記事は見つからなかった」と報道。
96年、エリゼ宮を訪れた長田氏がフランスでの10億ドルの投資計画を伝えたので、DGSEが東京相和銀行についての調査を諜報員フラム氏に委託。同行の不正増資疑惑が浮上し始めていた時期だっただけに、同諜報員の捜査は公的調査を越え「個人的イニシアティブ」が勝ちすぎたとして02年、同氏は検事代理のポストに移された。彼が理解できないのは、クリアストリーム疑惑の変造口座リストに彼の名も出ていること。同疑惑と「ニッポン疑惑」はどこまでつながっているのか…。
カナール・アンシェネ紙によれば、02年大統領選を数カ月後に控え、ドビルパン元官房長官が閣僚の一人に「〈日本〉のことがメディアに載ったら最後」ともらしたとか。大統領側近は気が気でならなかったよう。
シラク大統領再選後、DGSEの幹部全員が左遷された。彼らとともに「日本疑惑」も封じられたと思いきや、大統領の「口座」のほか日本に「隠し子」もいるとかいないとか、とかく市民、マスコミは口さがない。(君)
2002/07/24 20:43
仏治安総局のトップ更迭 大統領の疑惑背景か
【ブリュッセル24日共同】パリからの報道によると、フランス政府は24日、対外治安総局(DGSE)のトップ、ジャンクロード・クスラン氏を更迭した。後任には、駐ポルトガル大使のピエール・ブロシャン氏が任命された。 ルモンド紙などによると、DGSEと国内治安機関、国土監視局(DST)は、シラク大統領と破たんした東京相和銀行の長田庄一元会長やレバノンのハリリ首相との関係に不法な点がないか捜査する動きを見せていた。
DSTのトップ、ジャンジャック・パスカル氏も今月3日に更迭され、大統領の側近が後任に就任しており、両人事の背景には大統領自身の疑惑が関係している可能性がある。ルモンド紙は、6月の総選挙で内閣が左派から大統領の与党、保守・中道連合に代わったのを機に、DGSE、DSTのトップが交代する見通しと報じていた。
2002/07/24 20:43 【共同通信】
Wikipedia ジャック・シラク
疑惑
フランスの週刊紙カナール・アンシェネはシラクが大統領を退任した直後の2007年5月23日に、シラクが日本の旧東京相和銀行(現東京スター銀行)に巨額の隠し口座を持っていたとされる問題で、近くフランス捜査当局から事情聴取を受ける可能性が高いと報じた。5月16日に退任したシラクは1か月後に訴追免除の特権が切れたため、同年7月19日に聴取された。この疑惑にシラク本人はマスコミの取材に対し、「真実と名誉のために戦う」と宣言。「事件に関する好き勝手な発言は認めない。(有罪と立証されるまでは無罪であると定めた)推定無罪の原則を踏みにじるものだ」と述べた。
また、2007年11月にシラクのパリ市長時代の職員架空雇用疑惑に関する捜査が開始された。シラクはパリ市長を務めていた際、自身の政党(共和国連合)の党員をパリ市の「架空職員」として雇用し、給与を党の資金に流用したとされる。2009年10月30日、この疑惑によりシラクは公金横領と背任の罪でパリの司法当局に起訴された[5][6]。 第五共和制下のフランスで、大統領経験者が刑事事件に絡んで訴追されたのは初めてとなる。2011年12月15日、パリの軽罪裁判所により執行猶予付きの禁錮2年の有罪判決が出された[7]。
Wikipedia
東京相和銀行
会長の長田は個人的にフランスに人脈をもち、レジョンドヌール勲章を受章、ジャック・シラク前大統領と親密だと喧伝していた。東京相和銀行破綻後の、2002年、フランス諜報機関対外治安総局(DGSE)が、長田との関係を調べる動きを見せていたと報道されたことがある(ちなみにDGSEは国防大臣の指揮下にある。当時は第3次コアビタシオンによる社会党内閣で、リオネル・ジョスパン首相は、その年の大統領選挙におけるシラクの対立候補であった)。
また、2006年5月には、シラクが同行に口座を所有し、謎の「文化財団」から定期的に巨額の振込みを受け、預金残高が3億フラン(約65億円)に達していたとする情報当局者の証言が報道された(これに関して、シラク側近筋は「大統領は東京相和銀行に口座を持ったことはない」と直ちに報道を否定した。前回同様、次期大統領選挙候補をめぐる、ドミニク・ガルゾー・ド=ビルパン首相とニコラ・サルコジ内相との政争に絡む証言との見方もある)。
さらに、前述の疑惑は2007年5月のフランス大統領選挙が終了した直後にも「大統領退任により免責特権が無くなったシラクに司直が及ぶのではないか?」、との報道がなされている。
東京相和銀行
株式会社東京相和銀行(とうきょうそうわぎんこう)は、かつて存在した第二地方銀行である。
沿革
1949年(昭和24年):東京興産株式会社、東京殖産株式会社、平和勧業株式会社設立。
1950年(昭和25年):東京興産株式会社、東京殖産株式会社、平和勧業株式会社3社の業務継承のため東京協和殖産無尽株式会社設立。
1951年(昭和26年):1月、東京殖産無尽株式会社と商号変更。10月、株式会社東京相互銀行と商号変更。
1953年(昭和28年):東都医師信用組合設立。
1956年(昭和31年):東京慈光信用組合設立。
1961年(昭和36年):東京慈光信用組合、東京貯蓄信用組合と改称。
1970年(昭和45年):東京貯蓄信用組合を合併。
1974年(昭和49年):東都医師信用組合を合併。
1989年(平成元年):金融機関の合併及び転換に関する法律(昭和43年法律第86号)に基づく認可により普通銀行に転換し、株式会社東京相和銀行と商号変更。
1999年(平成11年):金融再生委員会により、金融整理管財人による業務および財産の管理を命ずる処分を受ける(事実上の破綻)。
2001年(平成13年):アメリカの投資ファンド会社ローンスターが設立した、株式会社東京スター銀行に営業譲渡。
2004年(平成16年):長田庄一被告は、東京高裁への控訴を取り下げ、懲役3年・執行猶予5年の一審判決が確定。
第二地銀のトップバンク
実質的創業者の長田庄一(1922年7月2日 - 2010年2月15日、山梨県高根町生)が、敗戦直後の混乱に乗じて得た資金を元手に無尽会社を設立したのが前身。1950年2月、平和勧業、東京殖産、東京興産の三つの無尽会社が合同して東京協和殖産無尽株式会社として設立され、翌1951年10月、相銀法の制定・施行と共に東京相互銀行となる。
この時長田は常務であったが、「日掛け50円で手軽に金融」等のキャンペーンで営業成績を拡大、1969年5月には反対派を放逐して社長に就任し、1975年には会長になるも引き続き権力を維持していた。また、長田は銀行業務だけでなく、多数の系列企業を設置し、その利益を銀行本体に還流させる仕組みを作り上げ、邦銀初のATM24時間稼働など名経営者として注目された。
1989年2月、普通銀行への転換により東京相和銀行となり、「東の東京相和、西の兵庫銀行」と呼ばれ、資金量などを巡って第二地方銀行トップの座を競った。奇しくも両行とも後に経営破綻・営業譲渡の道を歩むこととなる。
中央政財界との繋がり
長田の出身地山梨県は、かつて東武鉄道の根津嘉一郎、若尾銀行・東京電灯の若尾逸平、山一證券の小池国三など、財界において俗に甲州財閥と呼ばれる一派を形成しており、長田もこうした地縁を最大限に利用した。また、池田勇人元首相ら政治家の知遇を得て、中央政界や大蔵省などにも強い繋がりを持ったことで業容が拡大した。
旧三井銀行と親密な関係にあったことから、度々合併が噂され、その合意寸前までいったこともある。しかし、長田自身が要求したポストは「新・三井銀行代表取締役会長」職であったため、三井側が難色を示しご破算になった(その後、三井銀行は太陽神戸銀行と合併し、さくら銀行となる)。
長田庄一氏死去 元東京相和銀行会長
長田 庄一氏(おさだ・しょういち=元東京相和銀行〈現東京スター銀行〉会長)15日死去、87歳。山梨県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男哲夫(てつお)氏。
長田氏は旧東京相和銀行の実質的な創業者。同行を第2地方銀行の中で一、二を争う規模に育てたが、バブル期の不動産融資などが不良債権となり、99年に経営破綻した。同行をめぐる架空増資事件で有罪判決を受けた。
2010/02/22 21:17 【共同通信】